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国立映画アーカイブに行って学んだこと箇条書き

場所

〒104-0031 東京都中央区京橋 3-7-6

入館料金

一般250円 大学生130円

開館時間

11:00-18:30
毎月末金曜日11:00-20:00

休館日

月曜日、上映準備・展示替期間、年末年始


1時間半滞在
日、英、中、韓の4カ国語で展示されてた

日本映画史

  • 日本映画の始まりは1900年代から

  • 映画の伝来は1897年、当時は映画ではなく活動写真という名称

  • それまでは浄瑠璃などに三味線などの鳴り物が結びついた語り物が今の映画の立ち位置

  • 無声→トーキー→カラー→デジタル

  • 日活、松竹、東宝、大映(現・角川)、東映の5大会社

  • 動く映像の伝来は1896年97年のエジソン社のキネトスコープ、ヴァイタスコープ、リュミエール兄弟のシネマトグラフが最初

  • 現存する日本人が撮影した最古の映像は1899年に歌舞伎舞踊紅葉狩りを写したもの

  • 北清事変、日露戦争で撮影隊によって記録された映像は多くの関心を呼んだ。そうした機運があり、映画専門館、映画撮影所がつくられた。

  • 実写映画だけでなく、歌舞伎などを写した劇映画も撮られた

  • 吉沢商店、横田商会、Mパテー商会、福宝堂の4社で映画界を盛り上げた。

  • 1912年に4社が合同して日活(日本活動写真株式会社)創立。向島に撮影所設立、京都は横田商会のものをそのまま使った。

  • 吉沢商店→錦絵の輸出、幻燈の製造販売。シネマトグラフの輸入をしたことて早くから映画界に関係する。1903年に浅草に電気館を建て、日本初の映画常設館を営業する。

  • 横田商会→京都で巡業隊を組織。日本映画最初のスター尾上松之助を見出し、1910年に二条城に撮影所を建設。

  • Mパテー商会→香港で写真店、帰国後設立。撮影所は大久保

  • 福宝堂→日暮里に撮影所

  • 1912年、日本最初のスター俳優、尾上松之助誕生

  • 日本映画の父、牧野省三(横田商会出身)のマキノプロダクションは東映の基礎を築いた

  • 時代劇と現代劇で撮影所が分かれている

  • 映画の地位は低く、歌舞伎界から俳優が入るのは稀だった

  • 1910年末、愛活家という欧米映画のファンが日本映画の未発達ぶりを指摘し、日本映画を近代化する純映画劇運動がはじまる。活動弁士の語りに左右されず、字幕でもわかる撮影方法を使うような映画の自立を主張。女形ではなく女優を採用した。それまでは舞台をそのまま撮影し、サイレント映像とともに活動弁士が物語のせりふや進行を語り、女は女形が演じていた。

  • 西洋劇専門、日本劇専門で分かれ、活動弁士番付があった。

  • 都会的な青春映画、チャンバラする剣戟映画が流行する

  • 映画伝来時は映画上映前に映写機の説明(前説)があった。

  • トーキー映画時代になると新聞社や通信社が日中戦争など速報性が重要なためニュース映画をつくるようになり、またプロパガンダ目的の教育映画もつくられるようになった

  • 尾上松之助没後は6大時代劇スターが誕生した。

  • 1923 関東大震災で一時映画作りの拠点が関西に移った

  • 関東大震災により日活は向島撮影所を閉鎖、多摩川に撮影所設立

  • 1927年 アメリカでジャズシンガーが公開されたことで、映画界はトーキー時代に突入

  • 国産トーキーは1929年に初めて公開され、1931年松竹のマダムと女房で成功して軌道に乗る

  • 鈴木重吉が積極的にトーキー映画に挑戦した。

  • 田中絹代、少女時代から晩年まで活躍。日本初の女優監督。

  • 1920年代 演劇興行会社だった松竹が映画製作に乗り出す

  • 1925年 映画の影響力の大きさから映画検閲が開始される

  • 1933年 録音技術専門の写真化学研究所がPCL映画製作所を設立(黒澤明も育った場所) 1937年京都のJOスタヂオと合併し、製作から配給までおこなう東宝映画株式会社を設立

  • 1936年 映画会社の枠を超えた日本映画監督協会設立

  • 1939年 映画を国策に沿って活用する映画法が施行

  • 植民地でも映画協会が設立されプロパガンダとして映画を利用した(満州、上海、朝鮮、フィリピン、インドネシアなど)

  • 戦後、1950年の羅生門のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞など、黒澤明、溝口健二の作品が世界から注目を集め日本映画は黄金時代に

  • 松竹、東宝、大映、東映、日活、新東宝が製作配給興行という映画の流通工程をコントロールし全国に映画を届けるシステムを構築したおかげで、1958年には映画入場者が1年でのべ11億人に達した。

アニメーション映画

1917年の漫画映画に始まるアニメーション映画は1956年東映動画の設立で転機を迎える→劇場用の長編アニメ映画の道がここでひらけた
東映アニメーションのマスコットは1957年の作品の主人公でのちに長靴をはいた猫の主人公になるペロ

特撮

1919年カメラマンだった円谷英二がアメリカのキングコングをみたことで特殊撮影の分野に目覚め、1954年のゴジラで脚光をあびる

  • 最初のカラー映画は1951年カルメン故郷に帰る 富士フィルムが開発したフジカラーによるもの

  • デスマスクあってビックリした

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