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離れている愛 / 「ひまわり」

ソフィア・ローレンを見ると、パピルスの巻物に描かれた美女を思い出す。
イタリアの伊達男、マルチェロ・マストロヤンニと共演した「ひまわり」では、ロシアとの東部戦線に派兵された夫を待つ妻の役でその美貌を振りまいた。
さて、この映画は”愛を確かめ合うように別れる二人”という悲哀のドラマとして、ラストシーンのミラノ中央駅が観客の印象に残っていると思う。戦争によって現地に何らかの事情で取り残された兵士たちの中には、そのまま定住する者が少なくないことは周知の事実である。過去を捨てるというより捨てざるを得なかった人も数多くいることだろう。本作は映画なので、ジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)に再び会うことができたが、ほとんどのアントニオは本国で”戦死”となった。劇中でアントニオが何度も呟いたように戦争は不合理 (bruto) なのだ。
では、もしジョヴァンナがロシアまで訪ねてこなかったら、アントニオはイタリアへ一時帰国しただろうか。しなかっただろう。見せたくない姿を晒すことになるからだ。しかしアンポンタンゆえに、ジョヴァンナに再会するとつい「一緒に行こう」と口から出てしまう。
では、ジョヴァンナに赤子がいなかったら、二人は駆け落ちしただろうか。
仮に駆け落ちしたなら、モスクワの妻子がジョヴァンナと同じ目に遭う。それが分かっているからこそ、ジョヴァンナはモスクワの駅でアントニオを見た時に身を引いた。僕がアントニオならそのまま行かせて連絡はとらないだろう。傷口が広がるだけだからだ。「アントニオのバーカ」と、ジョヴァンナにとって早く新たな人生が開く方が良い。
つまり、この映画はメロドラマであり、観客のお涙頂戴なのかもしれないが、これではアントニオもジョヴァンナも一生癒えることのない傷を抱えてしまう。アントニオはモスクワの妻子とどんな気持ちでこれから過ごすのか、ジョヴァンナは旦那と赤子にどんな顔をするのか、そのことばかり気になってしまう。ミラノへは行くべきではなかったのだ。モスクワの妻子を捨てて駆け落ちすれば鬼畜の所業なのだから、ジョヴァンナがそれを望むとも思えない。「申し訳なかった」だけ言えばいいものを「一緒に行こう」でのけぞってしまった。離れている愛もあるのだ。
さて、この映画で有名になった、地平線まで続くひまわり畑のシーンは、現在のウクライナのポルタヴァ付近で撮影されたそうだ。ロシアが必死になって守ったこの地を、今度はじぶんたちが”侵略”しようとしていることは皮肉なことである。

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