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僕のアメリカ横断記③(ロサンゼルス2日目)

■8月22日(月)
 目が覚めると9時過ぎだった。いつまでああして踊っていたのか知らないが、あの三人もそれぞれのベッドでぐぅぐぅ眠っている。二段ベッドはあまり上質な寝心地とは言えなかったが、学生向けのユースホステルに多くを求めてはいけない。
 部屋を出ると、強烈な朝の日差しに襲われた。一階の食事ができるスペースで、様々な国からやってきた旅人たちに混ざって甘いシリアルを食べる。10時過ぎに部屋に戻ると、三人ともまだ眠っていた。時間を気にしない、気ままな旅なのだろう。

 前もって宿を押さえておかないと、昨日のような苦労をすることになると(ようやく)気づいた僕は、先々の経由地で泊まる宿を今からすべて予約しきってしまおうと考えた。また一階に降り、パソコンルームに閉じこもる。『地球の歩き方』とパソコンの画面を交互ににらめっこしては、良さそうな宿の電話番号をどんどんメモしていった。バナナ・バンガローはありがたいことに無料で使える電話機を設置してくれていたので、それらの番号に片っ端からかけまくるのだ。
 慣れない英会話に苦労しながらも大方は予約できたが、カンザスシティとボストンだけはなかなか適当な宿が見つからなかった。ボストンは終着地に近いので後回しでも構わないが、カンザスシティを予約できないのは痛い。なぜ予約できなかったかというと、カンザスシティは交通手段が乏しいため、駅から徒歩で行ける宿を取りたかったのだが、駅に近ければそれだけ宿泊代がとてつもなく高くなるのだ。そこで(反省がないが)、また着いたとこ勝負に出ることにした。何しろもう14時近くになってしまっている。区切りをつけないことには、宿の予約だけで日が暮れてしまうだろう。

 部屋に戻ると、フランス人(パンツ一丁でシャワールームから現れた方)から昼食に誘われた。彼が案内してくれたのは、宿からすぐの距離にある"Tommy's"というハンバーガー屋さんだった。あとで調べてみると、ロサンゼルスで1946年に創業した老舗のチェーン店で、日本のモスバーガーが経営の参考にした店なんだとか。

店の正式名称は"original tommy's world famous hamburgers"と長い。(写真はTripadvisorより)

 僕とフランス人は対面でテーブルに座り、大きなハンバーガーにかぶりついた。フルーと名乗った大学四年生の彼は、母国で雑誌モデルをやっているのだと言う。キャップを被り、頬まで無精ひげを生やしていたが、たしかによく見ると目鼻立ちがハッキリしており男前だ(あとで彼のフルネームをグーグルから検索してみると、彼が表紙を飾っているフランスのファッション誌らしき画像が出てきた)。ただ、モデル業は一時的なもので、将来はエンジニアを目指しているらしい。昨晩のスーザンを前にしたときのスケベ顔とは打って変わって、今は実に真面目な青年に見える。
 また、僕はそれまでフランス人と会話した経験がなかったのだが、日本語と同様、フランス語を母語とする人にも特有の英語訛りがあるようで、"study"を"ストゥーディ"、"Chicago"を"チカゴ"と発音したりするのは、日本のローマ字読みの発想と似ていて面白いと思った。僕も英語が下手なのでお互いに拙い発音と簡単な文法でしか会話できないのだが、それがかえって気楽だった。

