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食の歴史と日本人ー「もったいない」はなぜ生まれたかを読んでタメになったこと箇条書き



もったいないは英語ではwastefulと訳されているが、wastefulは日本人のニュアンスとしては無駄遣いという意味なので、ちょっと日本人が使っているもったいないとはニュアンスが違う
日本人は無駄遣いはお金関連、もったいないは食べ物や自然関連のもので使い分けている
日本人は自然の恵みを感じてきた民族なのでこの使い分けが感覚として根付いているのでは(欧米人は自然は神がつくった畏れ多いものという認識でいる歴史が長かったのであまりそういう感覚が根付いていない?)

日本は1haあたりの農地で賄う人数の密度が高いから、細かく恵みを節約しないと食料を賄えなかった
1950年時点で人口1000万以上で人口密度が日本より高い国はオランダとバングラデシュだけ
この2カ国もインドやフランス、ドイツなど人口の多い国の一部としていた期間があり、日本のような一つの国として長期間人口密度が高かったわけではないので、日本の人口密度が高い理由は世界の中でも特殊なものである
1950年くらいから世界全体の衛生環境や化学肥料の発明により食料生産性があがり、砂漠の国にも食料が輸出できたりと貿易量が上がり、人口が急速に増加した

海に囲まれた島国である日本とイギリスは、国内の同じ人種での統治権争いはあったものの、農民を殲滅するような侵略であったり、宗教戦争のような偏った正義感で苛烈になりがちな戦争はなかったので、人口が極端に減ったり、農地がボロボロになったりすることがなかったので人口密度が他の国より高いままでいられた
イギリスに関してはそのおかげで王族以外が富を蓄積しやすくなり、民主主義や産業革命が生まれたのではと思われる

縄文時代は1万6000年前から2500年前の1万年4000年の期間、最大で26万人の人口、狩猟採集しやすかったことから東日本の方が人口が多かった
稲作は朝鮮半島から北九州経由で日本に伝来
稲作のおかげで食料供給が安定し、弥生時代に人口が縄文時代のピークの2倍に増え、奈良、飛鳥、平安と時代を経るにつき400万、600万と人口を増やすことになる
よくドラマなどで再現される源平合戦や関ヶ原などは、今の日本の10分の1くらいの人口密度での戦いだったので、自分たちが想像しているよりスカスカな日本列島での出来事であることを認識してドラマをみると新しい発見がありそう

江戸時代にそれまでは庶民は大家族制で、家は長男のもので次男三男は外に出ず嫁も貰わず家で働いて、且つ一生独身の下僕や下女を雇って農業を回す習慣だったのが、次男三男も嫁を貰い分家して独立できるようになったことで、労働意欲が生まれたり出産の機会が増えたりして人口が急速に増えた
江戸初期は1200万だったのが1700年代には3000万人になっていた
江戸時代は日本の人口の85%が農民だったが、当時のヨーロッパと比べると農民の人口構成比は低い方だった
江戸時代の都市では汲み取り式の共同便所の近くに井戸の水があったりしたので、それが原因で病気になる人が多かったのか、江戸の死亡率は高かった
江戸は火事が頻繁に起きるので建築の仕事の募集がたくさんあり、地方から出稼ぎで男がたくさんくるため、江戸在住の人は男性の方が女性より圧倒的に多く、出生率が低かった
江戸時代中期後期には開墾できる田畑の上限がきてしまい人口が停滞した
大正時代までは医療が未発達だったので子供が3歳、5歳、7歳と順調に成長することは難しいことであったから、七五三は子供をここまで成長させた神に感謝する儀式として有難がられていた

イギリスでは二次大戦より一次大戦のほうが戦死者が多かった
1880年から2005年の間にイギリスで2000万人の移民があったが日本は109万人であったため、イギリスと日本は江戸時代までは同程度の人口だったが、今では2倍近く人口の差があるようになった
イギリスには植民地やイギリス人発祥の国アメリカなどが海外にあり、日本人が北海道に移住する感覚で海外移住出来たことが移民が多かった理由になりそう
奈良時代から今まで世界の人口の50人に1人は日本人で、江戸時代には20人に1人の割合まで跳ね上がったことがある
日本の農地面積はイギリスフランスドイツどの国よりも狭い
イギリスは農地面積が少なく植民地に行く移民が多くなり、フランスは農地面積が多いので植民地があっても移民はそこまでいなかった。ドイツは農地面積はそこそこであった。しかし増える人口に足る農地面積ではなく植民地がなかったのでイギリスが羨ましかった→世界大戦の遠因か?

