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オタク経済圏創世記 GAFAの次は2.5次元コミュニティが世界の主役になる件を読んで学びになったこと箇条書き

プロレスはアイドルやゲームやマンガのように個人個人に個性や成長ストーリーがあってそれをファンが感じとって楽しむエンタメなので、野球やサッカーのような団体戦よりもオタクコンテンツになっている2000年代くらいまでは放送や出版がコンテンツの発信源だったのでコンテンツの現地生産現地消費の傾向があり言語や文化の壁が厳然と存在していて中々国外に発信することが難しかったが、2010年代のインターネットの普及によってコンテンツが生み出されたすぐその後に海外にも行くようになりコンテンツがライブコンテンツ化した
日本がほぼゼロから市場を作り上げた市場がアニメゲームマンガ市場
ポケモンはゲームアニメマンガが一体になった最初の集大成
ローカルでニッチなコンテンツが、グローバルニッチになり、グローバルマスになった例がゲームアニメマンガ業界
オタクという言葉は1983年に誕生した。
コミケに集まるマニア達が「おたくらさぁ〜」と声を掛け合って会話してるのがキモいという事をもって、コミケに集まる世紀末なネクラマニアをおたくと命名することにすると、中森明夫がコラムに書いたことで徐々にマニア達がおたくを自認していった
アニメやマンガなど、本来子供向けに作られていた作品を大人になっても追い続けている大人がオタクであるならば、この大人は1970年代ぐらいから散見され始めていた。その世代の大人は生まれてから戦争を経験したことがない世代なので、徴兵制や国家総動員法で強制的にアニメやマンガから距離を置かれなくなったので、親からの批判的な視線は感じつつもオタクが増えていった
1950年代では鳩山首相からマンガは悪書だと認識されていた
手塚治虫が利益度外視のアニメ生産体制で鉄腕アトムをフジテレビで流したが、これがテレビアニメの歴史のはじまりと認識されてるため、他国に真似できないような低賃金、大量生産のアニメ産業が日本に出来ている
1959年サンデー、マガジン発行の際、価格を今の価値で言う500円くらいで提供を開始して子供時代のベビーブーム世代をターゲットに販売を開始した。そのごの1960年代後半に100万部売れるほどに成長してもサンデー、マガジンは赤字経営だった→ブルーオーシャンの領域で独占できるまでは赤字経営でもやり続ける戦略をとってた
週刊マンガ雑誌は保存の効かない質の悪い紙で安価につくり安価で提供し、マンガの実験場として使い、保存のきく質の上がった紙でコミックスを出すというビジネスモデルは1970年代に始まったことで、市場として確立できるようになった
アメコミは質の良い紙で毎月100作品生み出しているが、日本は質の悪い紙で毎月300作品生み出しているので作品数の差が圧倒的になる
1990年代、アメコミ市場は300億円規模、それに対し日本のマンガ市場は5000億円規模
日本のマンガ業界は6000人の連載を持ったプロ漫画家と、それをアシスタントで支える2万5000人のアマチュア漫画家によって支えられている
1963年、手塚治虫がフジテレビから55万円で鉄腕アトムのアニメの制作を受諾してしまったが為、アニメ制作は薄給のものになった本当は250万かかった→1963年当時はテレビ局もそれほど安定しておらず子供向けアニメに支払える額はこれでギリギリだった、放送されないよりマシだと思って受諾したのかも(鉄腕アトム製作の赤字は他の分野でのキャラを使ったマーチャンダイズで黒字化できた)
バンダイはこの頃に玩具とキャラを組み合わせて利益を上げたため、アニメや特撮にも近しい玩具メーカーになった

