須田光彦 私の履歴書25
宇宙一外食産業が好きな須田です。
新しい事務所は、設計と施工をセットで受注していました。
現在の建設業界は、施工をいくつかの協力会社に分散して発注することが一般的です。
内装工事、設備工事、厨房工事、サイン工事など、ある施工範疇を一括して請け負える企業に発注することが一般的ですが、ここは、大工さん、左官屋さん、鉄骨屋さん、壁紙屋さん、水道屋さん、空調屋さん等と、工事ごとに直接職人さんに発注する、分離発注という手法をとっていました。
当時は、一括発注と分離発注の端境期のような時代でした。
一括発注の方が、元請の業務は簡略化できます。
でも、その分下請けから上がってくる金額は上がり、元請の利益が減ってしまいます。
利益を確保しながら、ある程度以上のグレードの仕事をするためには、分離発注の方が利点は大きいと言えます。
しかし、発注サイドの設計力と施工管理能力の高さと、最も大事なことは現場の納めを知っている必要があり、職人さんからもそこを要求されます。
まず私が大きな壁にぶつかったのは、この施工的な納めの問題です。
設計者としては1年の経験しかありません、
納めを知らないのが当然ですが、それでは現場の仕事が進みませんので、 知らないとは言えません。
最初の設計事務所では納めは覚えるな、納めに縛られて発想が貧弱になるから、納めは施工サイドに任せるものだと教わっていました。
これが前の所長の持論でした。
なので、しょっちゅう現場で細かな変更がありました。
設計業界の常識をまだ全く知らない状況で、最初に教わったことです、 どこでもそういったもの、それが、業界の一般常識と思っていました。
でも、最初の事務所でもコンパクトな厨房を創ることを命題に、私は設計をしていたので、仲良くなった工務店の担当者に、各部材のサイズを聞いて 図面を書いていました。
この部材のサイズを読み間違えると、施工的な強度が保てない、予定していた厨房機器が入らないなど、大きな問題が発生することがしばしばありました。
図面では納まるけれど、現場に行ったら納まらない、そんなことがイトーヨーカドー時代は何度もありました。
図面の説明を、工務店の営業マンに伝えているときに、
「完成後のイメージだけ伝えてください、あとはこちらで何とかしますから」と、言われて、
「あぁ そんなもんなのか そうやって物はできていくんだ」と、考えていました。
ところが、新しい事務所ではこの「完成後のイメージだけ伝えてください、あとはこちらで何とかしますから」を、自分が何とかしなければならないわけです。
それまではどこか施工屋さんに “おんぶにだっこ” していたことが、全て自分が描く図面の責任になってきます。
今迄は、施工サイドが考える “納めやすい納め方” で現場が進み、ある意味、設計者のわからないところで、納めも金額もいいようにされている部分もあったかもしれません。
施工のことはわからないので、施工サイドの言うことが100%の正解だと思っていました。
ところが、完成形は同じでも、施工法で強度も工期も金額も、全く変わってくることをここで知ります、坂田さんから学びます。
坂田さんの教えから、“知らない” ということは、罪なことだと知りました。
お客様に損をさせていたかもしれないと、この時、強烈に学びました。
1年目は何も知らなかったから、施工屋さんにいいようにやられていたかもしれないと感じました。
勿論、1社目でお付き合いしていた施工屋さんは、イトーヨーカドーから施工受注の許可を取り付けている大きな企業ばかりです。
そんな酷い工事をしている会社は1社もありませんでしたが、世の中の一般論として施工を知らない設計者は、施工サイドに騙されたとしても見抜けずに、クライアントを守ることが出来ないんだと、学ばせていただきました。
納めがわからずに悩んでいると、坂田さんがやってきます。
坂田さんとは、デスクが隣でした。
納めがわからないので、私はついつい独り言が出てきます。
悩み事が大きく解決までの時間が長くなるほど、独り言が増えて声がだんだん大きくなってきます。
すると、
「おっ スー 煮詰まってるね! どこがわかんないのよ?」と、聞いてくれます。
