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ライ麦畑でブッ放して / 「タクシードライバー」

You talkin' to me?
(俺に言ってんのかコラ)

Travis Bickle

大人気のテレビドラマ「True Detective」のシーズン4に当たる True Detective: Night Country を観ていたら、主演のジョディ・フォスターが61歳にしてセックスのシーンも含めて熱演していて、ジョディが13歳の時に出演した名作「タクシードライバー」について書かねばならないような気がした。
(ここから余談)
僕にとってこのnoteは、日に1、2回の"数十分の気分転換"なので、実を言うと大作や名作について書くことが面倒くさい。どうしてもあれこれ言いたくなり、1時間以上かけてnoteを書くと、カネもらってるわけじゃあるまいし、という気分になる。僕のnoteをよくご覧になる皆様はご存知かと思うが、いわゆる"傑作"について僕がほとんど記事を書かないのは、そういう事情によるものだ。
(余談おわり)
さて、監督のマーティン・スコセッシや主演のロバート・デ・ニーロにとっても飛躍のキッカケとなった1976年の傑作は、理想と現実の狭間で揺れる人間の心を見つめたものだ。
まず、映画の冒頭から最後に至るまで、この作品は色調が調整されていて、あたかも夢であるかのように撮影されている。スコセッシのこの試みは、主人公のトラヴィスが不眠症に悩む男であることとうまく噛み合っていた。ベトナム戦争から帰還した元海兵隊員のトラヴィスは、夜な夜なニューヨークの街を彷徨い、巷に氾濫する数々の退廃した人々を嫌っている。the scum off the streets である。
こうしたトラヴィスの独白によるニューヨークの描写が、J・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を下敷きにしていることは明白だ。劇中でもトラヴィスは自らが"殻に閉じこもる"ことをしてはいけないと語っている。この映画は「ライ麦畑でつかまえて」へのベトナム戦争後の答えの一つだ。
そして民主党の大統領選の候補パランタインの事務所で働くベッツィをデートに誘うものの、うまくいかず、トラヴィスはウィザードと呼ばれている年上の同僚に相談を持ちかける。トラヴィスが抱える孤独あるいは居場所の無さの告白に対して、ウィザードは何も考えず、世間に流される方が良いと諭す。
こうした、方向の無さ、ということが本作に通底するテーマだ。すなわち、昼の世界と、夜の退廃。ベトナムとアメリカ本国。民主党か、共和党か。この二項対立ばかりの世の中で、トラヴィスは足の置き場に困り、裏社会の商人から銃を買う。
この銃はトラヴィスの暴力性を表すというよりも、トラヴィスが考えている"あるべき姿"のメタファーだと受け取らねばならない。もっと強いトラヴィス、もっとモテるトラヴィス、のように、社会だけでなく己も"変革されなければならない"というトラヴィスの苦しみの比喩と言ってもいい。ここが「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンとの決定的な違いである。
トラヴィスはパランタインを銃撃しようとするもののシークレットサービスに勘付かれて未遂に終わり、娼館の経営者や客引きなどを銃殺する。すると新聞は、未成年のアイリス(ジョディ・フォスター)を裏社会から救ったヒーローだと称賛した。もしパランタインを銃殺していれば殺人犯としてその悪名が残ることになったが、街のゴロツキたちを始末したことで一転して英雄視される、ということは、実は皮肉にもなっている。なぜなら、トラヴィスが撃った相手は夜のゴミかもしれないが、撃たれなかったことによって政治家こそが本当のゴロツキだと示唆することになるからだ。
トラヴィスが発砲の末に意識を失ってからラストシーンまでを夢、あるいは走馬灯だと解釈する批評家がアメリカには少なからずいたようだが、僕はそう受け取らなかった。なぜなら、エンドクレジットが流れる直前にトラヴィスはバックミラーに映る"何か"を見たような素振りを見せたからだ。このことによって、トラヴィスという男はこれからも"あるべき姿"に向かって進むのだというメッセージが伝わってくる。スコセッシ監督による、迷える男が自分を変えようとする話だ。鏡に向かって、あるべき姿を演じていたトラヴィスのシーンは非常に有名になった。殻に閉じこもってはいけない、というアメリカ国民へのアンサー映画である。

蛇足になるが、ここまで40分かかった。傑作について書くと疲れる(笑)

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