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【創作小説】剣と盾の怪奇録「奇異の目」

朝。
旭は、起きて気が付いた。部屋のドアが少し開いている。開けっ放しで寝てしまったのだろうか、と首を傾げながら閉めようとして、手が止まる。ドアの隙間の闇から、目が一つ、旭を見ていた。旭は深呼吸をして、ドアを全開にする。目は無い。誰もいなかった。
(寝ぼけてただけか)
旭は息をつくと、着替えて部屋を出た。

だがそれから直ぐに、旭は自分が寝ぼけていた訳でないことが分かった。
朝食を食べている時、支度をしている時、家を出て、大学に向かっている時。棚、窓、ドア、側溝の蓋等々、全ての場所で、隙間という隙間に目が有り、旭を見ている。
(頭でも打ったかな。目の病気?それとも精神疾患とか……)
旭は落ち着かないまま、大学で一日を過ごした。
いつもどこかからか視線を感じ、目が視界に入って来る。ギョロリと、旭を見つめる目。
友人にそれとなく聞いてみても、やはり数多の目が見えているのは、旭だけだった。
大学が終わった後、旭はどこにも寄らず家に帰った。帰り道も、あちこちに目、目、目。
(参ったな……気分悪いし、気味も悪い)
家に帰り、旭は真っ直ぐに部屋に入った。布団を敷いて、タオルケットを被り、倒れ込む。目を閉じて、深呼吸した。
(どうなっているんだろう)
閉じた目に手を当てて、旭は違和感に気付く。何かが、両目に張り付いている。長方形の紙を横向きにしたような、何か。慌てて目を開けても、旭の視界はいつも通り。スマホに写した顔にも、何も異常は無い。
「何だろう?これ」
(透明の紙でも貼ってあるみたいな)
取れるか試してみても、取れない。旭の指は、それをすり抜けてしまう。布団の中で呆然としていると、ノック音がした。
「旭、帰ってるよな?開けるぞ」
叔父である弥命の声。旭はタオルケットを頭から被ったまま、起き上がった。
(叔父さん、家にいたんだ)
いつもなら、旭は帰ったら居間や台所に行くが、今日は部屋に真っ直ぐ入った為、気付かなかったのだ。何より、旭にそんな余裕が無かったのである。
「はい」
ドアが開く隙間に、また、目がーー。
旭は俯いて、目を閉じた。
(もう、目は見たくない)
弥命は頭からタオルケットを被り、座って俯いている旭を見つけて目を丸くした。
「うお、調子悪いのか?」
弥命が近付いても、旭は顔を上げなかった。
(様子がおかしいのはそうだが。珍しく、分かりやすいな)
居間にも台所にも来ず、常には無い逃げるような旭の足音が不思議で来てみた弥命は、内心苦笑いを浮かべる。
「旭?」
屈んだ弥命の手が、タオルケットをふわりとめくった。憔悴しきって俯き、目を閉じている旭がいる。弥命はそんな旭に、消えてしまうような儚さを覚え、一瞬言葉に詰まった。タオルケットを握る旭の手が、僅かに震えている。
「叔父さん……」
(何て説明すれば良いんだろう?)
旭が恐る恐る目を開けると、弥命の黒地に赤と金の花火柄のシャツが飛び込んで来る。
(……綺麗だけど。今日も派手な柄だな)
現実逃避。旭の頭は上手く働いていない。弥命が先に口を開く。
「どっか痛いのか?」
「いいえ」
「熱は?」
「ありません」
弥命からの短い質問に、旭は俯いたまましっかりと返答を返す。
「俺の顔を見ないのは、関係あるか?」
「……はい」
微かな声になったが、それでもしっかりと肯定する旭を見、弥命は顎に手をやる。
「何か、俺にバレるとやべー悪事でも働いた?」
「……もしそうでも、こんなことしてないで、直ぐ謝りに行くと思います」
呆れたような旭の言葉に、弥命はくつくつと笑う。
「だよなあ」
弥命の言葉を聞いてる間にもまた、旭は視線を感じる。
「あの。この部屋に、僕たち以外誰もいませんよね?」
「いないぞ」
「……そうですか」
そう聞いても、あちらこちらから絡むような視線を感じて、旭は落ち着かない気分になる。
「そろそろ、話してみてもいいんじゃないのか?面白そうだし」
弥命の楽しげな笑い声が、旭にとっては面白くないのにホッとしてしまう。旭は深呼吸した。
「すみません。今、顔を上げられなくて。いえ、目を見たくなくて……」
旭は今朝からの話をする。弥命は最後まで、黙って話を聞いていた。
「なるほどねぇ……目、か」
不意に弥命は旭の顎を掴み、上向かせる。
「わ、」
旭の目に、弥命の、夜に見る水のような色の瞳が飛び込んで来る。
(あ、れ……)
こんなに目で苦しんでいるのに、不思議と弥命の双眸を見たら、旭の気分は落ち着いた。弥命はじっと、旭の目を見ている。
「これか」
「えっ」
旭は、目に張り付いていたそれに、弥命が難なく触れたのが分かった。そしてあっさりと剥がされる。旭の視界が少し、明るくなった気がした。
「どうだ?」
顎から弥命の手が離れ、旭は辺りを見渡す。あの数多あった目は、見えなくなっていた。
「……目、見えなくなってます。視線も。あんなにあったのに」
「そうか」
「どうして叔父さんには、張り付いてたものに触れたんですか?僕は、触れなかったんですが」
弥命の手には、白い紙があった。御札のようなもの。文字は無く、真ん中に目のような模様が描いてあった。
「さあな。旭と目を合わせたからじゃねぇの」
弥命は言いながら、紙を見た。白い紙は再び透明になり、空気に溶けるように消える。後は、何もない。旭はまだ、弥命の手を見ている。
「あのたくさん見えてた目、って何だったんでしょう。あの御札みたいなものも、いつの間に貼ってあったんでしょうか」
「俺が知るかよ。人間の目には良くないもんなんだろうが」
怠そうに答える弥命に、旭は息をつく。
「そうですね。……ちょっと、参りました」
ぐったりとする旭を見、弥命は左耳の大きな朱い金魚を揺らしながら、不敵に笑う。
「……一人で黙って部屋籠もる前に、俺が居る縁側に来りゃ良かったんだよ」
弥命は、タオルケットを乱暴に旭の頭へ被せ直し、そのままぐしゃぐしゃと撫で回す。
「わ、それって、」
旭がタオルケットから抜け出した時には、弥命が階段を降りて行く足音だけが、部屋に響いていた。

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