私は坂田さんにスーと呼ばれていました。
最後の最後まで、二人きりの時は“スー”と呼んでくれました。
私は人に頼るのが下手な性分で、人生でも大きなロスをしていると思いますが、忙しくしている坂田さんの手を止めることが出来ずに、悩みを抱えていました。
そんな時は、坂田さんがやってきてくれました。
図面を見て、ニカッと笑って、一言、
「バ~カ」
いつも同じでした、「バ~カ」と言いながらしっかりと教えてくれます。
微に入り細に入り教えてくれました。
この時の私はまるで、“パブロフの犬”状態でした。
「バ~カ」 ➡ 「教えてもらえる」
この構図が成り立っていました。
実は、この設計事務所では図面をちゃんと描けるのは、坂田さんともう1人しかいませんでした。
ただ、このもう1人の人の図面は抜けが多くて、施工屋さんからはあまり評判が良くありませんでした。
そんなこともあって、図面を描けるだろう、描かせようということで、私は採用されました。
入社してから半年間は工事現場を経験させて、ある程度施工を理解させよう、理解出来ただろうということで、いよいよ設計をさせてみることになりました。
ところが、いざ図面に向き合うと、施工を、納めを見ているようで、そこまでの注意を払って集中して見ていなかったことに、自分自身で気づきます。
心底悔みました。
半年間が無駄になった気がしました。
目の前に本物が展開していたのに、熟練の職人さんたちが技を駆使して施工をしていたのに、景色を見るようにしか見ていませんでした。
本物の凝視も、傾聴も、出来ていませんでした。
なんと愚かなことだったのか、大きな夢を持って飛び込んだ世界で、なんと馬鹿で無駄な時間を過ごしてしまったのかと後悔しました。
が、そんなことはもう言っていられません。
坂田さんからすべてを吸収すると決めて、図面の描き方を、施工的な納めを学びました。
ついでに、電話の出方も、会話の仕方も、ギャグも、笑い方も、本当にいつもコピーしていました。
金魚の糞という表現がありますが、この時の私は完全に糞でした、坂田さんの陰となっていました。
納めを教わり、自分なりに図面に表現して、坂田さんにチェックしてもらい修正をして、何度も描き直して、やっとOKを貰います。
納期はもう迫っています。
職人さんからは、図面の催促の電話がバンバン入ってきます。
電話に出られない私は黙々と描くしかなく、坂田さんが職人さんと馬鹿な話で盛り上がって、職人さんのガス抜きをしてくれています。
そんなデザイナーとしての2年目でした。
そもそも、この事務所は5年で卒業する計画です。
5年で10年分の仕事をしよう、5年で10年分の経験と知識を得ようと思って入社しました。
なんでも、どんなことでも、人の倍はやろうと決めていました。
この納めの図面を描けない経験から、世の中に展開していることを常に吸収しようと、肝に銘じました。
施工方法を自分はまだ知らないだけで、世の中には沢山の完成された施工物があります。
お店も家もビルも、なんでも溢れかえっています。
その建築物を見て、どうやって施工しているんだろうと、頭の中で図面化することを日常にしました。
当時は、手書きで図面を描いていました、コンピューターが出てくるずっと前です。
いつも頭の中のスケッチブックに、納め図を描いていました。
それだけではありません。
食事に行くと、お店の仕組みを凝視しまくります。
それまでも、お店は観察していましたが、プロの世界に飛び込んでからは見方も、見る箇所も、見ながら考えることも、全て変わっていきました。
独立してからは、自分の会社の若いスタッフにいつも言っていました。
「あのね、デザイナーがお店に行って、ご飯食べてお金払って出てきたら馬鹿だよ、そのお店から何か盗んで来ないと!」
「メニューブックとかを盗むことじゃないよ、お店のレイアウトやオペレーションの仕組み、ここをこうやればもっと効率が良くなる、こうすればもっと売り上げが取れる店になる、こうなればもっとカッコ良くなると、そう思いながら食事しないと、美味しかった、おなかいっぱいになったなぁは、 それは素人さんがやること、プロがやることではないよ」
