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須田光彦 私の履歴書⑦

宇宙一外食産業が好きな須田です。

私は小学校に入学する前には、一通りの大工道具を使えるようなっていました。
父が器用だったこともあり、怪我をすることに対して親も私自身も警戒心が無かったことも良かったと思いますが、兎に角あらゆる刃物を使いこなしていました。

刃物好きは今でも続いていて、今は包丁やナイフを見るとワクワクしてしまいます。
この刃物好きが、切ることに興味が沸いて、料理が好きになっていきました。

私が子供の頃はおやつというものがありませんでした。
無かったのは我が家だけでしたが、他の子の家にはお菓子も甘いものもありましたが、我が家にはありませんでした。

祖母の家に行くと出てくるのは漬物と煮物とお茶です。
子供の時からおばあちゃんのおやつを食べていました。

私のおやつは畑でした。
お腹がすくと、畑に行って熟している野菜を食べることが、おやつ替わりでした。

近所の農家の畑に行って勝手に熟している作物をもいで食べていました。
近所の子供が野菜をとって行っても、怒るような農家さんは当時はいませんでした。

塩とか味噌とかマヨネーズとかを持って、近所の農家に行ってちょっと挨拶だけして、井戸水をバケツに汲んで畑に向かいます。

一番熟していて、もう今採らないと落ちちゃうような奴からもいで食べていました。

トマトもきゅうりも茄子も人参も、何でもその場で、汲んできた井戸水でバシャバシャ洗って、塩をかけて味噌を付けて食べていました。

当日は農薬が高額で、普通の農家は農薬を買えませんでした。
ですから勿論無農薬野菜でした。

新鮮などころではありません、一番熟している完熟の状態の野菜を食べていました。
トマトなんて完熟すると本当に甘くて、美味し~いおやつになっていました。

井戸水がたぶん5度くらいの水温だと思います。
チャチャっと洗って少しトマトをつけておくだけで結構いい感じに冷えてくれます。
ホントにトマトは大好きでした。

人参も葉っぱが青々しているものを引き抜いて、たわしで洗って味噌かマヨネーズを付けてガシガシ食べていました。
ホント、ガシガシって食感でした。

甘いのは勿論ですが、少し癖があって、でも噛んでいるとどんどん甘く美味しくなります。

キャベツもよく食べました。
無農薬ですから、当然人間よりも先に虫がキャベツを食べています。

虫が食べているのを確認してキャベツを食べていましたが、実は、虫は美味しいキャベツを見分けられます。

白菜も同じです、虫は確実に美味しい野菜がわかります。
虫による、美味しさを保証された野菜を食べていました。

当時は、「虫も喰わんような野菜を食べられるか!」と、大人は言っていたものです。
母もよく言っていました、虫が食べているからこの野菜はおいしいわと。

魚も沢山食べました。
当時ほっけは、まともな人間が食べる魚でないと言われていました。

捕れすぎて商品価値が低く過ぎて、家畜の餌になるような魚でした。
経済的に豊かでない家庭で食べる干物の代表がほっけでした。
ニシンも同じような位置付けの魚でしたが、我が家では毎朝の定番のおかずでした。

今でも覚えていますが、近所の食料品店にお使いに行ってほっけを買ってきます。
なんと、値段は5円です。

5円を握りしめてお使いに行って、ほっけ一匹で家族四人十分おかずになる大きさが在りました。
現在出回っているほっけよりも、当時のほっけはもっともっと大きくて、今は、ほっけを見ると本心では、「これはアジだな!」と、私は思ってしまいます。

ほっけは捨てるところがありません、皮も骨も全て食べました。
北海道は一年中ストーブが家の中から無くなることがありません、夏でもストーブがあります。

真夏の日中に30度を超えますが、夜は20度を切るまで気温が下がります。
8月の夜の気温が14度になることも普通です。

ストーブの上に皮も骨ものっけて焼いて、せんべいにして食べていました。
それもおやつ替わりでした。

子供の時から筋子も食べていましたが、でもそれなりに高かったので頻繁に食べることは出来ませんでした。
子供の頃は、“すずこ”と呼んでいたので、今でも“すずこ”と言ってします。


はじめてイクラを食べた時は衝撃で、美味しさに感動したのを覚えて来ます。

子供だったのでイクラの名前がわからなく、母に「赤くて丸くて噛むとプチュッてつぶれる美味しいヤツが食べたい」と、言ってお願いしたのを覚えています。

我ながら的確な表現だと思います。

北海道といえばジンギスカンが今では代表的な食べものですが、昭和30年代40年代前半は、まだまだそれほど浸透はしていませんでした、と言うか、高価で我が家では買えなかったんだと思います。

父は魚釣りがそれなりに好きで得意でしたが、夏に近所のご家庭と十勝川に行ってバーベキューをしました。

子供らは川遊びをして、スイカを冷やして、父親連中は魚を釣っていました。
落ちている流木で火を起こして河原の大きな石を焼いて、その上で釣ったばかりの魚を焼いて食べたものです。

釣りたてですから勿論臭みもなくって、美味しかったのを覚えています。

兎に角、野菜も魚も豊富で新鮮で、日々産地に埋もれて生活していました。

今思えば、この子供の頃の体験によって、自然と私の味覚は鍛えられたと思います。

化学的ではない五味と旨味を毎日体験できたことは、とても幸せなことと思います。
勿論、今の職業にも役立っています。

今は勿論、きちんと出汁をひいた味もわかりますし、科学的な味も判断がつきます。
どちらも使いこなしていますが、味の原点は子供の頃に体験していた天然の旨味だと思います。

諸説がありますが、味覚は3歳までに鍛えられると言われています。

子供の頃の体験は今では財産でもあり、時代と環境と親に感謝しております。

たまたま裕福では無い環境で育ったことで、想像力と空想力は豊富になり、手先は器用になり、立体的な空間構成力は訓練されて、味覚は鍛えられました。

私は16歳で今の仕事をやることを思いついて、それだけをやって来ましたが、その原点は全て子供の頃の体験に基づいております。

得意なこと好きなことを仕事にできた、幸せな人生だと思います。

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