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個人事業主日記 2023年4月1日

息子にとっては大きな節目であり、おれにとってはいつもの4月である。

0歳から6年間通った保育園を息子は卒園した。卒園式は、まだあまり節目を実感できていない様子の子供らと、ばりばりに節目を感じる大人(保護者と先生方)のコントラストがたいそうよかった。これこそまさに希望そのものという雰囲気に包まれていた。行けてよかった。

3月中旬の卒園式後も3月末まで登園できるのは保育園あるあるのようで、翌週からも今まで通りに登園。ただ、やはりカウントダウン感はあるらしく、日に日に名残惜しくなってきたっぽい息子は、お迎えの時間を遅くしてほしいと言ってきた。そんなの6年間で初めて言われた(早く来てくればっかり)。

節目といっても、ある日ある瞬間からスパッとなんていうのは、なかなかない。あるとすればそれは、少し経った後に振り返って、今にして思えばあの瞬間が、という類のものなのかもしれない。

小学校入学を前にして息子の部屋をこさえている。赤ん坊の頃からの玩具や器具やその他で物置のようになっていた部屋に、新たな家具を入れるなどしてえっちらおっちら整えている。そのために、今まで処分の機会を逸したまま堆積し続けてきた物品の数々を処分し始めている。それを思い出と同一視すると途端に手放せなくなるが、ただの物だと思えば意外とあっさりといける。根がドライなのである。

だって現に、目の前に、息子がいるのだ。思い出に埋もれて今と未来の身動きがとりにくくなるなんて、そんなのは老人になってからでいいのだ。

物を捨てながらいろんなことを思い出す。息子は既に赤ん坊の姿ではない。本人も当時の記憶はほとんどないっぽいし、親のほうだって一生忘れないだろうと思っていたことをかなり忘れているはずだ。おむつ交換の動作、おれの手はまだおぼえているだろうか?

でも、どんなに忘れてしまったことでも、もう二度と思い出せないことだとしても、あの日々がなければ今の息子も、今の家族も、今のおれもいないのである。まったく不思議なものだと思うばかりである。

「おれにとってはいつもの4月」なんていったって、親子の生活は密接でありその変化は小さくない。すぐに小学校の入学式だ。また変わる。息子もおれも変わり続ける。何がどう変わっていくかはわからない。

息子が生まれたとき、おれの書くものがこれからどう変わっていくのだろうと考えたことを思い出す。生まれてもうすぐ7年になるけれど、結局どう変わったのか自分ではよくわからないし、たとえ子がいなくたって7年も経てば書くものぐらい変わるだろうし、あまり意味のない問いだったのかもしれない。

おれがコピーライターになったのは14年前の4月だった。コピーライターのキャリアとしては、息子といる期間の方がこれからは長くなるのだ。

息子の節目に、じっくりとした変化に、立ち会い続けていられるのが心からうれしい。

例年よりも早すぎる雪どけ、例年より早くアレルギー症状も出始めている気がする今日この頃、みなさま健やかにお過ごしでしょうか。よろしくどうぞ。

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