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意外とウケないのかも / 「トーマス・クラウン・アフェアー」

最近こういう映画がないなァ、と思って調べてみると、「トーマス・クラウン・アフェアー」は1999年の映画だった。ニューヨークの富豪である企業経営者、トーマス・クラウン(ピアース・ブロスナン)が、盗まれた絵画の調査に来たキャサリン(レネ・ルッソ)と恋の駆け引きをする、という、ただそれだけの映画である。
なぜこういうシンプルな映画が撮られなくなっているのか。それはおそらく、スタジオの収支が優先されるハリウッドのせいでもあるし、そもそも観客がインターネットなどを通して下手に"頭でっかち"になっているせいで、ただ恋を楽しむという余裕がなくなっているせいかもしれない。本作の2年前に「タイタニック」が公開され、どうせ恋愛映画を撮るならあのくらいは、という皮算用もあるだろう。
5代目のジェームズ・ボンドとして有名になったピアースは、どうしても"いい男"っぷりが邪魔してしまい、俳優としては伸び悩んでしまった。「さよなら、僕のマンハッタン」での父親の役にしても、こんなにイケメンの父親はいないだろう、という、およそ映画とは関係のないことを考えてしまう。ちなみに、ピアースが初めて主演した007シリーズ「ゴールデンアイ」でのボンドカーが僕のかつての愛車だった。
さて、映画ではメトロポリタン美術館からモネの描いた「黄昏のサン・ジョルジョ・マッジョーレ」を盗み出すのだが、その犯行の前にトーマス・クラウンはゴッホの「昼寝」を見て、この絵の方が好きだ、と語るシーンがある。僕は画家のなかでゴッホがいちばん好きなので、絵の分かる男だ、と勝手に嬉しくなった。モネの絵画は色彩とタッチが波のようにうねり、夢の中で見る光景のような印象を残すが、ゴッホの絵は波打つ筆遣いをしていながら、現実を白昼夢に見せるくらいの、絵画の勢いとでも言うべきものがある。これはおそらく本人が狂っていたことと無関係ではないだろう。
トーマス・クラウンは富豪にして、気遣いのできる男である。キャサリンもまた、目先が利く女だ。こういう似た者同士が互いに惹かれあうことは自然の摂理だろう。人間は、じぶんと同じレベルの者としか一緒にいることができない。これは残酷な真実である。類は友を呼ぶ、これは夫婦でも友人でも常に当てはまる現実であり、いつも1人でいる者は、よほどの才能に恵まれているか、ただの社会不適合者か、その両方だ。
トーマス・クラウンのような男が本当に好きになる女は、滅多にいないだろう。そういう意味でこれはシンプルな映画であるがゆえに、客層を選ぶ映画かもしれない。「タイタニック」のジャックのような男の方が、世間には受けが良いのだろう。

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