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今日の芸術〜時代を創造するのは誰か〜を読んで学びになったこと箇条書き



芸術は空虚感、疎外感などマイナスの感情を埋める生きがいをつくってくれる
芸術は昔は特権階級や専門家の間でしか楽しめなかった高度な娯楽だったので、現代の芸術は過去と比べてとても自由で強烈である
芸術は生まれながら持ってる隠された情熱であり、隠された欲求である。その自分の中に隠れた情熱、欲求を自分自身で見つけて、それを軸にして自由に芸術を楽しめばいいので、芸術は他人事ではなく自分事である
19世紀に日本に入った自然主義の形式を真似ただけのものを日本人は芸術だと思っている、芸術はそういうものだけではない
なぜ19世紀の自然主義画家は裸婦を描いているかというと、その時代のヨーロッパは障子とか襖のような鍵のないドアはないので、被写体の裸を知っていることは被写体と親密であると表す方法だったから
古代ローマで賛美されていた肉体美がキリスト教によって禁忌にされ、ルネサンスで再興したが、日本にはそんな歴史はないから裸婦を描く意味合いが西洋と日本で変わってくる
日本文化にはそんな文化がないのに、日本人が裸婦を描いて写実主義だというのは滑稽。もっと日本人の写実主義を書けばいいのにとなる
自然主義はそれまでの貴族の肖像画とか、神話モチーフの絵とかそういったものに反発して、日常風景の中に美があると思った人の一派

富士山や美人はキレイだな〜で終わるが、訳のわからない絵は立ち止まって見てしまう。この経験をすることで富士山や美人の美しさが自分の中で普遍になったと認識したことを感じられる
阿修羅やオリンポス神話なども十分現実的ではないのに、現実的でない作品を現代人が作った時だけ批評するのはなぜ

ハマっていたものに興味がなくなったり、興味がなかったものに情熱を注ぎ込むようになることは悪いことではない
虚栄心を出してわかったポーズをとる必要ないし、わからない人間だと諦める必要もない
わかんねぇといいながら20分も立ち止まって自分の作品をみてくれている人がいるのは、純粋に芸術を楽しませていることができていることの証明になる
新しいものというのは、古い価値観では分からないものじゃないと新しいものとは言えない
新しいものは新しい価値基準があるからこそ新しい
法隆寺の壁画をいつ見ても新しいと評価することは、自分の価値観が法隆寺ができた頃の日本人の感覚から変わってないことを意味してしまう
古いことは悪いことではないが、法隆寺に新しいという言葉を当てはめてしまうと、新しいという言葉の意味合いが進歩的なものでなくなってしまい危険

中世ヨーロッパはキリスト教が絶対で、教皇がヨーロッパのトップだったので宗教画が多かったが、教皇の権威が下がり王侯貴族の地位が上がってくると、ルネサンスによって生々しい人間を描いたり、貴族の自画像を描かせたりするようになった

日本は平安時代に平仮名ができるまでは中国文化に頼りっぱなしだった。平仮名も女の書く字だとバカにされていた
非日本的だと批判する奴は、着物は呉の国からきたもの、洋服はヨーロッパから来たものということに自覚がない。非日本的ものなどなかなかない世の中になってしまっていることに気づくべき
開国前の日本人はオランダ人が赤ワインを飲んでいるのを見て、人間の生き血をすすっていると驚愕した
岡本太郎の母親は女の人ほとんどが着物を着ている時代に洋服をわざわざ買いに行って着ていた目立ちたがりだった

東京駅はイギリス建築感がでて、まるで異国にいるかのようになるが、大手町のビルなどの建築は世界的に普及しているデザインなのでイギリス感やアメリカ感はでない。この建築はこの国のマネをしているなどの話にならないのが近代建築の特徴
抽象画は民族の歴史や生い立ち、育った環境による思想の違いや身近なものの違いなどの差がなく、誰もがフラットに直接的に自分の作品を好きかそうじゃないか評価してくれる

ゴッホは存命時は彼の作品は評価されなかったが、今はゴッホの作品の奇妙さを乗り越える審美眼を一般人が培ったため、ゴッホの作品は優美なものとして評価されているが、エジプト芸術やピカソの作品にはまだゾッとする恐怖感を感じるので、まだその恐怖感に打ち勝って優美なものと捉えられる審美眼は現代人には備わっていない
鑑賞するときに心地の良い絵画や、耳馴染みのいい曲は芸術において第一義的存在にはならない

きれいな絵は真の芸術ではない。その時代にきれいとされているものを描いただけで2度3度見たら見飽きてしまう。
美しいという言葉は、きれいなもの汚いものグロテスクなものなどにも使えるので、きれいと美しいは同じ言葉ではない

ゴッホが没後に評価されたように、流行や評価を作るのは作り手ではなく受け手
心の中で作品を作ることも立派な芸術
芸術を創造してみて、作品が完成してもしなくても心の中でだけでも、創造してみた経験によって見える世界が変わる可能性がある

200年くらい前までの日本人の庶民は芸術を鑑賞する余裕も権利もなかった
浮世絵は当時は全然高級なものではなかった。それを19世紀にヨーロッパが評価したことによって日本でも浮世絵が芸術的だとなった