「1日3回しか食事をするチャンスがなくって、そのうち1回は朝食だから 外食はしないよね、すると、たった2回しか外食をするチャンスがないんだよ、そのたった2回のチャンスで何を盗むかで、この後のあなたのデザイナーとしての成長度合いも価値も決まるよ!」
「で、どうすんの? その意図をもってお店に行くの? 行かないの? 2年後3年後、大きく人生が分かれているよ!」
何度も、何度も、何度も、言いました。
ラーメンを食べに行けば、カウンター越しに厨房を覗かせて、居酒屋に行けばレイアウトを書かせて、トイレの位置がどこかをクイズにして、イタリアンに行けばテーブルに何が乗っているのか、ピザは何分で焼けるのかを、 いつもスタッフに質問しながら学ばせていました。
きっと、スタッフにとっては、大迷惑だったと思います。
落ち着いて食事はできないは、口うるさくここを見ろ、あそこを監査してこいと、私とお店に行くたびに言われて、もう勘弁してくれと思っていたと思います。
正面切って不満を口にするスタッフはいませんでしたが、その態度がすべてを表現していました。
でも、私の修業時代は、今のようにインターネットがあって、なんでも情報が獲れる時代ではありませんでした。
今は無駄な情報も、嘘の情報も蔓延しています。
私は、幸いなことに、常に本物を経験していました。
経験することでしか、学べない時代でもありました。
ネットでは一部を切り取って表現し、あたかも全てのように信じ込ませています。
多くのまやかしも潜んでいます。
今は「熱いよ」と教えられれば、そうなんだと信じて、誰も本当に熱いものに触ろうとしません。
触ったことがないくせに、「それ 熱いですよ やけどしますよ」などと尾ひれまでついて、リツイートというヤツをしてきます。
私は「熱いよ」と言われて、
「ウン? どの程度熱いの?」と、実際に触ってきました。
それほど熱くないことがほとんど、まったく熱くないことも、ギリギリ我慢できる程度の時も、逆にやけどをしたことも、沢山沢山経験しました。
そうやって、一つひとつ本物は何かを学んで、体得してきました。
これは、比喩ですが、一度ステーキを食べに行ったときに、
「鉄板がお熱いのでお気を付けください」と、
言われているときに、実際に鉄板に触ってみてください。
実は、それほど熱くはありません。
お客様にやけどをされては困るので、アツッというぐらいの、我慢できる程度のお店が沢山あります。
勿論お店によっては、ハンバーグのソースと脂がジュージューはねている鉄板もありますので、注意はしてください。
言いたいことは、情報だけの場合と、実際に経験するのとでは、大違いなことが世の中には沢山あり、無駄に情報だけが蔓延しているということです。
情報に踊らされて頭でっかちになってはいけないと、今は特に強く自戒しています。
坂田さんに教わったことに話を戻します。
納めをなんとかかんとか、半年以上かけて理解してきました。
勿論、覚えることは無限大に思えるほど、まだまだ存在しています。
何とか一般的な施工範疇のことは、ほぼ理解して描けるようになってきました。
図面を描いて、職人さんと打ち合わせして、職人さんから教えていただき、現場で実際の納めを観察して、職人さんの言葉を傾聴して、それを幾度となく繰り返して、やっと何とか認めていただける図面が描けるようになってきました。
この時思っていたことは、
「今の目の前の現象は、人生で1度きりだ」
「今、誰かが発している言葉は、人生で1度きりだ」
「絶対に逃してはいけない」と、
強く思っていました。
それこそ本当に、“全集中”で24時間生活していました。
今はやりの漫画でも言っている通り、“全集中”は、非常に疲れます。
でも、やるしかありません。
成長のためには、目指すプロになるためには、一瞬も無駄にできません。
矢沢永吉が、成り上がりの中でこう書いています。
「1回目、さんざんな目に会う」
「2回目、落とし前をつける」
「3回目、余裕になる」
「人生はこうやって成長するんだよ!」
実社会に出て、この言葉は真実でした、本当でした。
強く強く実感しました。
何度、この言葉に助けられたことか。
1回目は、ホントさんざんな目に会ってきました。
2回目で、何とか出来るようになります。
3回目は、もう余裕でこなせます。
