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どちらが untouchable なのか

1995年にリリースされた2Pacの大ヒット曲 California Love を聴いていた当時、気になる一節があった。
A state that's untouchable like Eliot Ness
映画『アンタッチャブル』をまだ観ておらず、エリオット・ネスという人名について調べることもないまま時が過ぎ、ずいぶん経ってからこの歌詞の意味を知った。
アル・カポネを追い詰める捜査官たちが untouchable なのだと劇中で言及され、この映画を観た当時はケヴィン・コスナー演じるネス捜査官たちを応援したものだが、もちろんこのタイトルは、アル・カポネ率いるギャングと結託する行政の側も指している。
いつの世も、大勢のつくる枠組からはみ出る人はいるものだし、むしろそういう人たちのいない組織は狂っている。言い換えると、はみ出る人を全て枠組の中に入れてしまおうという力を暴力と呼んでいい。2PacやDr. Dreをはじめとするラッパーたちは、今日に至るまでそういうことを歌詞で訴えている。残念ながら、日本列島では大勢は一様であるべきだと考える傾向が極めて強い。
史実はともかく、劇中でアル・カポネたちギャングはネス捜査官らによって成敗されるわけだが、このような「主人公とその敵対者」という舞台設定は古事記でもオデュッセイアでも共通する手口だ。何よりも分かりやすい。ゆえに、主人公が何かと敵対しない物語は、大方の客の興味を惹きつけにくいということだ。ほとんどのブロックバスター(大ヒットした映画)は、まず初めに主人公が何者かによって攻撃されることで幕を開ける。
映画『アンタッチャブル』がユニークだった点は、まず敵役すなわちアル・カポネのシーンから始めたことだ。アル・カポネが untouchable であり、銃を構えてドアを壊して乗り込んでくる行政と戦う話、という風にも観ることができる。カメラがケヴィン・コスナーをたくさん追いかけていたというだけだし、どちらが good であるかということは、客が勝手に決めることだ。そもそも、どちらかが good である必要もないのだが、大勢の人はそうでないと腑に落ちないのだ。実際に劇中でも、老年にしてパトロール担当の警察官ジム・マローン(ショーン・コネリー)が、主人公のネス捜査官と good cop であることについて少し話をしていた。何を重んじて生きるか、ということが人によって異なるのだから、good のような価値を伴う単語は、口にしやすいからこそ注意深く使われるべきだろう。
2Pacの曲に登場するくらいヒーローとなったネス捜査官は、その晩年に自伝を書いたそうだ。映画もそれを参考にして撮られたらしい。命を賭けて国のために戦う捜査官という役回りが大衆に受けるのだろうが、僕にはそのような使命感が微塵もないので、どうしても観ていて鼻白んでしまう。007のように、酒を飲んで女を抱いて、ついでに仕事もした、くらいのジョークとして演出されるものの方がずっと好きだ。何かに没頭する人物は、はみ出た部分のない、魅力なき者として僕には映る。こういうこと書いている僕は少なくとも untouchable ではないのだろう。

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