複雑性PTSDのカウンセリング 自己肯定感/他者肯定感/自己否定感/他者否定感について

【このアカウントを特定しているがこのアカウント以外で近況を知り得ない人(いるんか?)向けの近況】色々あった結果、職場で和解のような形を取る事が出来、(これは完全に自分のせいだが)仲良かった同僚と一切会話することが無いようになった以外におおよそ良いと言える仕事状況になった。あと、通っていた心理士の先生が関東に出張所を持っているのでそこに通っている

カウンセリングに行ってきて、また少し学ぶことがあったのでメモする

まず「自己肯定感」=自分の価値があると感じる気持ち、と
「自己効力感」=自分はなにかを達成する能力があると感じる気持ち
は「別」である、ということを昨日初めて知り、
それでいうと自分は「自己効力感」は高く、仕事でも趣味でも大体のことは出来るし今までも出来るようになった、という感覚があるものの、
自己肯定感については最低なのでは、と思っていた

そういう話を今日のカウンセリングでした所、
「OK牧場」という昔の某芸人がパワーワード化してた心理検査をやることになった。
これは自己効力感は対象外で、
自己肯定感・他者肯定感・自己否定感・他者否定感を見るものらしい

結果としては、
「自己肯定感・他者肯定感が高く、自己否定感・他者否定感は低い」
という、最も理想形とされるパーソナリティで、
「え?」となった
マジですか、と
一項目ずつ詳しく話しながらチェックした上でその結果になった

しかし、自分はSNSの他の人達のほとんどすべてと比べると他人の悪い所が目につく事が多いし、人と比べると人を批判的に見てばかりいる気がする、というような話をしたが、
「他者肯定感=他人の良いところを見つける能力が高すぎるせいで、自分は比較的劣っているという感覚を抱いているが、相対的に低いだけで自己肯定感は十分高いと言える」とのことだった。
(今書いてて気付いたが、「自分は他の人と比べて人を批判的にばかり見ている」というのは、大前提として「他の人は人を批判的に見ていない」という高い他者肯定感がベースにあり、ある種矛盾しているような話だったのかもしれない)

そして、むしろ「他者否定感」が低いのが危ないのではないか?という指摘を受けた。
これは、複雑性PTSDのきっかけとなった虐待経験を発端とする、
「他者に理不尽に否定されることに慣れすぎている」という性質が悪い方向に働いて、
「他者に攻撃されても、それに慣れすぎてその人に抵抗するべきだという発想が出てこないようになってしまう」という危険性がある、とのこと。
これは思いつく実例が最近にもあって、個人が運営しているSNSで捨て垢による誹謗中傷被害を受け、管理人が本垢を特定し、「開示請求にも協力する」と言われたが1週間ぐらいしたらイライラが消え去りどうでもよくなって、「まあ、自分のことを嫌いな人なんて世の中にたくさんいるだろうし、そういう人がいてもいいか。」と思ってしまったことがある。

また、会社についても入社二ヶ月はパワハラ地獄だったが、「自分という存在は価値がないから仕方ない」と、「虐待経験に慣れてしまったがゆえの危うさ」で真剣に自殺する手前まで行ったことがあった。

概ね、「他者を肯定する」「他者を否定しない(自分の場合これは心理士の方いわく、正確には他者否定感情が一時的に高まる事はあるものの、すぐに収まる性質を持つ、とのこと)」というのは、良い事ではあるものの、
「自分を守るべき存在と認識して、戦うべき時にはしっかりと戦う」という意識を持つ必要がある、としっかりと忠告を受けた。

ただ、その時心理士の先生自身にも言ってしまったのだが、
「そうした方がいいんだろうな、と思いつつ、自分を否定する人が居て良いというのは自分の哲学や思想の一つなので、あまり変えるモチベーションがない」という感想。
そういうと、心理士の先生は、「大きな会社でたくさんの部下を持ち、他の部署やプロジェクトと関わるという対決の場を含む対人関係では、他者否定感が極端に低い・すぐ収まるという性質はむしろ損をすることがある」とのことで、
う~ん、となってしまった。

他、最近読んだ「星の王子さま」の哲学的洞察や、仏教徒になる気はないが興味を持ってる仏教思想に関する雑談をして終わった。

心理検査をまだまだかなりの回数こなさなければならず、気が遠い。
他に思い当たる病名が存在しない上に虐待歴もあるのでほぼ複雑性PTSDでしょうと医師・心理士に言われてるが確定診断ではないという宙ぶらりんの状態を抜けてみたい。

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