ですから、いつも1回で覚えよう、1回で改善しよう、1回で考え方を直そうと、それが出来なければ正真正銘の愚か者、馬鹿だと思っていました。
だって、永ちゃんがそう言ってるじゃん!と、言い聞かせてきました。
変化することを恐れずに、変化できる自分を楽しんでいました。
電話に出るなと言われたのが、入社した年の秋ごろです。
翌年の春過ぎに電話に出てもいいと言われましたが、このころは毎日毎日社長に怒られていました。
半年過ぎてから、事務所での時間が長くなるのと比例して、社長にチマチマと怒られまくりました。
体力だけはあったので、現場では体力勝負の危険な仕事ばかりなので、何とか自分の良さを発揮できることをと思って、頑張っていました。
でも、事務所に戻ってくると、何かと注意の嵐がやってきます。
ある時は目つきが悪いと言われ、誤魔化すために髭を生やせと言われます。
次の日から髭をそらずに会社に行きます。
すると不潔だとか、だらしないだとか、生意気だとか、似合わないだとか、もうさんざん言われますが、社長の言いつけなので、我慢して髭を生やしました。。
もう、いろいろ言われすぎて、ここでは書けないことも沢山言われていましたが、毎日の生活の中で、本当に細かく細かく怒られていました。
余りにも怒られ続け、一挙手一投足ありとあらゆることでダメ出しをされ、人格も否定されて、さすがに心理的にやられて、限界が近づいていました。
そんな状況が続いているときに、図面で大きな間違いを犯してしまいました。
2年目の初夏のころだったと思います。
その結果、ほぼ最後通告のようなことを、社長に言われてしまいます。
残りの1か月で劇的に改善しなければ、クビだと言われてしまいました。
残りのたった1か月で劇的は改善とは、到底できそうもないことを言われてしまいました。
そもそも、劇的な改善の具体的なゴールが、この時の私には理解ができません。
この時、救ってくれたのが坂田さんです。
坂田さんの一言がなかったら、この時にデザイナーを辞めていたかもしれません。
夢を、あきらめていたかもしれません。
今、たまたま脚本家の方と、お付き合いがあります。
以前その方と私の妻と3人でお茶をしているときに、夢があったとしても、出来ないことを続けることはつらいという話になりました。
出来ないとわかってしまったことを継続することは、地獄の苦しみだよねと、一般的に言われていることを、脚本家の方と妻はお話ししていました。
それを聞いていて、“それは違う” と、私は反論してしまいました。
「本当に地獄なのは、出来ないと思って夢をあきらめた自分を認めることであって、出来ないことを克服するための努力なんて、本当の夢をあきらめて一生を送る地獄と比較すれば、なんてことがないんですよ。 あきらめることができる程度の夢は、あきらめられる程度の夢でしかないんだよ、そもそもが。 本当の夢をあきらめることの方が、どれほどつらいか。 それを知らないから言えるんだよ、出来ないことはつらいだなんて。 だって、世の中にはその人が出来ないと思っていることが、簡単に出来ているプロの人が沢山いて、ただその出来ているプロの人達は、単純にできるまで努力を継続しただけなんだよ」
「最もつらいことは、夢をあきらめることであって、努力を継続することではない、夢をあきらめることの方がどれほど辛いか 私はそう思います 持論です」と、語ってしましました。
身勝手な私の持論です。
勿論、聞き流して頂いて一考に構いません。
この持論は、このデザイナー3年目の時に、社長に最後通告されて夢を断ち切られそうになった時の経験から、あふれ出た言葉でした。
本気で思います。
ペレが、マラドーナが、ジーコが、長嶋茂雄が、イチローが、カズが、本田圭佑が、塩田剛三が、大山倍達が、永ちゃんが、板垣さんが、夢をあきらめるとは、とても思えません。
本物の夢をあきらめることの方が、地獄だった方々ばかりだと思います。
勿論、私にとっても同様にあきらめることは、できませんでした。
なので、坂田さんの一言で、また闘争心が復活しました。
そんなこともあり、今、私があるのは坂田さんのおかげです。
断言できます。
それ以下でもそれ以上でもありません。