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【創作小説】佐和商店怪異集め「琥珀色の記憶」

琥珀色をした明かりのことを、榊晄一郎は今でもよく覚えている。

夏だった。晄一郎とまだ幼い弟の晃次郎とで、祖母の家へ向かう途中。
経緯は覚えていなかったが、二人で夜道を歩いていた。簡単な一本道のはずが、中々祖母の家に辿り着かない。
着かないね、と二人話していたら、目の前にパッと明かりが灯った。黄色のようなオレンジ色のような、綺麗な琥珀色。
「こんばんは。迷子かな」
落ち着いた、静かな声が降って来る。晄一郎が見上げると、全身真っ黒な着物の、顔まで黒い布に覆われた黒子のような人が立っていて。怖い、というより不思議な感じがした。
「この道を真っ直ぐ行くと、おばあちゃんの家なんだけど」
晄一郎が答えると、黒子の人は進行方向を見やってははあ、と呟いた。晃次郎の熱い手が、ぎゅっと兄の手を握る。晄一郎は何も言わず握り返した。
「どうやら違う道に紛れ込んだみたいだね。……どれどれ……」
その人は、何かを背から下ろした。暗くて見えなかったが、古く大きな葛籠を背負っていたのだ。中から、小さな提灯を取り出した。
それは火を入れていないのに、出した途端に淡く光り出す。
「これを持って行きなさい。いつか違う形で、何かを返してもらうから。君たちは面白そうだからね」
押し付けられて、晄一郎が受け取る。弟に危ないモノは触れさせられない。
「またね。ーーああ、そうそう。道中、飴売りに声を掛けられても、相手をしちゃいけないよ」
兄弟が何か言う前に、黒い人は背を向けて闇に溶けるように消えてしまった。
「……今の、おばけ?」
晃次郎が、ぽつりと呟いた。
「そうかもしれないね。でも、明かりを貰ったし、早く行こう」
晄一郎が少し屈んで弟の目線に合わせると、彼はこくりと頷いた。全く怯えた様子の無い弟に感心しながら、晄一郎は前を向く。
またしばらく歩いて行くと、ぼんやりと明るい屋台が現れた。看板には、『あめ屋』とある。二人は顔を見合わせた。
「このまま行こうね」
「うん」
通り過ぎようとして、声を掛けられる。
「珍しいね、人の子のお客さんなんて。飴はどうだい?」
屋台から、中年の男が出て来る。顔はぼやけていて良く見えない。晄一郎も晃次郎も、何も言わなかった。
「おや?無視とは悲しいじゃないか。こんなに美味しい飴を置いているのに」
悲しげな声音に、晃次郎が少しだけ屋台を見てしまった。色とりどりの美しい飴玉が、所狭しと並んでいる。
「どうだい?美味そうだろう?」
笑う男の口元が、赤く裂けている。鋭い三日月のようなそれに、晃次郎は息を飲んだ。晄一郎は男を見ずに、弟を引き寄せる。男の足元から影が伸び、晃次郎の手を引いて駆け出そうとした晄一郎を絡めて仰向けに引き倒す。
「わっ!」
「おう兄!」
飴屋の男は、晄一郎の顎を持ち上げ、無理やりに赤い小さな飴玉を口内へ押し込む。続けて二個目も入れようとしたところに、晃次郎が体当たりする。
幼子の力では大した打撃は与えられなかったが、不意を突かれ男の動きが止まる。その隙に、晄一郎は抜け出し立ち上がった。だが、男は即座に狙いを変え晃次郎を押し倒すと、同じように青い飴玉を飲み込ませた。
「晃!」
男に構わず、晄一郎は弟を抱き起こす。
「いいねえ。面白くなった。人の子はだから飽きない」
ケタケタ笑いながら、飴屋は屋台ごと消えた。
咳き込む晃次郎の背を、晄一郎は優しく撫でる。
「おう兄ごめん……。俺が見たから」
「何言ってるの。晃、すごく格好良かった」
晃次郎がパッと笑みを浮かべる。
「大丈夫?」
「うん」
晄一郎も少し笑うと、晃次郎を背負う。提灯は晃次郎が持つことにする。何が起きたか分からないが、もう危険は去ったように思えた。晄一郎は、肩を掴む手の暖かさに安堵する。食べさせられた飴玉に不安になるが、もうとにかく祖母の家に着きたい。
後は二人無言でいると、晃次郎があっと声を出す。晄一郎が顔を上げると、祖母の家の前だった。家の前にいた祖母が、二人にパッと駆けて来る。
泣き笑いの祖母に抱きしめられ、二人はようやく息をついた。