おばけのQ太郎のアニメは高視聴率だったが、スポンサーの不二家コラボのお菓子の売り上げに人気が反映されずアニメが打ち切られた苦い思い出がある。それを踏まえてアニメ化されたのがドラえもん(一回打ち切りされたことあり)
大人がアニメを消費するようになったのは宇宙戦艦ヤマトがきっかけ(1970年代→戦後生まれ世代から)
宇宙戦艦ヤマトの劇場版が史上初めて徹夜待ちができるほど大盛況になり、お金を持ってる大人もアニメを見ることが知られ、アニメという言葉が普及、アニメ雑誌の創刊ラッシュが始まった→この大人への人気がアメコミや子供向け教育アニメを作り続けてきたアメリカマンガ市場との違い(アメリカでは1950年代にマンガの表現規制が議会で論争され、表現規制がかかった)
アメリカにはマンガで食っていける出版社はない
アメリカの出版売上のうち3%がコミック売上、対する日本は30%がマンガ売上なので、出版社がマンガを掲載する気になりやすいという事情がある
1987年うる星やつらのレーザーディスクが2億円分売れたことにより、アニメは必ずしもテレビで流さなくてもいいじゃんという考えが生まれた
95年のエヴァでアニメ製作費共同出資形式の製作委員会方式が生まれ、それまで商品化できる玩具メーカーなどしか参入できなかったアニメ業界が出資さえすればどんな企業も参入できるようになった
予算が低かったテレビ東京は製作委員会方式を使って積極的に売れれば長期的な収入源となり得るアニメを流した。→テレ東放映のアニメが多い理由かも

エンタメ企業で唯一任天堂が国内時価総額ランキング3位まで上り詰めたことがある
80年代に第一次ゲームブームがアタリ社を筆頭に起きてその後一気に市場が落ち込んだところをファミコンで独占状態にした

ディズニー、ハリウッド→手塚治虫、宮崎駿
ポパイ→スーパーマリオ
ドラクエがRPGというジャンルの創始者
ポケモンは2人だけの会社ゲームフリークの案に任天堂が飛びついて現実となった
ポケモンを開発するチームを任天堂の資本力で6年支えられていたからこそポケモンが産まれた→マンガもアニメも同じような過程でヒット作が生まれている
手塚治虫がマンガとアニメを手がけたことでマンガとアニメの蜜月関係が日本に生まれた→アメリカのアニメはコミック原作のものは数%しかない
今の日本のアニメにはマンガ原作ゲーム原作ラノベ原作オリジナルアニメと種類がある
マンガ連載1年経つまではアニメ化の話は持ってきていけないというルールがあったほど青田買いの時期があった
Vジャンプはヴァーチャルジャンプの略でゲーム業界と合わせたマンガ雑誌
エニックスとスクエアがジャンプを介して一緒の紙面に載ることで関係が良くなりドラクエとFFを融合させたようなクロノ・トリガーが生まれた
ドラクエの絵に鳥山明を採用したのもこの時期
マンガは制作のスピードは早く0から1の作業としてはとても優秀なメディアだが、キャラクターの色、声、音楽、動きなど情報が不足しているのでそれらが全部揃っているアニメがキャラクターコンテンツのハブになることが多い。故にマンガのアニメ化は収益を広げるためにはとても大事な要素になる
製作委員会方式によって出版社、放送局、レコード会社、広告代理店、玩具メーカー、制作会社が共同で出資し、利益が分配され、経済的に持続可能にしやすいアニメ製作体制になったので、日本はアメリカよりも
たくさんキャラクターが作れるようになった→コミケが生まれたのもキャラがめちゃ多い日本だからこそ??

↑20世紀最高のメディアミックスコンテンツ、ポケモンのキャラクター経済圏

ポケモンのアニメ化はオバQやドラえもんで失敗してきた小学館という昔からライセンスビジネスをしていた企業が製作委員会にいたからこそ成功できたと語っている
ポケモンはゲーム、カード、アニメの柱でそれぞれが他企業と連携して経済圏を大きくしている。なかでもアニメ事業は食品や玩具など積極的に他企業とコラボしてゲームカードアニメとは別ジャンルの商品を出してポケモンの売り上げを押し上げている(商品化事業の収入が1番デカい)

コンテンツ業界は、モノとして売るパッケージ、物をデジタル化して売るインターネット、
出来上がったものをそのまま流すブロードキャスト、ゲーセン映画コンサートのようなロケーションという4つの商売化方法がある
SNS時代によりより頻繁に人と繋がりやすくなり、共体験ができる場を作りやすくなった
1995年にアニメマンガゲームがニッチからマスになった→インターネットの普及
高価で作品性の高い2次元なものと、安価で機動性の高い3次元なものにメディアミックスさせて一回切りの消費にせず持続的にコンテンツを提供するビジネスモデルが2010年頃に普及しだした

