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「ふつうの家族」にさようならを読んで学びになったもの箇条書き

卵子は女性の体内に生まれた時は100万個あったのが思春期に20万個になる。
生理のたび1000個消える
生理で卵子の数が徐々に1000個ずつ少なくなるので30代40代で不妊になりがち
→30代40代の女性はそのことを念頭に置くからキャリアと子供どっちとるか考えてしまうのかも??
→日本の年功序列制度じゃ子供欲しい女性のキャリアアップは、その女性が不妊治療を覚悟しない限り厳しそう
→ジョブ型で仕事をしている海外では女性がもし専門的な知識があれば即戦力として雇ってくれる枠があるのかもしれない

安倍元首相夫妻には子供がいない

人の人生の色々を法律化した日本の民法には、まず“婚姻“に関する条文があって次に“親子“に関する条文がくる
→日本の民法では人生のステップは婚姻(夫婦)が基本にあって次のステップに親子(出産)がある
→民法的には「子供が欲しいから夫婦になる」という価値観ではなく、「夫婦になった後子供ができる」という価値観になっている
→でも日本人の中には子供が欲しくて結婚する人も多い
→民法では結婚>出産なのに、結婚<出産の人が結構いる

「父親になる気がない男」や「父親になったけど父親になったからと言って精子の生成が止まるわけがないので精子の有効活用したい男」と、
「特定の男性との子供をつくる気が起きないけど自分の子供は欲しい女」
が存在している現代世界
→そういった男女は精子ドナーで妊活するのがベスト???(生まれてくる子供がどう思うかは親になった女の教育次第なところはあるが)
 
アメリカの精子ドナーは精子に含まれる遺伝子の種類が豊富→目の色、髪の色、人種、身長、体重、学歴、病歴、得意科目、苦手科目、スポーツ歴、声等々、どんな遺伝子を持った子供を産みたいか確実ではないにしても選ぶことができる
しかし誰でもドナーになれるわけではなく精子ドナー提供者の審査は提供希望者の上位1%選りすぐりのエリート
一単位約10万円(945ドル)
→精子ドナーのある現代アメリカの世界は一種の一夫多妻制許容社会か??

献血のノリで精子提供する大学生(実名公開NG)と、人の役に立ちたいという理由で妻と相談した上で精子提供する社会人(実名公開OK)
→大学生の方が活動的な精子をくれるので妊娠率が高まりありがたいという皮肉→やはり人間は男女問わず若ければ若い方がいいのかも
日本でも慶應病院が慶應医学部生の精子を提供することを1940年くらいからやっていたが、子供の権利を尊重する気運が高まった昨今、子供が自分の父親の名前を知りたいと言ったら知られてしまう可能性が上がってきて提供者が激減し、2017年提供者が確保できず事業の継続が危ぶまれている
→アメリカでも子供の権利を尊重する気運が盛り上がっているが、個人情報公開OKしてくれたら追加料金払うというと一部承諾してくれる男もいる→アメリカ人の資本主義ぶりが垣間見える

お金を払えば生命の誕生を計画的にすることもできるようにしているアメリカはとても資本主義的
→自由意志を1番に考えているアメリカだからこそ精子ドナーは生まれたのでは
→自由意志尊重ということはフェミニズムもより発展している→ショートカットにしなくてもセクシーなままフェミニストを名乗れる国アメリカ(エマワトソンとか)
女性と食事をする時にフェミニストだからといって割り勘なしで食事をしてたり、フェミニストを背負うことに人生を賭けなくてもいいぐらいカジュアルにフェミニズムを浸透させてる
日本の街コンのような男女で料金の差があるのは「女性はか弱いもの、守るべきもの」というステレオタイプを想起させるためフェミニズムに反している
→しかし日本の場合、それを言うなら男女の賃金格差を是正してからなのか、是正前に奢り文化を直すべきなのか
→男女で子供を産むとなった時のリスクが違うので、そのリスクの違いを考えて男女が円満に働けるような社内体制を変えられる企業なら役職や賃金の男女差は変えられるかもだが、人命のかかった緊急対応で深夜出勤の多いインフラや医療などの職種は男女差平等は難しそう
→男がライフバランス的に犠牲になってる職種もある、そういったインフラなどの職種の賃金は化粧品など女性比率の高い企業より良い給料を貰っていたり、主婦になる人が主夫になる人よりも多いから平均賃金に差が出るのかもしれない

“血縁“ではなく“養育の意思“があることで精子不妊の男が養子をもらって父親になるという考え方
“養育の意思“がこれからの“親”の概念になって欲しい(子供ができちゃった男が「養育の意思がない」と言えるようになり、妊娠させた子供の養育から逃げる口実になってしまう可能性はある)
精子バンクと代理妊娠が発達すると意思があれば性交せずとも親になれる

男は50になっても精子を作れる(=50になってから父親になれる確率高い)が女は37を超えると卵子が作られにくくなりやすい(=50になってから母親になるのはとても難しい)
→男女平等の“考え方“はできても人間の男女の体のつくりは平等にさせられない
→だからどうしても男に有利な部分、女に有利な部分はできてしまう
→iPS細胞で精子と卵子を作れるようになれば男女どちらも50から親になれる時代になるかもしれない
→これが極まると究極ひとりで精子卵子両方つくれる世の中になる、逆に2人以上の遺伝子を受精卵に入れて、より遺伝的な特徴のある子供を作ることができる?