人口密度が高い日本で今少子化が問題になっているが、逆に人口が減った方が満員電車解消や高速道路渋滞緩和、自然エネルギーだけでのエネルギー運営、食料自給率の向上にとってはメリットであるので必ずしも人口減少は悪いことではない
日本という名称は飛鳥時代、689年に定まった
農地面積は平安時代には85万haだったが、江戸時代には294万haになった
鎌倉から室町にかけて二毛作が普及
二毛作普及前は米の蓄えが減る夏に死亡率が増えた
水田を作るには灌漑用水路が必要。それを作るには雑木林を切ればいいだけではなく、土木技術、測量技術が大事
土木技術を利用して水攻めなどの戦術を使い、勝敗が決まっていた戦国時代に土木技術が発達した
戦後の1961年の609万haが歴史上最大の農地面積で、その後は急激に減っている→現代は明治時代と同じ農地面積

日本は雨量が多く森林が国土の67%を占めているので、ゴルフの芝を維持するのが難しい。イギリスは寒冷で雨量が少ないので芝の成長が遅く維持が比較的容易
ニュージーランドやイギリスが森林伐採して草地を作れるのは雨量が少なく森林によって洪水を防ぐ必要がないから?
現代のイギリス人が自然保護を高らかに掲げて同調圧力を求めても、過去のイギリス人は森林伐採を大量に行なってきたわけだから説得力ないということは頭の片隅にあっても良いのでは
山が多い日本の河川は急峻な河川が多い
世界の中で国土に対して森林に囲まれている率が日本より高い国は北欧や東南アジアの国17ヵ国しかない
江戸時代初期の儒学者、熊沢蕃山が無闇に森林伐採すべきじゃないと森林を守ったことで今の日本の森林状況がある?
天武天皇以来日本人はあまり肉食をしなかったことで牧畜業が盛り上がらず、森林を草地に変えてこなかったことも日本に森林がたくさん残っている一つの要因

日本は国土に対して人口が過多なため、人を減らす以外には人々は絶えず労働をして価値のあるものを作り、作ったものを海外の食料と交換しなければやっていけない。反対にニューギニアの人などは農地に対して人口が少ないので、少ししか働かなくても食べるのには困らない
人間と肉食動物の違いは狩猟だけでなく農業をしたかどうか
ヨーロッパは草地が多く牧畜が多く盛んだから、肉、バター、チーズなど脂質を含んだ料理が多いため、日本人がヨーロッパに何日も滞在していると、お茶漬けとかざる蕎麦みたいなあっさりしたものが食べたくなる現象が起こりやすい

明治時代は米と麦は同じくらい生産されていた、今は米の方が多い
麦より米の方が人気があったので、米を作る余裕ができると進んで米を優先的に作るようになっていた
江戸時代の日本人と現代の日本人の1日の米の消費量はあまり変わらないが、米以外の食べ物も現代人は食べているので、江戸時代の人は今の日本人より小柄
明治時代は米が不作の年は餓死者が増え、政治が不安定になり、米が人口に対して充分な量を生産できた年は政治が安定していた。日本人にとっていかに米が大事だったかわかる
米が安く買えるようになると、それだけ働かなくても米は食べられるのでニートやフリーターが増える(安くなっただけ他のものに使えるお金が増えるという意味では豊かになってると言える)
江戸時代初期は食事の時間以外これといった楽しみが少なかったので給料に占める米の割合は高かった(現代と比べただけでも江戸時代の米の値段は高かった)
江戸後期の米の生産効率と、1945年のアジア諸国の米生産効率は同等くらいだった→日本の稲作は優秀
田畑に排泄物を肥料として使うのが良い理由は、排泄物内のアミノ酸、タンパク質、尿素が微生物に分解されて、アンモニア窒素や硝酸窒素ができるから
土壌が痩せるというのは土壌内の窒素が不足すること
小麦は収穫時に土壌から窒素を多く持っていくから、小麦栽培は土壌を痩せさせやすい。なので肥料のない時代は小麦を一定の土地で作り続けるのは難しかった→そこで採用されたのが三圃式農業
米は収穫時にそれほど窒素を持っていかないので肥料のない時代にも連作できた
小麦が主流のヨーロッパより米が主流のアジアの方が人口が多いのは稲作は三圃式にする必要がなく連作ができ、生産量が多くなることが要因
1880年から1940年までの60年で人口が3500万人から7000万人に急激に増えたが農地面積は1.3倍にしか増えなくて食料不足になった→しかも化学肥料がない時代だったから余計苦しかった

