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あらゆる日本の問題は「意見を言うな教」のせい

大手タバコ会社の不正を告発した映画「インサイダー」や、リシンの価格調整のカルテルを暴く社員を描いた「インフォーマント!」など、アメリカには内部告発をテーマにした映画が多い。警察官による暴露なら映画「セルピコ」があるし、軍を告発するものは「告発のとき」をはじめ枚挙にいとまがない。内部告発者保護法をはじめ複数の法律が制定されていることも大きな理由だが、アメリカやヨーロッパはどこかの列島と異なり、公(public)という概念を教育されていることが大きい。そもそも、この国には公益に資する告発をする人を保護する法律が一つもない。(ザル法ならある)  戦後に国会で多数を占めてきた連中と、その者たちに政治資金を渡してきた企業や団体のことを思い出せば良い。
先日も鹿児島県警において、県警本部長による犯罪の隠蔽を告発した元生活安全部長が逮捕された。こういう告発が滅多になされない国なのはなぜか。内部告発者保護法があれば、日本人はもっと告発するだろうか。しないだろう。
小さな頃から教師と先輩の言うことに「はい」と返事することが善だとされ、まずじぶんで考えて行動する癖を身につけていない。まるで軍隊のもっとも下層における教育だが、この列島は昔からの伝統で”年功序列”が大好物なので、二等兵のような若者が欲しいからだ。こうすると、その企業であれ団体であれ、組織を維持するモーメントしか持たないことになる。こういう風に成長していく者が public という意識を持つ訳がない。
では年功序列を廃してしまえば良いのだが、これがなかなか列島で進まない理由は、小さな頃から「はい」で育ってきたため、年功序列であってほしい人が多数だからだ。このことを難しく言うと、儒教あるいは朱子学の伝統の副作用である。悪弊としか言いようがないのだが、宗教とは全てこういう害を持つものだ。意見を言うな教である。
そうして年金制度、国民皆保険、記者クラブ、再販制度、特別会計など、他国では考えられない悪しき制度が全く手付かずのまま放置されることになる。つまり、この列島の行政あるいは企業などの諸問題は、ほとんど制度の問題というより、その制度を維持、放置してきた国民の問題なのだ。
こういう国民が「じぶんで考える教育をやろう」と言っても、教師にそんな素質がないのだから、マニュアルを作ってくれという話になる。じぶんで考える教育のマニュアル、なんてオーウェルの小説の世界である。
こうして、この列島は”クソ上司”を土下座させるドラマが大ヒットする程度のレベルに成り下がった。だいたい、外国資本のことをニュースやドラマで”ハゲタカ”と呼ぶ始末なのだから致し方ない。教育の失敗ではなく、失敗教育である。
たとえば、僕は中学生の時に「はだしのゲン」のアニメ映画を学校で観て感想文を書かされた。「かわいそうと言うことは簡単だが戦争はこれからもなくならないだろう、しかし、そもそもこんな事態になるまで戦争をしていた日本に責任がある」という趣旨のことを書いたら、親が職員室に呼び出された。戦前生まれで焼夷弾から逃げた記憶のある父親は「ウチの息子は何一つおかしなことを書いていない」と怒鳴り散らし、戦後生まれの母親に手を引かれて撤収させられたそうだ。
なぜ親を呼び出したのか。なぜ教室で皆で考える題材にしなかったのか。
これがこの列島を覆う煙の正体だ。
「みんなと同じことを言え」という、意見を言うな教である。なぜ意見する者を嫌うのかと言えば、それを聞いて理解して同意なり反対なり、議論するだけの知能がないこともさることながら、意見がもし優れていた時にじぶんの立場が危うくなると感じるからだ。上司や親や先輩という”上位”の基礎がぐらつく気がするのだ。なぜなら、その基礎なんて”年齢が上”ということの他に何もないからである。ちなみに、日本は年功序列という陋習をやめろと国際機関から怒られている。当たり前である。労働生産性なんて小難しいこと以前の問題だからだ。
この列島は国民をかえる必要がある。そのためには教育も変えねばならない。しかし、いまそれを望んでいる人がどれだけいるのだろうか。

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