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アメリカは何を探しているのか / 「モーリタニアン 黒塗りの記録」

アメリカの政治は、映画を観ているだけでほぼフォローできるくらい、あらゆる出来事が映像になっている。2001年の事件以来、アメリカがグアンタナモ湾収容キャンプ(通称 GITMO)において、不当な拘禁と虐待を繰り返していることはご存知だと思う。むしろ、そんなことも知らない人は映画なんて観ている場合ではない。
さて、以前に紹介した映画「ザ・レポート」は、この施設の実情を開示させようと民主党のスタッフたちが頑張るという映画だったが、もちろんオバマやバイデン政権においてもGITMOは閉鎖されておらず、司法の判断に国が控訴するということも行われている。
さて、モハメドゥ・ウルド・スラヒというモーリタニア人の青年は、2001年11月にモーリタニアの警察に連行されて以降、GITMOで拘束され、釈放されたのは2016年のことである。スラヒには担当の米国人弁護士が付いたため、その獄中での貴重な手記は保護され、"Guantanamo Diary"として出版されベストセラーになった。2021年の映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」は、あまりにも凄惨な獄中での出来事と、米国政府を訴えて勝訴し、釈放されるまでの経緯を描いたノンフィクション・フィクションだ。
スラヒの弁護士役にジョディ・フォスター、米国の検事をベネディクト・カンバーバッチが演じ、この2人がスクリーンの中をシリアスな雰囲気で統一していたが、しかしなによりも、スラヒを演じたフランスの俳優、タハール・ラヒムが良かった。アラビア語とフランス語を流暢に操り、片言の英語で看守たちと話す姿は、スラヒとはこういう人物だったのかと納得するだけの説得力があった。
司法が開示するよう命じた資料によって、アメリカ人すら絶句するような収容キャンプの実態が明らかになっていく、いわゆる"法廷スリラー"だが、これはなかなかの佳作である。本作のケヴィン・マクドナルド監督は2006年の「ラストキング・オブ・スコットランド」などの作品で知られるが、14年もの拘束の年月をうまく物語としてまとめたと思う。
さて、こうしたリスクを承知の上で米国は何を目指していたのか。ブッシュ政権においてどのような力学が働いていたのかということは2018年の映画「バイス」などで描かれていたが、ほとんどの収容者が起訴されていないという現実を見れば、その目的が"犯人探し"でないことは明白である。おそらく、米国は幾らかの収容者を"協力者"に変えて釈放することが目的の一つであろうし、また、極限状態における人間の精神の状態を観察するための人体実験でもあっただろう。
司法によって裁かれるリスクを負ってでも、アラブ社会に協力者のネットワークを構築したかった米国の必死さの現れがGITMOなのだ。こういう映画を観て「虐待がひどい」とか「アメリカ最低」などと言うことは簡単だが、ではなぜアメリカはここまでのリスクを背負う必要があったのかということに目を向けなければならないのだ。軍も政府もバカではない。非道を承知で収集した"情報"には、たとえ敗訴してでも欲しかった何かが含まれているのだ。その何かについて、我々観客が生きている間に知ることはおそらくないだろう。
しかし、この件を通じても分かることだが、アメリカは三権がほぼ独立している。刑事司法において取り調べに弁護人が同席できず、有罪率が99.9%の列島に住んでいると、ここは収容キャンプみたいな国だと思えてくる。

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