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北九州市漫画ミュージアムに行って学びになったこと箇条書き

住所
福岡県北九州市小倉北区浅野二丁目14-5 あるあるCity5階・6階

営業時間
11:00~19:00※入館は閉館の30分前まで

休館日
毎週火曜日(休日の場合はその翌日)、年末年始など


小倉駐屯アメリカ軍人の雑誌漫画の影響で北九州にマンガカルチャー生まれやすかった
松本零士、久留米出身 戦中生まれ陸軍航空将校のお父さんいた
東日本漫画研究会→石森藤子赤塚
九州漫画研究会→高井松本零士
宇宙戦艦ヤマトは大人にマンガ広めた立役作品
80年代はビデオデッキ数十万だったので映画館、テレビにかじりついてみて記憶力を参考にマンガ、アニメ書いた
松本零士は未来のカッコいいメカを想像するのが上手い
松本零士は少女漫画出身
宇宙戦艦ヤマトのマンガはアニメの原作者が自分で漫画化した
八幡製鉄は戦争の時真っ先に爆撃の目標になった
公害がひどくても未来に綺麗にすることはできる

スクリーントーンは影、光沢、服の柄などに使う
パソコンで仕上げることもできる
漫画の原稿用紙は普通はB4
アイデアを練って話を考える→プロット
コマ割り、コマの構図→コンテ、ネーム、ラフ
下書き
ペン入れ→ペンを使って下書きを元に描く、この段階からアシスタント使って分業することが多い、アシスタントにはアシスタントごとに得意な絵があったりする
仕上げ→下書きを消しゴムで消したり、髪や影を塗り潰すベタ作業、影やツヤを入れるスクリーントーン作業をやる、仕上げは作家よりアシスタントがやることが多い

パソコンを使ったマンガの作り方
ペン入れまでは紙の上で、仕上げはパソコンパターンがなど色々ある

漫画家、アシスタント、編集者、出版社、製版所、印刷所、製本所、取次、書店、アニメ、映画、グッズ、ゲーム、パチンコなどいろんなものが関わってマンガ産業ができてる

台湾は60年後半、台湾で表現規制が厳しくなり海賊版の日本漫画が盛んに
韓国では日本の作品だと隠して日本マンガ発売されてた
香港は台湾から海賊版日本マンガが流れて盛んになった
中国では90年前半から日本のマンガ翻訳が盛んに
フランスベルギースイスはバンド・デシネというマンガ文化が元から盛んだった、画力と深遠なテーマを兼ね備えたアーティスティックなマンガが多い
日本漫画は右とじ右開き、縦書きで右から左にマンガ読むのが主流だが、海外は左とじ左開き、横書き、左から右に読むスタイルで全く逆
近年、日本漫画が翻訳される時は絵はそのままで右とじ右開き横書きで右から左読みが主流だが、昔は左とじ左開き、絵の配置を逆にして日本マンガを翻訳してた

鳥取→水木しげる、青山剛昌、谷口じろーと鳥取は漫画文化盛ん

原稿をそのまま本の形にして読み回す肉筆回覧誌という文化が主流の時代があった

60年代、ガリ版、青焼きという簡易的に使うことができる印刷法や複写法が普及し同人誌が増えていった
そのうち同人誌を交換し合うのか盛んになり同人誌即売会が起きるようになり1975年12月21日、虎ノ門で第一回コミックマーケットが開催された 集客は700人くらい
2018年のコミケは3万5千の作家、57万の集客があった
通信技術の発展で地方在住の作家が増えたことによるメリットは大きい

1956年週刊漫画タイムスが現役最長の週刊漫画誌
宇宙戦艦ヤマトはアニメブームの立役者
1995年攻殻機動隊のアニメ映画が全米ビデオチャートトップになり、日本のアニメブームが始まった
2006年涼宮ハルヒのアニメブームでラノベが売れるようになった

マンガの原画は水彩画、油絵などよりかさばらず、頑丈だが量が多くなる傾向があるので、他の博物館とは別に全国にマンガミュージアムを作ることででマンガの原画保存の役目を担い、マンガ文化の保存に一役買っている
出版社から保存の依頼を受けるのが主
原画にも4色カラー、2色カラー、モノクロで違いがあるのでそれらを仕分けて枚数を確認する

日中韓新人マンガ選手権という大会がある
制限時間内にどんな作品を描けるか競う
4コマの最後をどう描くかとか
2020年度は富山で開催予定だったがオンラインになった。金賞受賞は韓国人漫画家

北九州 中国敦煌 中国紹興 韓国順天でアジア4都市交流ある



感想
杉並のアニメミュージアムよりもテキスト多めで深く歴史を知ることができた気がする
北九州市が東京でいうアキバ、大阪でいう日本橋的な役割を担ってるんだな〜と思った

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