結婚は人間同士の最も崇高な結びつきである
→「配偶者への高次の愛、配偶者への忠誠、配偶者への献身、配偶者に対する犠牲、家族」を体現する状態を「結婚しているという状態」で表しているから
→このことは同性同士でも成り立つ
→同性同士でも結婚は成り立つのでは

しかし敬虔なキリスト教徒はイエスの教えに反すると同性婚に反対する
キリスト教徒は同性愛者を差別してるというが同性婚賛成者もキリスト教を差別してる

結婚は永続的で安定な関係を保証されたいカップルが行うもの、短命に終わってもいい恋愛関係と友人関係とは違う
いままで社会的に自分を表す最小単位が自分個人1人だったものが、パートナーとの2人ということになるのが結婚
「社会的に認定された安定関係」が、結婚することによって得られる
→2人の間が安定してる関係だと社会に認定されることによって配偶者控除なり相続税優遇なりの特典が受けられる。安定と認められてない恋愛関係や友人関係ではそれが受けられない

法律婚は結婚していることが籍をいれたことにより国に認められれているため、家族に対する政府や企業のサービスをフルに享受できるが、籍を入れない事実婚ではそれをフルに享受することはできない。事実婚は「家族として認められてる」スイッチが点いたり消えたりしているようなものである。

様々な目的で行われる異性愛者の結婚があり、様々な目的で行われる同性愛者の結婚があるので、一つの結婚に対する価値観だけで結婚に関する法律を定めるべきではない
→愛が高まって結婚する人もいれば控除が受けたくて結婚する人もいるので、事実婚で十分なのか、何が必要で何がいらないか、携帯料金のように様々な結婚の形を選べるようにするべき?

保育園に園児を迎えに来る親の性別が女の方が多い
→幼児からすると保育園に迎えに来る女の親は“お母さん“という認識に
→しかしたまに男の人が園児を迎えに来る
→保育園に迎えに来る男の人は“男のお母さん“という認識に
→逆に保育園に迎えに行っている間に会社で働いているのは“お父さん“と“女のお父さん“になる??

八百屋を自営業している夫婦は店番をする役割の人とその間に子供にゴハンを作る役割の人をローテーションして生活している
→店番する人が“お父さん“、ゴハンを作る人が“お母さん“という概念で考えると、この夫婦は“おとおかあさん“が二人という表し方もできるのでは

老後は自分でなんとかしなきゃいけない自由主義アメリカ
老後に子供の介護を求める、介護すべきと思っている儒教文化の日本
個人主義のアメリカは身内だとしても躊躇なく裁判しがち、たとえ裁判後の関係がギクシャクしようとも
日本の家制度は江戸時代の武家制度に始まり、家の財産をバラバラにしないで承継するためにあった
家業の無形資産を継いでいくための制度なので、成人してもなお家族と同居して親の面倒をみるのが当たり前だった
そこに明治維新で欧米の価値観が入ってきて、明治政府は和洋折衷の民法を作り、そこに欧米的な相続という価値観が入れ込まれた。

相続の揉め事では親子の相続は最終的に親は子を思うから、夫婦の相続は最終的には赤の他人だからなんとかなるが、兄弟姉妹の相続問題が1番面倒くさいみたい

複数兄弟がいる家族における親の介護、相続の問題
→親の介護を引き受けた長男夫婦は介護の労働力分の優遇を受けたい、しかも一番介護していたのは一応赤の他人の妻だったので、妻が納得するような恩恵を受けられないと長男は首を縦に振りづらい
次男夫婦は長男夫婦の介護の仕方が虐待に近いと思っていたので介護労働分の優遇は納得できない。さらに親子で家族で暮らしていた時代に長男だという理由で次男よりも優遇措置を受けていたと思っている。
どちらの夫婦も「お金の問題じゃない」というがそれは「お金“だけ“の問題じゃない」という意味で、お金の問題の比重が重いんだろうが裁判してるっぽい

アメリカの家族感は老人に冷たい面があるが、そのおかげでアメリカ人は遺言を残す文化が一般的になっている。遺言で家族に相続する場合もあるが、世話になった他人や、チャリティー団体に資産を寄付するパターンも往々にしてあり、資産をどうするか個人の意思が尊重されている。
昔の日本は個人の命より家を存続させること重きを置いていた。もし罪を犯したら、切腹をすれば家や息子(継承者)を守ることができるという美学があったように
しかし今の日本も個人を犠牲にして組織を守るという美学が根強く残っているのかもしれない。やたら映画やアニメに自己犠牲の展開が多いのもそのためか??
→しかし逆にそういう心意気が日本以外の国にはない価値観で、世界に輸出できる価値観である可能性もある

日本でもアメリカのような個人主義の時代がくるが、家制度がセーフティネットとして経済的に独り立ちできない者を受け止めてきたという面もある。個人主義が進むと借金を抱えるものが増えそう
人口の都市集中に伴い、人々の付き合いが希薄になってしまっていることが個人主義の時代が到来していることを体現している

一夫多妻が認められてるインドネシアの一夫多妻な家族がもしアメリカに入国したら、その妻たち全員がアメリカの法律では配偶者控除を得られないように、国によって家族に対する援助システムが違うので、日本の法律にアメリカの価値観を挿入しないことを「また鎖国しようとしてるんじゃない!!」と叫ぶのはお門違いである


あとがき

男、女、ゲイ、レズ、日本人、アメリカ人、インドネシア人、長男、次男、長男の妻、次男の妻、法律婚、事実婚、普通でいい人、普通が嫌な人、普通でいられない人、、、、、、、、
色んな立場があって、色んな環境があって、色んな習慣があって、色んな先天的な特徴があって、色んな後天的な価値観が育って、、、、、、、
子孫を残したいという動物の本能と、色んなことを考えられる人間の思考力に折り合いをつけるのは難しすぎるなぁと思った。
けど、こうして本を読んでまた価値観を広げられ、共感力を広げることができてよかったなぁと思いましたね

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