「あの後どうしたんだっけなあ」
「ん?」
昼下りの雑貨屋『SAKAIGI』。
明るい日差しが、窓から差し込んでいる。
ここは、晄一郎が営む雑貨屋。古い物、アンティークな物が主な売り物。両親から引き継いだ店。晄一郎がオーナーで、彼の妻が経理、晃次郎は店員をやっている。お客で混み合い大盛況、という店では無いため、皆副業しているが。
声を聞きつけた晃次郎は、棚整理の手を止めて兄を見た。店奥の作業台に座っていた晄一郎は、柔らかな灰色の髪を揺らし、笑って弟を見る。掛けていた黒縁の伊達眼鏡も外した。
「琥珀を仕入れたせいか、ちょっと昔のこと思い出してね」
「昔のこと?」
「ほら、あれ。おばあちゃん家行こうとして、提灯もらった話。おばあちゃんに会えた後、何か話したかな、って」
晃次郎はようやく合点がいったような表情になる。そのまま、作業台まで寄って来た。
「あれな。俺に聞くなよ。提灯もらったことしか覚えてないんだから。つか、そろそろ時効だろ。提灯もらった後のこと教えてくれても良いんじゃねぇの?覚えてんだろ?兄貴」
深い緑色の瞳が鋭く光る。晄一郎は同じ色の瞳を優しく光らせて笑む。
「もう少ししたらね。僕もあんまし覚えて無いし」
「ぜってぇ嘘」
「藪蛇だったなあ」
からからと笑って、手に持つ琥珀を箱に収める。
(あれは黒歴史の思い出だからね。晃を守れなかったお兄ちゃんとしての)
あの葛籠の人物も、飴屋のことも分からずじまいだった。しかし、あの飴玉の鮮やかな赤と青は、脳裏にまざまざと蘇る。忘れたことは無い。あの飴玉は、命を脅かすものではなかった。だが、不可思議な作用を二人にもたらしたのだ。
(赤い飴は『異界に入り込む』力。青い飴玉は『異界から無事帰る』力。何となく感じてたけど。あの数年後の温泉旅行で、晃は結局霊感目覚めちゃったし。せっかく忘れてたのに)
晄一郎は元より霊感が強かったが、飴玉のおかげで異界にも迷い込みやすくなった。
だが、同じく霊感のある晃次郎は、飴玉の力で異界に迷い込んでも無事帰ることが出来る。それで何度も助けられた。けれど本人はまだ、気付いていない。飴玉を食べさせられた記憶も失っている。
(なんて。晃も守りたい存在が出来たからね。もうそろそろかな)
いくつになっても、晄一郎にとって晃次郎はかわいい弟だ。出来るなら墓場まで持って行きたい秘密だが、晃次郎にも強い力があり、将来を約束している相手も出来た今、そうもいかなくなる時が来るだろう。
「温泉行きたくなっちゃったなあー」
「何だよ急に」
呆れた表情を向ける弟に、晄一郎は満足げに笑う。
「ダブル旅行したいねえ。僕と祥子さんと、晃と芽吹さんで」
「なっ……それは乗る」
頷いた晃次郎の耳がほんのり赤い。抑え切れず、晄一郎の口から笑い声が漏れる。
「僕の弟がこんなにかわいい」
「うるせぇ」
晃次郎は持っていた手ぬぐいで軽く兄の頭を叩くと、そっぽを向いたのだった。

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