ルーブル美術館は日曜日に無料で開放し、どんな人でも世界一の芸術が見れるようにしているのに対し、日本の美術館は日本一の芸術をあまり無料で開放する日を設けたり、名画を展示するのに会期を設けてすぐ蔵の中に入れたりして、一般人がみんな文化意識を高められるチャンスを作っていない(日本人は昔自分が持ってる名画を天皇や公家、大名などが来た時のとっておきで披露してた歴史があり、芸術は人の目に触れれば触れるほど価値が下がると思ってる)
詐欺で大儲けして稼いで成り上がった人、特権階級を金で買える時代に、権力者だけが優れた芸術をみることができたが、そんなやつが正装して芸術鑑賞することで果たして芸術が発展していくのか

茶道の茶碗は底の形が値打ちを決めがち
大切なお客をもてなすことに全力を注ぐ茶道は、もてなす作法、もてなされる作法、茶碗の価値が大事なので、たくさんの人の目に触れた茶碗は、触れられた後何日かおいてからじゃないともてなしに使う茶碗として使えない

王様や貴族、将軍や大名がいた時代からブルジョワ市民や士農工商制度撤廃の時代になり、貴族や大名の真似をして庶民が芸術を楽しめるように徐々になっていった
印象派が生まれたことで市民芸術がスタートした
セザンヌが市民芸術の祖っぽいが、セザンヌが評価されたのは後になってからのこと
セザンヌは同時代のルノワールやドガのような画家よりもてんで下手だったが、貴族芸術と市民芸術が生まれたことを知っている現代人からみると、市民芸術を始めた創造者として未来の目線からだからこそ評価されている
セザンヌはフランス革命後の個人の尊厳が大事になり、資本主義が成長していた時代で父親がブルジョワだったからこそ絵描きを続けることができ、市民芸術を描くことができた
ゴッホ、ゴーギャンは素人あがりの絵描き
写実的な絵が基本の時代にはゴッホは素人で下手で革命派の印象派にも見向きもされなかったが、写真が発明されたりすることで絵に対する世界の感覚が変わってくると、写真がある世界における絵の役割が変わり、ゴッホの素人だが情熱的な絵、狂気的な絵に絵としての価値を見出すようになった
だから、誰でも絵を書いた方が良いと岡本太郎はいっている
江戸時代は狩野家か土佐家系列の絵師に弟子入りしないと名誉ある画家になりづらかった
家元制度はルールを守らないと破門され食いっぱぐれることになる

現代の美術サークルなどでは絵が描きたい人と絵が上手くなりたい人で指導法を帰るべき

子供はどんなときでも全力で体を動かして遊んでいるような時期だが、そんな子供が唯一じっとおとなしくできているのが絵を書いている時。体を動かすことを犠牲にしてまでも絵を描くということは、人間には絵を描くという欲求が本能的に備わっていることを証明している
小学校低学年くらいの年齢で他人との比較という技を覚えてしまうので、絵が上手い人以外はどんどん絵を描かなくなっていく(下手でも良いのに)
図工の時間に優秀賞とか花丸、二重丸のような優劣をつけて壁に張り出すことは、人間の絵に対する欲求を抑えつけている最悪の行為

新しい概念を創造するのが芸術→印象派を作った人は芸術家
今あるものを参考にして作るものは芸道→印象派っぽい絵を真似して描いてる人は芸道家
邪道が正道なのが芸術、正道が正道なのが芸道
今いる芸術家と自称しているほとんどが芸術家ではなく芸道を行っている芸人、職人。芸術家と名乗るのは新しいことを常に行ってる人

芸術という言葉は明治時代に西洋の思想とともにやってきた比較的あたらしめの言葉。
恋愛も江戸明治に輸入された言葉で、それまでは色事が恋愛という言葉の意味を担っていた

絵画が芸術になったのはほんの2百年前で、それまでは大工とか石工とかと同じ職人だった。絵を描いてと依頼されて絵を描いてお金をもらう仕事に過ぎなかった。
革命が起きてブルジョアが誕生すると、貴族の真似事を市民がするようになり、絵描きはそれまでより依頼主が増え顧客が増えたので、好きなものを描いて展覧会に出すというようなビジネスができるようになった
絵描きは依頼人の好みに合わせて絵を描けば良かった時代から、ファンを生む絵を描かなければいけない時代になった
受動で絵を描く時代から自分で絵を創造する時代になったことで絵は芸術になった

芸道は今から思い立っても師匠より上手くなることは無理だが、芸術は今思い立ってやってみても大家になれる
ピカソやマチスは下手に描くというアイデアを発見したから芸術家なのであって、絵が上手いから芸術家なのではない
芸術は深いものではない、尊重しすぎて手が出せないものではない

岡本太郎の時代は海外へ行くとなると、何か向こうで学んで戻ってくるということがコンセンサスになっていて日本人が海外に何かを与えに行くという感覚がなかった
外国には外国で育ったからこその芸術があるから、それを肌まで感じられるくらい外国に行って吸収してこそ評価できるのに、日本人は外国の芸術に染み付いている文化的表現がわからないからこそ、わからないことを高尚に思って勘違いしている
自分が相手に与えるんだという態度、意気込みは何も自惚れているということではない。極めて普通で平常で豊かなこと
日光、浮世絵、仏像など今ではありがたいものと日本人が騒いでいるものは外国人が評価するまで全然日本人はその美しさありがたさ魅力に気づいていなかった、外国人に評価されてから自国の文化を自国民が評価するのはちょっと情けない

伝統的な日本美、日本文化と進歩的、進化する日本文化両立してこそ面白い国


感想
常々良い絵を描けるようになりたいとは思っているのだけれど全然思うように描けなくて描くこともせずに諦めていたけど、とにかく描くということはやったほうがいいなと思った
美術館はあまり行かないのでもう少し足を向けても良いのではないかと思った

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