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禅文化歴史博物館に行って学びになったこと箇条書き

所在地
〒154-8525 東京都世田谷区駒沢1-23-1 駒澤大学キャンパス内
開館時間
月曜日~金曜日 10:00~16:30 ※ただし入館は閉館15分前まで
休館日
土・日・祝 その他大学の定める休業日
入館料
無料

臨済宗輸入→栄西
曹洞宗輸入→道元
禅思想には不立文字(文字にとらわれない)、教外別伝(経典に依らない)という特徴がある→この特徴があることで芸術文化とも似ているので、後に能や茶道など日本の文化にも摂取されてる

達磨が禅の祖
臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三つがメジャー
臨済宗→栄西、1100年代、建仁寺東福寺本拠地、対面座り禅、公家上級武士から支持、鎌倉時代、5000寺院
曹洞宗→道元、1200年、永平寺總持寺本拠地、面壁座り禅、地方武士庶民支持、東海関東、室町、15000寺院
黄檗宗→隠元(インゲン豆の由来)、1600年、萬福寺、対面、武家、九州江戸、460寺院

臨済宗は寺によって派閥が分かれてる
黄檗宗は臨済宗の派閥から生まれた

旧仏教である天台宗真言宗も踏まえて修行するのが臨済宗
今ある14の寺派閥は日本で分派したのではなく別々に中国から日本の僧が習得し招来されたもの

いち早く地方展開したのが曹洞宗
道元亡き後に2人の弟子の間で争いが起こり永平寺と永光寺總持寺の2派閥ができた

念仏、禅に密教を加えたかたちなのが黄檗宗
長崎に渡来
江戸の頃には形骸化していた仏教界に密教テイストを加えた黄檗宗は仏教界に刺激を与え、臨済宗曹洞宗が活性化した

禅文化の地方展開は応仁の乱で京から公家や僧侶が出て行ったことが大きい
禅僧は人脈が広かったので政治外交にも重要な役割を担ってた
上杉武田は曹洞宗
秀吉夫人は曹洞宗

禅僧にまつわる温泉がいっぱいある
禅僧がお礼に温泉を湧かせたみたいな伝説がある温泉がある

精進料理と普茶料理
精進料理→善を施し悪を断つという精進の意味が転化し肉食を避ける意味になったのが精進料理
小食(朝飯)→お粥胡麻塩漬物、中食(昼飯)→麦飯味噌汁漬物おかず1品、薬石(夕飯)→中食+おかずもう1品
懐石料理も粗末な食事をあらわす言葉
普茶料理→中国風精進料理、高タンパク低カロリー
栄西はお茶の栽培法も中国から持ってきてお茶の良さを伝えた
薬を寺で販売してた曹洞宗

僧侶が葬送をするのは現在では一般的だが昔は祈祷をするのが中心だった
曹洞宗の僧侶が葬送活動を行い始め各地に禅宗が発展した

禅僧は朝飯にお粥を食べるがこれは釈尊が苦行中に乳粥をもらってたのが由来
お粥のいいところは食べる時に苦痛がないこと、空腹が癒えて且つ喉も潤うことなどと道元は言ってる

曹洞宗 大般若会、施食会
味噌と醤油は中国から8世紀くらいに伝わった
味噌は和歌山県興国寺で発祥、味噌作る時の底溜まり液が醤油の始まり

禅修行では生活全てが修行なのでトイレも風呂も修行
お堂、トイレ、風呂は三黙道場だった
水墨画は下書きなしで書くため精神集中という点で禅と似てて親和性高い

自然の中で修行するという釈迦の思想を取り込むために寺の庭には庭園がある
頂相ちんそうという禅僧の肖像画を書く時の技法、この技法はのちの肖像画にも影響与えた

能楽の有名人世阿弥は禅に深い影響をうけた
当時、権力に没頭していた臨済宗より地方に力を入れてた曹洞宗を世阿弥は選んだ

日本の茶道の根源は臨済宗の栄西
禅と茶道の融合を果たしたのは村田という1400年代の人、のちに千利休が大成させた
千利休前は茶道は日常から離れたところでやるものだった→今の煎茶文化
華道も禅の影響でかい

室町時代に室町幕府と禅宗の緊密な関係が築かれた
五山、十刹、諸山の制度
鎌倉京都の五山、禅宗教団と地方の禅宗教団に大別
織田信長の時代に中世的な仏教を破壊し、近世的な仏教の統制が始まり、豊臣、徳川で今に近い仏教統制が完成した
江戸時代の黄檗宗の影響で、曹洞宗臨済宗はケツを叩かれた感じ
明治時代の神道国教化政策で仏教界は混乱
それまで神社にあった仏具は撤去、仏像破壊されたり、キリスト教天理教の普及などで存亡の危機を迎えた

曹洞宗最大教団は通幻派
当初口伝だった仏教はのちに思想を残すため、弟子が間違えて教えを覚えないように写経するようになった

1700年代は陸奥、遠江、武蔵に曹洞宗寺が多く、2000年もその地域が多い

禅院組織の役職
六知事→統轄者、副統轄者、金銭面管理者、修行僧監督、料理長、修理管理作務監督
六頭首→修行僧のトップ、書記、書庫管理者、来客接待管理者、浴室管理者、金銭管理者

仏殿→本尊安置所、法堂→教えを説く場、僧堂→坐禅の場

お寺にある7堂は人体のような配置になってる
法堂→頭、仏殿→体、僧堂→右腕、食堂→左腕、山門→股間、トイレ→右足、浴室→左足の配置になっている

ヨガと禅は源流一緒
禅の考えは中国から

達磨の移動行路
インドマドラス→マラッカ→広州→南京→洛陽(ここらへんで達磨が慧可を弟子とって禅宗入門)

中国禅宗5家、潙仰宗江西省、臨済宗河北省、曹洞宗江西省、雲門宗広東省、法眼宗浙江省

禅は天台宗と親和性ある

駒澤大は曹洞宗学校だった
瓦と寺の関係は深い
寺の鐘は法要があることを知らせるために利用してた
清浄なところをつくるため畳周りの縁は触っちゃダメ

禅僧の食事の前は五観の偈という心得を忘れずに
一、食事ができるまでのたくさんの人々の関わり想いを忘れずに
二、自身の生き方を振り返るのを忘れずに
三、貪りや怒りを持たずに心を清浄にするのを忘れずに
四、自分のいのち、健康のために好き嫌いなく食べることを忘れずに
五、自分の人生の目標を達成する気持ちを忘れずに

起きて半畳、寝て一畳の生活で修行をするのをよしとする
夏は3時半、冬は4時半に堂内を担当僧が鈴を持って走り回り起床時間を告げる
坐禅しながら日の出を迎えるため朝が早い
1日作業をしないと1食食べるべきでないという思想のもと静の坐禅に対し動の作務を行う

吉祥寺、青松寺、泉岳寺は曹洞宗の寺
曹洞宗を日本に伝えた道元と曹洞宗の教団的発展の基礎を築いた瑩山
曹洞宗では釈迦と道元高祖、瑩山太祖を祀ってる

感想
宗教の博物館は自分の中にはない思想がたくさん知れて面白いなと改めて感じた
五観の偈の考え方はとても心に刺さった
貪って食事をしたり、怒りながら食事をするのはやめたいなと思った

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