アニメは2、3億の投資、モバイルゲームは数億、10億の投資が一般的
アニメ化は色々設定が決まり、多方面へ展開し爆発させやすくなるスタートライン
アニメ化の欠点はアニメが終わったらピークアウトしちゃうこと、これをどう下降幅を減らせるかが勝負→ブシロード系はモバイルゲームと3次元展開がその維持装置の役割
駅ナカ広告はユーザーにコンテンツの記憶を呼び覚ますための戦略
バンドリの成功は、リアルでコミュニケーションできるタレント、試験メディアとしてのリアルイベントとコンサート、ユーザーの生活に溶け込むグッズやDVDなどの商品、一気に客寄せが期待できるアニメ化、毎日運営されるモバイルゲーム、ユーザーがコンテンツを再び思い出せるきっかけになる広告展開、全てを前提に運営していたから

流行することが簡単になった分、流行を維持するのが難しくなった
選択肢が多すぎる社会ではいつも変わらない場所に人が集まりがち、だから古いものが再注目されている
コンテンツは総合力を持ってしか勝負できない時代になっている→ソニーミュージック、アミューズ、ブシロードが強い理由
コナンの映画は2016年、ガンダムのアムロの声優とシャアの声優がライバルとして登場してから大人ファンが集まり躍進した
荒野行動は周りがみんなやってるからでやってる人が多い、出会いの場にもなっている
人間の心理でヒットしてるものは無視しづらい
バブルに時はお金のかかるゴルフ、スキー、パチンコなどの娯楽が消費されていたが、不況になるとアニメやアイドルが盛り上がった

オタクは好きなものがあれば何回も店舗に来てくれて物を買ってくれるハイカスタマー

1960-70年代は日本円の為替レートが安かったこともあり、日本のアニメも大量に買われていた。しかし、名前を現地風に改良していたり、アニメが良くないものとして規制対象になっていたりと単発的な人気で終わっていた
2000年代前半にポケモンのおかげでアニメが海外に浸透していく

アニメ系イベントはロサンゼルスで10万人、スペインで15万人、フランスで25万人集められる規模になっている
2000年代後半はインターネットの普及によってアニメマンガの海賊版が海外に出回ってしまった。日本では最大で海賊版視聴率が17%くらいだったが、海外では53%くらいが海賊版を視聴していた。しかしこれが海外のマンガアニメファンの増加に一役買っていたことも事実である
ネットフリックスより前にTSUTAYAとかGYAOとかブロックバスターとか動画配信はしていたが、ネットフリックスがサブスクの起爆剤になったのは時代のタイミングによるもの
ドラゴンボールは今や日本より海外の方が人気が高い、ゲームが欧米で日本の4倍、北米で日本の6倍売れている
ドラゴンボールもバンドリの様にアニメ、映画で獲得したファンをモバイルゲームというファン維持装置を使って流行を維持している→モバイルゲーム=スマホの発明によってこれができる

↑バンナムのの収益のトップキャラクターがガンダムからドラゴンボールになった
アニメ文化は
60年代の海外挑戦期→80年代の日本の企業である任天堂ソニーのゲーム市場寡占期→90年代の北米でのアニメコミュニティの創成期→00年代の海賊版浸透期→そして10年代の動画配信期
これらがあってアニメ文化が海外でも稼げる様になった

プロレスは昔はテレビ普及を担う野球と並ぶ一大スポーツであった
力道山を発端にアントニオ猪木、ジャイアント馬場がプロレス人気を牽引した
元力士の力道山が外国人相手に空手チョップで薙ぎ倒す様子が、敗戦国日本が外国に勝っている姿を連想させカタルシスを呼んで人気になった。最高視聴率は64%
ジャイアント馬場の全日本プロレスが日テレ、アントニオ猪木の新日本プロレスがテレ朝となる
70年代80年代を生きた人はプロレスが身近だった
ところが00年代にK-1やPRIDEなど総合格闘技と混ざり合い、テレビがプロレスより格闘技を取り上げる様になるとプロレスの人気は低迷していった
00年代後半はファイト系のスポーツがテレビ的に放映を避ける様になり、テレビから見放されればコンテンツが終わる時代を物語っていた
12年にブシロードが買収すると、19年に過去最高売り上げの54億を達成