 フルーとはバナナ・バンガローの前で別れ、僕はそのままロサンゼルス散策へ。
 トヨタのディーラーやキングコングのペインティングがされているビルを横目に、ウエスタン駅へと向かう。昨晩あれほど迷ったが、明るいうちに歩くと駅まではひたすら直進の道のりで、自分の方向音痴さに呆れてしまった。
 その日はとにかく、「ハリウッドらしい場所に行こう」というのが目標だった。僕は幼い頃から映画が好きだったので、せっかくロサンゼルスに来たからには「映画の都」の雰囲気を感じてみたかったのだ。
 調べてみたところ、「ハリウッド・ハイランド」というショッピングモールの周辺に見どころが集中しているとあったので、最寄りのハイランド駅を目指すことにする。
 ロサンゼルスのメトロ(地下鉄)の運賃は、どこへ行くにも片道なら1.5ドルだ。驚いたことに、改札機のようなものがないため、実際はなんのチェックも受けずに電車に乗れてしまう。いわば信用社会ということなのだろうが、不思議な感覚だった。
 ハイランド駅で降りると、出口の前で、蛍光色の作業ベストを着た係員らしき中年の黒人男性が、歩行者から切符を受け取っていた。(そうか、さすがにこうやって検札をやってるんだな・・・)と思いながら、切符をしまったズボンのポケットに手を突っ込む。ところが、あるはずのそれが無い!こんな時にかぎって・・・。
 その黒人男性の前でバタバタと体を叩いて切符を探していると、異変を察知した彼が僕に近づいて来た。とっさに謝りかけたそのとき、男性は優しい表情を浮かべ、こう言った。「別に切符が無けりゃ構わないんだぜ。俺は警察を呼んだりなんかしないからさ。ただ、”あいつら”が俺にこの仕事をさせるからしてるだけでね。もういいから、そのまま通りな」。・・・な、なんと優しい人だろうか!僕は安堵とともに感動を覚え、「サンキュー、サンキュー!」と彼に何度も言って、駅を出た。
 ・・・ところが後に、これは僕の大きな勘違いであったことが判明する。

 駅を出た僕を迎えてくれたのは、赤い台の上で艶めかしいポーズをとるマリリン・モンローだった。もちろん本物ではなく、よくできた蝋人形。
 通りを歩くと、色々なキャラクターのコスプレをした人や、着ぐるみを着た人が大勢いて、観光客と写真を撮ったりしていた。その中にいた、あまりに衣装が安っぽいスパイダーマンが面白かったので彼にカメラを向けると、「シャアッ」などと言いながら地面を這うように近寄ってきて、勝手に僕の肩を組んでポーズを決める。「さぁ、撮ってくれ」と言わんばかりだ。(なんだこいつは・・・)と思ったが、せっかくなので一枚だけセルフィーを撮った。すると、大仰なジェスチャーで両手を合わせて「チップ、2ドルクダサーイ」と日本語で言うではないか。しかも、僕が財布を取り出すまで何度もその仕草とセリフを繰り返してくる。こんなスパイダーマンは絶対に嫌だ。結局、(まぁ2ドルくらいなら・・・)と払ってしまったが、チップ文化に慣れていないせいで、なんだか少し”してやられた”気分だった。
 気を取り直してさらに歩くと、かの有名なチャイニーズ・シアターが現れた。1927年に建てられた劇場で、ハリウッドの象徴的な施設のひとつだ。周辺の地面には名だたるハリウッド・スターたちの足形や手形、サインなどが刻まれたパネルが埋め込まれており、そこに自分の手足を合わせたり、記念写真を撮ったりする人々で大変な混雑だった。

チャイニーズ・シアター

 そのすぐそばに、超リアルな蝋人形で知られるマダム・タッソー・ハリウッドがあったのだが(駅の出口にあったモンロー像もここの展示物ではないかと推測する)、入館料22ドルは少し予算オーバーだった。(どうせなら本物を見たいからな・・・)なんて自分に言い聞かせて、建物の前を素通り。
 次はコダック・シアターへ向かう。ハイランド駅のすぐそばに位置するこの映画館は、僕が日本に帰ったあとでドルビー・シアターと改称されたらしい。世界最高峰の映像・音響設備が備えられ、2002年からはアカデミー賞の授賞式も行われている・・・などとネット上では紹介されているものの、中に少し入っただけでは、「まあ、映画館だな」という程度の印象だった。
 それからショッピングセンターの各店舗を見物して回ったが、貧乏な学生バックパッカーが優雅に買い物を楽しめるはずもなく、カフェでコーヒーを買い求め、ベンチに座って飲みながら通行人たちをぼーっと眺めていた。

ハリウッド・ハイランド

 ハリウッドのような華やかな観光地で、僕のように一人でほっつき歩いている人はまず見当たらない。だいたいは家族や恋人、友人同士で楽しそうに歩いている。雑踏を聴きながら静かな孤独感に包まれると同時に、よくアメリカくんだりまで一人で来たもんだと自分に感心したりしていた。
 陽も落ちかけていたので、最後に、ここから少し離れたところにあるエクスポジション・パークに寄ることにした。前身の都市農業公園を含めれば1872年から存在する、バラの庭園や博物館で有名な多目的公園だ。

