お茶の文化創造博物館に行って学んだこと箇条書き
場所
〒105-0021 東京都港区東新橋1-5-3 旧新橋停車場内
入館料金
・お茶の文化創造博物館
大人500円、学生300円、70歳以上の方と高校生以下無料
障がい者手帳をお持ちの方はご本人と付添いの方一名様は無料
・お〜いお茶ミュージアム
無料
開館時間
10:00〜17:00
休館日
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日休館)、年末年始
URL
お茶は中国から世界へ
中国での呼び方 chaがモンゴルロシアトルコでチャイ、ヨーロッパでテ、ティーになった
日本の茶の歴史は815年、「日本後紀」で、遣唐使?留学僧の永忠が天皇に献上したことが記されている
南北朝時代に闘茶という飲み比べが流行る
室町時代に茶道具の国産化の動きが活発化する
千利休の「茶の湯」侘び寂びを表現
茶道の大衆化は江戸時代から→外でお茶が飲めるように茶弁当というポータブル茶淹れが誕生した
茶屋ができて看板娘が人気になる
豊臣秀吉は北野天満宮で身分関係なく参加できるお茶会開いた。
石川県、島根県が和菓子が発達したのは大名が茶が好きだったから?
茶を煎じて飲む→800年代から
茶を点てて飲む→室町時代から
お茶は鎌倉時代まで薬として飲まれていた
飲み物としてのお茶は室町から
表現としてのお茶は千利休から
茶を淹れて飲む→江戸時代から
1856年にイギリスから注文を受けて日本茶が輸出される
輸出されるお茶のパッケージにはゴッホやモネにも影響を与えた浮世絵がデザインされることも多かった
オルト商会モリヤン、グラバー商会ハイマンによってイギリス系製茶輸出商社のモリヤンハイマン社が神戸大阪に設立
静岡 20ヶ所以上の茶の産地がある
金谷ブランド→牧之原のお茶
勢州(三重北部)も江戸〜明治までお茶の名産地だった
茶葉摘み用の車がある
お〜いお茶ミュージアムで学んだこと箇条書き
缶ウーロン茶、缶紅茶が売れたあと、缶のお茶を売ろうとした
1970年代、洋風なものが流行り、急須でお茶入れるのがめんどうになりすぐに飲めるようにしたい→お茶飲料販売の契機
あったかいお茶のみ飲む習慣だった。
お茶、水にお金を払う習慣なかった。
1989年に俳句大賞企画始める。
1996年までペットボトルの蓋はアルミ製だった?
2000年ホット対応ペットボトル登場
2009年冷凍できるペットボトル登場
2016年レンジに対応できるペットボトル登場
2017年光から鮮度を守るペットボトル登場
初めは煎茶表記で販売されたが、学生アンケートの結果、緑茶、グリーンティーなどの候補を超えてお茶表記が最多票を獲得した。
名前を変えたことで売上が6倍増えた(6億から40億)
お〜いお茶は約40ヵ国に展開されてる
無糖緑茶飲料で世界1位
お〜いお茶のペットボトルの上部のギザギザは光が当たるのを抑えるため乱反射させるためにそうなってる
お茶の摘み取りは茶畑1畝で1年に4回できる
一番茶 4月5月
二番茶 6月
三番茶 7月8月
秋冬番茶 9月10月
苗植えたら7年で収穫できる
お~いお茶の茶葉は特別な技術で工程を減らすことに成功しているため、普通より茶葉が傷んでない
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