レトリックとロジック
開店前のバーカウンターに置かれていた空いたグラスを見つけました。
前の晩から残されたままなのか、それとも演出なのか。おそらく後者でしょう。洒落たことをするものだなと思いながらシャッターを切りました。
閉店中でも通行人の目を引くための演出なのだと思いますが、素直な気持ちでいいじゃないかと感じました。引っかかったなぁとは思いませんでした。
偶然であっても、演出であっても言葉に中身があれば届くのだと思います。あくまでも中身さえあればです。
最近、友人たちが開いてくれる幾つかの勉強会に参加させていただいていて、感じることがあります。それはテーマに上げられた事柄について、とっさに反応して自分の言葉で話すこと、借り物の言葉ではなく、自分の腹に落ちた言葉できちんと語ることの難しさです。
それも、いままでの話を遮って、突然自分の主張を始めるのではなく、きちんと経緯を踏まえ、参加者をリスペクトして話をすること。どんなにいいことを言っても、話の腰を折って割り込んでしまっては、それはそれで伝わらない。
そこで思い出したのが、濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」での西島秀俊さん演じる演出家の家福悠介の言葉です。
映画の中で中心となっているチェーホフの戯曲の台詞なのか、霧島れいかさん演じる家福音さんの脚本の台詞なのか、それとも原作の村上春樹さんの言葉なのか、そのあたりの素養がないので私には分かりませんが、とても印象に残っている台詞です。
いくら小難しい専門用語で飾ってもレトリックを散らしても、そこらで読みあさったWeb記事の言葉を借りてきても、自己啓発本に書いてあるようなことを借りてきて言葉数多く喋り散らしても駄目なんですね。
一見するといいことを言っているように聞こえても、結局中身がなくて残らない。説得力もない。
借りてきた言葉ではなく、自分の言葉で話したいといつも思っています。そのために、少しでも多く勉強して、さまざまな人と話したいと思っています。
テレビの報道番組の定点観測を趣味とする写真好き。酢豚にもピザにもパイナップルを許容します。
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