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【創作小説】佐和商店怪異集め「幽明(ゆうめい)奇譚」

「心臓」「灯る」「知らせ」のお題をいただいて書いたものです。ありがとうございました。

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(どうにも妙な夢を見ている)

榊晃次郎は、気付いたら訪れたことのない和風の屋敷の縁側に腰かけていた。妙に暑い。
夢だな、という自覚はあるものの、目覚められない。なかなか怖い状況だが、却って冷静になって、辺りを調べることにした。
時間は夜。屋内は真っ暗で、縁側には火の点いていない蝋燭が一本、榊の側に転がっている。
火を点けないといけない、と思っているが、火を点けられそうなものが何も無い。
自分一人しか居ないようだが、背後の室内、屋敷からは大勢の何かの気配はする。
目の前の庭も、広い。赤い小さな橋が架かる池があり、側には簡単な造りだが、東屋まである。池には蛍がいるのか、いくつもの小さな灯りがあり、幻想的だ。だがやはり、誰もいない。
「どうしたもんかね」
とりあえず、蝋燭は手に持っておく。
屋敷の中は、灯りなしで探索出来ないし、したくない。
早く目覚めたい、と項垂れていると。
かたり、と背後の部屋の奥にある襖が開く音がした。榊は反射で立ち上がる。
真っ白な着物に、よく分からない図形の書かれた白い紙を顔に付けた人。暗闇で見たくない様子の姿であることは間違いない。表情は分からないが、榊を見ている。
(何だあれ)
一瞬呆然とそれを見たが、榊の方を向き、滑るようにやってくるのを認め、弾かれたように駆け出した。捕まってはいけない。本能が告げる。榊は暗い屋敷内をでたらめに駆けた。何せ知らない家だ。何処に何があるか分からない。
「出口ねぇのか……!」
後ろからはまだ、追いかけて来る気配がある。
夢のはずなのに、足が重たくなってきた。身体もますます暑い。
(追い付かれる)
心臓が、早鐘を打つ。真っ暗な屋敷の真ん中で、止まりそうになった時。
“左へ!”
静かに、けれど場に響くようなはっきりとした声が聞こえた。と、同時に、身体が少し冷えるような心地よい風を感じる。
「……すみちゃん?」
それは、菫の声だった。馴染みの声が急に聞こえて、戸惑いと安堵が同時に来る。
足は止めず、声の言う通りに進む。迷う度、菫の声が、進む道を知らせる。冷たい風がどんどん強くなる。
急に元気になった榊は、最初の、庭が見える縁側に戻って来た。
「あーー」
池に架かる橋の欄干。赤い矢羽根柄の浴衣姿の菫が、腰かけて榊を見ている。
火の灯る朱い提灯を片手に、提灯と蛍の淡い光に包まれた菫。背景と相まって、儚いような、溜息が出るような、そんな光景だった。
榊が状況も忘れて言葉を失っていると、菫はふわりと欄干から降りて来る。
我に返った榊は、急いで側に行く。菫は真っ直ぐに、榊を見上げる。
「榊さん、無事ですか」
「すみちゃん!何でここに、」
「そんなことより、蝋燭に火を」
菫は袂から、マッチ箱を取り出して榊へ渡す。
榊は初めから分かっていたように、持っていた蝋燭へ火を灯す。不思議と熱くない。
屋敷の方へ火を向けると、あの面の人はするすると奥へ引っ込んで行く。
榊と並んでそれを見ていた菫は、呟いた。
「あれは、火には近付けません」
「すみちゃん、これは何の夢なんだ」
榊の問いに、菫は困ったような顔で微笑む。
「夢、というより……まあ、良いです。一緒に来てください。戻りましょう」
菫は榊の手首を掴み、赤い小さな橋を進む。直ぐ渡り切ったと思ったら、榊の視界が真っ白になった。
「あんまり心配させないでくださいね。ーー榊さんが居なくなったら、寂しいじゃないですか」
いつになく優しい声音の菫の声が、いつまでも榊の耳に残った。

榊は、佐和商店近くの寺のお堂で目覚めた。
傍らに住職がいて、安心したような笑みを浮かべている。この寺の前で軽い熱中症で倒れる寸前だったところを、親切な住職に寄って介抱されていたのだ。
「良かった良かった。一時は、救急搬送も考えたんですが。知人の方にも、連絡しましたら直ぐ来てくださって」
「知人、」
あの、涼しい風を感じる。その方へ視線を向ければ。
「ご無事で何よりです、榊さん」
団扇で榊へ風を送りながら。菫は何てことの無いように言って、笑ったのである。

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