 ハイランド駅に戻り、券売機で切符を買おうとしていると、そばにぬっと男が現れた。僕に温情をかけてくれたあの黒人の係員だった。彼は僕に、薄汚れた切符を差し出し、「1ドル」と言った。最初は意味がわからなかったが、それはつまり、本来なら1.5ドルする切符を、この男は1ドルで売ってくれるということだった。僕は、さっき少し言葉を交わしただけの東洋人を気遣って、自分の切符を安く譲ってくれるんだと思い、また感動した。
 そう、間抜けなことに、このときの僕はまだ気づいていなかったのである・・・。
 男から買った切符を手にホームへ歩き出すと、黒人のおばさんが僕を追い越しざまに振り返り、「あの男と話してたの、全部撮られてるからね」と厳しい口調で言った。
 ・・・撮られてる?何を言ってるんだ?
 そう思った次の瞬間に気付いた。
 あの黒人の男は駅の係員でもなんでもない。単なる浮浪者のような男で、係員を装うためにあのような作業ベストを着て、電車から降りた人から切符を集め、それを1ドルで僕のような無知な観光客に転売していたのである。
 やられた、と思った。切符をなくした僕をつかまえて、「ここを通してやるよ」なんて言われたことを思い出すと、腹まで立ってくる。僕は電車を降り、(もうヤミ切符は二度と買いません・・・)と心の中で詫びながら駅を出た。

 エクスポジション・パークへの行き方がまた厄介で(僕が方向音痴なせいもあったと思うけれど)、かなり難儀しながらどうにかこうにか辿り着いた。ところが、パーク内の見どころといえる数々の博物館はすべて17時閉館で、道に迷ったせいで時刻は17時をとっくに過ぎていた。またもや自分に呆れかえる。
 僕はパークの中央にある噴水が見事な公園をしばらく見て回り、腹も減ってきたので帰ることにした。

エクスポジション・パークの噴水

 しかし本当に大変なのはここからだった。
 とりあえず、大きな飛行機の模型(実物なのだろうか?) がある出口から出て、最寄りのエキスポ・パーク駅に向かったのだが、そこにどうしても辿り着けないのだ。通行人に訊いたり、何かの事故の処理をしていた警察官にも道を尋ねたが、英語の説明がうまく理解できず、とにかく聞き取れたのは、「ここはあまり治安のいい町じゃないから、とっとと帰った方がいいよ」との不穏な言葉。どうやら僕は、かなり迷い歩いた末に、あまり裕福ではないヒスパニックたちが多く住む区域に足を踏み入れていたようだった。さっきのショッピングモール周辺とは雰囲気が全く異なり、周囲は小さな民家が並ぶばかりで道路の舗装もろくにされていない。『地球の歩き方』や外務省のウェブサイトに「危ない地域の見分け方」といったページがあるが、そこに書かれているような、「壁の落書きが多い」とか「道にごみがたくさん落ちている」などの項目は完全にすべて満たしている。それでも勇気を出して、通行人に駅までの道を訊いてみるが、訛りの強い片言の英語を話すので大変聞きとりづらく、いよいよ手詰まりになった。すると、僕の視界にまた緑色のオアシスが飛び込んだ。サブウェイだ!
 店内に入ると、恰幅の良い白人青年が、ナプキンに地図を描いて丁寧に教えてくれた。もうこれからは、道に迷ったらサブウェイだ。青年いわく、ここからヴェルモントというバス停まで歩いて、バスに乗ってウィルシャーに行き、そこからメトロに乗ればバナナ・バンガローに近いヴァイン駅まで行けるという。僕は彼に礼を言い、握手まで交わした。
 早速ヴェルモントへ歩き出したが、地図で見るよりも意外に距離があり、本当に道が合っているのか不安になっていたところ、青年が言っていたバス停を発見した。しかもそのバス停の後ろにはどこか見覚えのある店・・・、「YOSHINOYA」と書いてある。なんと、あの吉野家があったのだ!すでに時計は20時を回っており、腹ぺこだった。ここに来て久しぶりの日本食はこの上なくありがたい。僕は勢いよく店のドアを開けた。

