読書感想文 早乙女勝元「ターニャの日記」
小学校5年生か6年生の時の学級文庫に置いてあった子供向けのノンフィクション。現在のウクライナ情勢を見るにつけ、思い出すようになり、再読。
独ソ戦の中のレニングラード攻防戦の最中に命を落とした少女ターニャことタチアナ・ニコラエブナ・サビチェワの生涯を通して戦争について考える。
ターニャはレニングラードで家族と普通の生活を送っていたのだけど、ドイツ軍の侵攻により、生活は一変する。
・ドイツ軍は宣戦布告もなく、侵攻を始めた。その 際、当時ソ連の領土だったキーウやハルキウ(本書ではキエフ、ハリコフと表記)も攻め込まれている。
・ヒトラーは短期決戦で決着をつけ、ソ連を支配下に置くつもりだった。
・ドイツ軍の侵略に抵抗するために多くの一般市民が自ら戦場に赴いた。
・ドイツ軍はレニングラードへの補給路を断ち、市民への食糧の配給は日に日に乏しくなり、市民はひっきりなしに爆弾や砲弾が降ってくる中、飢えや寒さとも戦わなければならなかった。
読んでいて、当時の状況が最近のウクライナと恐ろしいほどに重なった。
ターニャの家も例外ではなかった。「ターニャの日記」とは、ターニャが一緒に暮らしていた家族が死んだ日時を書き留めた手帳のことだ。そして、その日記の終わりにはこう書かれていた。
「サビチェワ一家は死んだ
みんな、死んだ
残ったのは、ターニャひとり」
同じ家に暮らしていた家族が一人、また一人と亡くなっていくのを、ターニャはどんな思いで見ていただろう。その胸の内を理解することは多分できない。でも、当時はこのようなことは珍しくなかったのだ。そしてターニャ自身も疎開先で死んでしまう。
多くの犠牲を伴ってソ連はドイツに勝った。その際、ソ連の人々は戦争というものがどれほどの痛み、悲しみ、苦しみをもたらすか知ったはずだ。なのに、なぜ自国がされたことを他国に対して繰り返しているのか?
著者は取材でターニャが通っていた学校を訪れており、そこには生徒たちが集めたターニャに関する資料やレニングラード攻防戦をテーマとした絵などが展示されている「ターニャ記念室」があり、生徒たちが語り部としてターニャのことや戦争について語ってくれた。
戦争の悲劇を忘れることなく語り継ぎ、戦争を繰り返すことのないように。著者が訪れた当時の校長先生は言った。「ターニャの悲劇を学び、語りつたえていく努力の積み重ねから、きっと、未来の平和が約束されるのです」と。
でも、どれだけ戦争の悲劇を語り継いでいっても、戦争が起きないように願っても、一度国家が決めてしまえば、簡単に戦争は始まる。市民にそれを止めることはできない。そしてまた多くの犠牲を生む。
「ターニャ記念室」の資料を集めた生徒たちや著者にターニャのことや戦争について語ってくれた生徒たちは今どうしているだろうか?
もしもターニャが今のロシアがしていることを見たら、何と言うだろうか?
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