ブシロードがプロレスをバンドリのような展開で、人の目に触れる様な広告や番組出演をやりPR費用3億でバンバンやってった→既存客には魅力の確信を、過去客には復帰のタイミングを、選手には自身をつけさせる一石三鳥の戦略
レスラーをタレント化、SNSを開設させ、ファンの日常にレスラーを入れ込んだ
年間観客動員45万を記録し、桑田佳祐、乃木坂のツアーの規模で集客力のあるコンテンツになった
テレビ視聴が人気に直結する時代ではなく、いかに体験を生むかが人気の要因になる時代になった
テレビの時代ではないにしても、スポーツはライブコンテンツ力が強いのでテレビは放映権を欲しがる

プロレスは現役選手の寿命が長いので離れても復活できるし、長く選手を追うことができ、世代を超えて共通体験ができる老若男女をターゲットにできる
17年にロサンゼルスで興行を行い始め、19年には1万人超えの大会を行った
WWEは一企業で1000億を稼ぎ、これはマンUやアーセナルなどよりも売り上げが高い、というか世界一

WWEは試合もするが演出重視でマイクパフォーマンスが多かったりするので、WWE=プロレスになっているアメリカではプロレスは演出重視のものという価値観になっていたところに、試合が面白い新日本プロレスが進出し、アメリカプロレスファンの試合好きな層にウケている
18年に新日本プロレスにクリスジェリコが登場すると、新日の動画配信サブスクユーザーの国籍割合が日本と海外で5分5分になり、北米にも市場があると発見した
野茂がメジャーリーグに挑戦したり、中田がセリエAに挑戦する前から、柔術家やレスラーは海外で試合をしていて知名度を上げていたから、海外の格闘技において日本は存在感がある
新日本プロレスはもはや世界のプロレス界でWWEか新日かになるかもしれないくらいの差になってきている
欧米ではスポーツの放映権は競売で局に買われるので、チームに入ってくるお金の量が日本より一桁多い
日本のスポーツチームは親会社の商品を売るためのPRのひとつとしての役割になっちゃっていて、親会社の業績が良ければそれでよしという考えになってしまいがちで、チームがお金を稼ぐという思想が生まれにくかった
日本は無料でテレビが見れるのが当たり前になってしまい、数少ない公共放送民放放送で満足してしまうのでケーブルテレビが盛り上がらない
アメリカはケーブルテレビがスタンダードなのでケーブルテレビ同士の放映権の争奪戦が盛り上がって買収先の利益が潤う

海外で売れてるコンテンツはゲーム>アニメ>マンガ>スポーツ>出版>音楽>テレビ>新聞の順、これは外を見ない日本のテレビ業界、新聞業界に近いコンテンツほど、海外で売れてないという証明になる

日本のコンテンツはローカルニッチからグローバルニッチになっているように、ニッチなものが海外で売れる傾向にある

商品の作り方は3つある
グローバル商品→商品がそのまま世界中で売れる
ローカライズ商品→作ったものを現地の環境に合わせて作らないと売れない商品
ボーダレス商品→海外向けに作ってないけどなぜか海外でも売れる商品、海外で代替品がない商品
ボーダレスからグローバルになっていく商品が多いのが日本のアドバンテージ

日本とアメリカがキャラクター経済圏をほぼ独占
テレビとキャラをうまく取り込んだ2国だから成功した
フランスは70年代までテレビが国営の2チャンネルしかなかった
アメリカは映画でキャラを一般化し、日本はマンガとアニメでキャラを一般化した。オンラインゲームが流行ったことで他の国もやっとキャラを普及することに成功することができてきている→それを考えると、アメリカを参考にメディアや文化を作り上げてきたからこそキャラクターを生み出せる時期が欧州や中国とかより早くなったのかもしれない
80年代まではキャラクター経済圏のモデルがなかったのでアニメマンガは売れなければすぐ打ち切りにするスタンスだった。60年代は菓子メーカーの意向に左右され、70年代は玩具メーカーの意向にアニメは左右された
87年に角川がメディアミックス室をつくり、アニメマンガを長期的に多面的に展開するという概念をやってのけた

みんなテレビを見るのではなく、人によって選択するプラットフォームが異なってくる時代になっている
自分が好きな価値観、好きな趣味に合ったプラットフォームを選択する時代
ツイッターでライブ感を感じる時代になっている