実際に僕が行った店舗ではないが、こんなふうにアメリカにも吉野家がある(写真は吉野家アメリカ公式HPより)

 店内はまるでハンバーガー・チェーンのような内装になっていて、マクドナルドのような雰囲気。外にはドライブスルーまであった。客層から店員にいたるまで、やはりほとんどがヒスパニックだったのだが、吉野家の本部はなぜここに牛丼の需要があると踏んだのだろうか。いや、いずれにしてもありがたいことだ。とりあえず僕は"Beef Bowl"(牛丼)とサラダを注文した。7ドルほどだったので、日本よりは少し高い。しかし、値段はこの際どうでもいいこと。何よりも、米が少し小粒であること以外なんら日本の牛丼と変わらない味わいに、箸が止まらなかった。

 満腹で店を出て、インド系のおばさんの隣でバスを待った。しかし、なかなか来ない。おばさんに、「ここに来るバスはウィルシャーに行きますか?」と訊いてみると、僕は英語で喋りかけたのに、なぜか当然のように(おそらく)スペイン語で何かを説明してくれている。この辺りの共用語がそうなのだろうが、もちろんまったく聞き取れない僕は苦笑するばかりだった。
 すると、ユニオン駅行きのバスがやってきた。たぶん遠回りにはなるだろうが、いつ来るかもわからないバスを待つよりも、ユニオン駅から宿に帰るほうが確実だと考え、思いきって飛び乗った。
 このバスは「エクスプレス」と呼ばれる快速だったらしく、運賃も2.5ドルと少し高めだ。バスの乗客たちの顔ぶれを眺めるだけでも、本当に「人種のサラダボウル」とはよく言ったものだと思う。ほとんどが黒人かヒスパニックで、残りはアジア系と、地味な身なりの白人だ(中産階級以上の白人はマイカーを使うのだろう)。やたら大きな声でひとりごとを言ったり、吊革にハンガーをかけてそこに自分の服をかけたり、ちょっと変わった人も多い。異臭を放つ浮浪者も乗って来る(金を払っている様子はなかったが、女性運転手は何も言わず乗せてあげていた)。そんな人々に囲まれながら、終着のユニオン駅まで揺られた。

 ユニオン駅の券売機で、ボロボロの服を着たアジア系のおばさんが僕に近づき、よれた切符を差し出してきた。英語が苦手らしく、言っている内容はわからなかったが、例のヤミ切符だ。もちろん買いはしないが、自分と同じアジア系であったせいか、どういった経緯でこんなことに手を染めてしまったのだろうと思うと、その弱々しい姿になんとも胸を締め付けられた。僕がやむなく断るジェスチャーをして見せると、おばさんは寂しげな表情を残してふらふらと消えて行った。

 やっとのことでバナナ・バンガローに着き、部屋に戻ると、中には誰もいなかった。壁に備え付けられたテレビを点けると『サウスパーク』をやっていて、お得意の人種ギャグを炸裂させている。それからシャワーを浴び、日記を書いたりしていると、外出していたフルーとその友人が帰って来た。二人は興奮しながら、ダウンタウンの方で起きた発砲事件の現場を見てきたと言うのだが、僕の英語力の乏しさと、彼らのきついフランス訛りが相まって、詳しい内容はわからずじまいだった。ある少女が命を狙われていたとか、話の断片は理解できたが、それが事実ならいかにもハリウッド的ではないか。
 部屋の奥にあるダイニングスペースに移動して、スナックを食べながらフルーたちと話した。彼らはもう三ヶ月以上もアメリカに滞在しているそうで、僕と同じくサンフランシスコから出発して西海岸のめぼしいエリアを巡り、グランドキャニオンにも行ったそうだ。僕もロサンゼルスの次はグランドキャニオンを訪れる予定だったので、感想を尋ねてみた。すると、フルーの友人が一言、「HU~GE!」。短い単語だが、その言い方や、目をきらきらさせた彼の表情で、グランドキャニオンがどれだけ壮観だったのか想像がついた。期待は募るばかりである。

【続きはこちら↓↓↓】
https://note.com/sudapen/n/n4a5e8a4e6a72


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