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【創作小説】佐和商店怪異集め「雛祭りの宴」

在庫取りで倉庫のドアを開けた瞬間、私・芽吹菫は結構な声量で叫んでしまい、榊さんが飛んで来た。
「どうした」
「あの、倉庫が桃源郷です」
「はぁ?」
人生でこの先きっと言わないであろうワードを口走ってしまったくらいには、動揺している。ドアの向こうには、晴れやかで明るい場所が広がっていた。桃の木が延々と植えられた野原。満開の桃の花が、空を隠すほどに広がる。心地よい風が吹いていて、酔いそうなほどの花の香りを運んで来る。他にも様々な美しい花が咲き乱れていた。これ、幻覚とかじゃないの?榊さんも絶句している。
「お花のお姉ちゃん!」
明るく元気な声と共に、私は手を引かれる。私の手を榊さんの手が掴んだけど、結局二人で入ってしまった。目の前には、にこにこと笑うすずちゃんがいる。お店で唯一意思疎通が出来る、お化けの女の子。
「すずちゃん」
「木のおじさんもいる!」
笑う彼女の鮮やかな赤い着物が、麗らかなこの景色によく映えていた。
「俺そういう認識なの?間違ってないけど」
苦笑いする榊さんにすずちゃんが飛びつく。榊さんは、彼女を軽々抱き上げた。振り向いても、倉庫のドアは無い。
「ここはどこ?」
「よく分かんないけど、これからひな祭りのうたげなの!お花のお姉ちゃんたちもいこ!」
「宴?」
私と榊さんは顔を見合わせる。榊さんに下ろしてもらったすずちゃんは、私の手を引いてぐいぐい歩いて行く。暖かで、気分の良い場所。
「あそこ!」
すずちゃんが指差す先には、赤い大きな布を広げ、お花見みたいな様子で楽しむ集団がいた。二十人以上はいそう。料理やお酒が沢山あり、子どもも大人もいる。もっと言うと、服装もみんなバラバラ。着物の人もいれば、現代の洋服の人もいる。榊さんと並んでポカンとしていると、その中の一人から声が掛かった。
「あらあら。現世の人が二人も迷い込むなんて、珍しい」
着物姿の女性だった。紫色の着物を着て、きっちり髪を纏めたその人は、落ち着いた様子で笑っている。
「わたしの大好きなお姉ちゃんなの!」
すずちゃんが堂々と言って笑うので、少し気恥ずかしい。
「お招きしたの。雛祭りだものね。ーー一緒においでなさいな。大丈夫。ここのものは飲み食いしても障り無いから」
促され、恐る恐る座った。すずちゃんは桃の花を見に駆けて行く。その後ろ姿が綺麗で少し切なくて、桃の花に隠れるまで目で追う。隣に、榊さんも腰を下ろした。
「雛祭りの宴、と聞きましたが」
榊さんが言うと、女性は笑って頷いた。
「そうよ。今日は、ここがどこかなんて聞くのは野暮だからね。のんびり楽しんでちょうだい。宴と言っても、そんなのはただの口実。飲んで騒いで遊べれば、それで良いの」
少し声を潜めて言った後、女性は周りを手で示して、いたずらっ子のように笑った。つられて見てみれば、確かに各々、盃を手に好き放題楽しんでいる。子どもたちも元気に駆け回っていた。
「でしょ?」
緊張が解けて、少し笑う。貰った甘酒に口を付けてから、私は改めて宴と桃の野原を見る。視界いっぱいに、桃の花びらが舞って行く。穏やかで暖かな風。甘やかな香りがそれに遊んでいて、この場所自体が、宴を楽しんでいるみたいだった。うっとりする、ってこういうことなんだと感じる。パステルみたいに淡く滲む空気が、何だか懐かしい気持ちにさせた。呼ばれているような。ずっと昔にも、こんな景色がーー
「すみちゃん」
優しい声に、私はその方を向く。榊さんが、菱餅を持っていた。優しい桃色と若草色のそれに、少しほっこりする。
「今日は雛祭りの日だったな」
「そうですね。雛人形、毎年実家で飾ってます」
受け取って食べた菱餅は、ほんのり甘い。
「雛人形も用意したりするんですか?」
榊さんが聞くと、女性はにっこり笑った。
「そろそろおでましよ」
「え?」
榊さんと口を揃えて言った時、神楽みたいな和楽器の響きが鳴り響いた。皆、動きを止めてその音楽の方を見る。十二単衣、というのか。お雛様の格好そのものの女性が、穏やかに笑いながら歩いて来る。そのお雛様の手を取り、やはりゆったりと笑って歩いて来る男性が傍らにいた。こちらも、お内裏様の格好。二人とも、一目見て豪華と分かる色彩豊かな着物、飾りを身につけ、光り輝いて見える。神々しい。
「凄い……」
「お姫様みたい!!」
いつの間にか傍らに戻って来たすずちゃんが、目をキラキラさせて二人を見ている。分かる気がした。
「一年、災厄無く無事に節句を迎えた娘たちが寝静まる頃、それを祝って雛人形たちの想いがああしてお雛様とお内裏様になるの」
女性の説明を聞きながら、私はまた二人を見る。専用の席を用意された二人は、穏やかに笑って白酒や料理を受け取っていた。上手く言えないけど、今とんでもなく凄いシーンに居合わせてるんだろうな。
ざあっと風が吹き、花びらが青い空へ帰って行く。私も、無事に節句を迎えてきた。もう危うい子どもではないけれど。あの美しいお雛様たちの中に、私のお雛様たちもいるのだろうか。居るのなら、嬉しい。
「きれーだな」
ぽつりと呟いて、榊さんが私に自分で持ってた赤い盃をくれた。新しく注がれたらしい甘酒の白い水面に、薄桃の花びらが一片、浮かんでいる。そのまま、私の空いた盃を取る。私は甘酒の入れ物を持ち、榊さんの手にある盃へ甘酒を注ぐ。
「サンキュー」
「交換なんてどうしたんですか?」
「ん?いや、丁度桃の花びらが乗ってきれーだったから。まあ、後は」
榊さんが私を向く。深い緑色の瞳に、暖かい光が照っている。吸い込まれそうで、目が離せない。
「すみちゃんが、俺から離れないように」
にやっと笑って、榊さんは盃を仰ぐ。私は目を逸して、甘酒を全て飲み干した。桃の香りが、私の中へ溶けて行く。私だって、離れたくないから。
「ありがとうございます」
「お花のお姉ちゃんどうしたの?顔真っ赤!」
すずちゃんが私の顔を見てそう言ったから、榊さんが笑い出した。女性も、今年も良い宴ね、と言って微笑んだ。
春が直ぐそこまで来ている。

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