一万人の会場の興奮を、10万人の同時視聴者にも伝え、それを事後視聴した100万人にその場にいなかったことを悔しがらせるものを作るのが、マーケターの役割になった
それを実現するためには、SNSのフォロワーを増やし、人目のあるところや人が観るプラットフォームで広告やイベントをして人々の気持ちを高めさせ、チケット販売枚数からグッズの売上計画をつくり、限定品を散りばめ、出演者のSNSで興奮した告知をするよう呼びかけ、細々と情報出しをするなど、人々の気持ちを高める準備をする必要がある

ハイカルチャーとサブカルチャーの歴史はイギリス貴族くらいからもうある (ハイカルチャー→ゴルフ・乗馬、サブカルチャー→サッカー・ラグビー)
アンディーウォーホルやデュシャンのように、ハイカルチャーな芸術にサブカルチャー要素を取り入れたということで世界で影響力を持ったのが村上隆
新しい流行、新しい文化、新しい価値観は必ず異端な時期がある
バンダイは玩具最大手であったが、玩具の元になるキャラクターは少年ジャンプに依存しており、バンダイが考えたキャラクター経済圏を作らねばと危機感を抱いていた。なので一からキャラクターを築いた経験のあるナムコとの統合が進んだ?
バンナムはカナダ人と新規IP開発を進めたことがあるが、「考えてばかりで作業が進まない、勝手に進めると機嫌を損ねる」と意見するカナダ人と、「大して考え詰めていないのに手が進んでしまっているので仕事が粗い。クオリティの担保ができない」という日本人の意見が衝突して失敗に終わった
人種、言語、環境も違う人が集まって仕事をすることの多いアメリカでは、その中でうまく仕事ができる様に専門性のある人材を集め、スペシャリスト達がある程度自由に仕事を進めて仕事を完遂するスタイルが出来上がった。対して人種、言語、環境がある程度同じ境遇な人で仕事をしている日本では、安定した長期雇用のおかげで会社内の全てを経験した中間管理職が生まれやすく、中間管理職経由でホウレンソウを基本とした仕事スタイルが育った

1970年代、それまで複写機はゼロックスが覇権を握っていたが、キャノンがシェアを奪い、続いてリコー、ミノルタが続いた
1960年代に二輪車は中型大型しかなかったが小型のスーパーカブをホンダが北米市場に投入し成功した
手塚治虫が30分アニメを毎週作ることを55万で引き受けた時、アメリカのアニメ映画は数百人で1年半かけてつくるもので、日本のアニメ1話は数十人で毎週つくるものだった
いかに早くアニメを作るかを研究してアニメ制作をせざるを得なくなったのでアニメを早く作る技術がこの時日本のアニメ会社についた

ディズニーは日本でいうテレビ局、映画会社、ゲーム会社、テーマパーク会社、出版社が合わさったような会社。欧米はこういうなんでも自分でやる企業が多い
日本でみライブドアがフジテレビを買収しようとしたり、楽天がTBSを買収しようとしたりしたが、協調路線を強制されるような形で世論に潰された
宋との貿易を活性化しようとした平氏が国内思考の源氏に滅ぼされたり、海外進出を狙っていた織田豊臣よりも外様勢力を巻き込むことを優先した徳川の時代が長かったり、武士が天下をとっても天皇を存続させたりと、そう言った思考が今の日本人にもあるのかもしれない

新しいブームは新興企業が始め、ブームを成長させるが、やり方を覚えて遅れて参入したキャラクター資産の多い伝統企業にその後の売上をぶんどられるのが日本の特徴

全国に622あるアニメ会社のうち8割が東京にあり、そのうちの240社は練馬区杉並区にある
昔はテレビ中心で3次元タレントを中心にエンタメが回っていたが、インターネットが発達したことにより、ネット中心で2次元コンテンツ中心にシフトしていくと見られる

キングダムハーツは他のプロダクションと全然コラボしないディズニーがスクエアエニックスにコラボを持ちかけた稀なコンテンツ
1920年に新興した映画産業はデパートがスポンサーで映画にデパートが出てくる物語多かった。そんな感じでドラえもんはどら焼きなどの日本の文化を海外に浸透させることに一役かっている


感想
ブシロードの広告戦略とか内部の戦略はすごいなぁと思っているし、この本も8千字メモしちゃうくらいすごいワクワクしっぱなしの内容なんだけど、響タレントとブシモがどうも好きになれない←

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