農業には窒素がたくさん蓄えられている土壌、腐葉土が大事
土地は何万年もの月日をかけて窒素量が豊かな土壌をつくる
ヨーロッパの森は降雨量が少ない為、木と木の間隔が広い森が多く、落ち葉が少ないため腐葉土が少なく土地が痩せているから農業があまり発達せず家畜文化が普及した、逆に日本は降雨量が多いので繁った森が多く腐葉土が多く土壌が豊かで農業向き
アフリカなどの熱帯では温度が高すぎて腐葉土ができる前に落ち葉が分解され尽くされてしまい土地が痩せている
化学肥料のなかった頃は落ち葉や糞尿を肥料に使っていたが、化学肥料の方が圧倒的に効率が良い
江戸時代に農業で糞尿を使用していたことで川はめちゃ綺麗だった
化学肥料を作るのは環境汚染に直結するので、肉や穀物を多く輸入している日本はまだ環境汚染が深刻ではないが、アメリカフランス中国など農作物自給率が高く化学肥料を大量に使用している国は環境汚染のレベルが日本より高い
先祖が農耕民の国民の方が、先祖が牧畜民、遊牧民な国民よりも勤勉に働く国民性になりやすい
日本よりイギリスの方が圧倒的に家畜の数が多い
中国の北方と西方には草地が広がっているため放牧に適しているので牛や羊の数が多い
協調性が必要な農耕で食料を生産していた日本だから協調性を重んじる国民性になった
中国は稲作もしていたが牧畜もしていたり、遊牧民に支配されていた時代があったので、日本人と中国人の国民性は違ったものになっているのでは?→牧畜民から侵略されたことのない農耕民の国は日本くらいなので、日本人の国民性はガラパゴス化しているのかも
家畜を飼っていると常に家畜を危険から守るため神経をつかっていたので、警戒心が育まれるが、長らく農耕民だった日本人は家畜を飼っていた歴史が短いせいか警戒心が薄い国民性になってしまっている?
家畜は隠せない財産、米は隠せる財産
稲作は水が重要なので自分の農地の周りの人間は敵というより仲間なので、警戒の対象ではなく協調の対象になる
牧畜国は自分を守ってくれそうな若くて力強いリーダーを好むが、農耕国は経験豊富な長老をリーダーにするのを好む
日本人が肉食をしなかったのは天武天皇の仏教思想の導入によるものということもあるが、天武天皇の時代、飛鳥時代にはすでに今のニュージーランドくらいの人口である400万人の人々が日本で暮らしていた為、野生動物を狩猟して生活を賄える人数ではなかったためということもある
稲作を開発した中国が近くにあり、かつ遊牧民から攻められにくい土地だったからこそ、日本人のシャイで警戒心が低く他人との協調、平等が好まれる国民性になった
今の日本の肉の消費量は先進国であるにもかかわらず世界で86位

日本は戦後まであまり水産物を食べるのを常としてなかった
保存技術がないため内陸部では魚があまり食べられず、動力船がなかったから沖合で漁業が出来なかった
冷凍技術が発達した時代から漁業が盛んになった
1961年には漁獲量世界一だったが、今は中国ペルー、インドなどに抜かれ第4位

食料を外国から輸入できるようになったのは明治に始まり大正時代に安定した
江戸時代も食料が足りなくなるくらい人口が増加したが食料が輸入できなかったので人数調整で子供を殺したりしていた
大正から昭和初期には朝鮮台湾インドインドシナアメリカなどから米を輸入し、米自給率が69%になったときもあった
植民地化後の台湾から砂糖、朝鮮から米をそれがないと日本はやってけないくらい輸入していた
台湾は水田を新たに開墾する余地があったので日本に米を輸出してもなんとかなったが、朝鮮は植民地化されるまでに既に朝鮮半島全土を開墾し尽くしてしまっていたため日本に米を輸出したら朝鮮人が消費できる分が減り貧しくなってしまった
1933年の朝鮮の食糧事情は今のアフリカ最貧国水準であった
朝鮮から日本に米が大量に輸出されたのは、朝鮮の米が安く日本に売れば高く買い取ってくれるためであり、軍事的な圧力や帝国主義なもので強制的に輸出させていたわけではない
しかし朝鮮の関税自主権を撤廃させたのは宗主国の日本だから非難は免れない
日本が台湾、朝鮮を統治する前と後で台湾と朝鮮の人口は2倍になった
日本の国土面積と地形地質では人口3500万人くらいが自給自足の食料で賄っていける限度っぽい→1億人人口がいる中で餓死者が大量に出ずに済んでいる今の日本は、海外との貿易関係があってこそなし得ている
1960年代、飼料費にトウモロコシの輸入が増え庶民が肉をたくさん食べるようになっていった
戦後まで軍部の食事は庶民の食事より豪華だった
昭和10年の日本人男性の平均寿命は47歳だったが平成20年には79歳になった、食料を輸入できるようになったことで肉を食べられるようになり栄養状態が良くなったので得られたことである
穀物消費量における米の割合は1933年は60%だったが、1961年にはすでに47%で過半数を割っていた

日本は土壌が豊かで連作ができて人口扶養能力の高い米を作るのに適していて、異国からの侵略がなく土地を整備する時間が十分あったので、農地として使える土地が少なくても人口が多くなった
平安から鎌倉にかけての時代はアメリカの西部開拓のような時代
征夷大将軍という呼び名は、日本の東側の夷人、野蛮人を征服する将軍という意味で関東人からするとあまり気持ちのいい呼び名ではない
征夷大将軍はインディアンを征服する騎兵長のような存在であったが、鎌倉時代、江戸時代は騎兵長が実質日本のトップになったということになる

今の日本人のもったいない精神や、勤勉な性格、倹約家なところは、食の歴史的には、人口が急増してなんとか今日生きる食料を確保するために働くようになった江戸時代に生まれたと言える
参勤交代やらインフラ工事に地方の藩の人間を駆り出して勢力を弱めた
インフラ工事中に自分の藩の人間が死んだり怪我をしたりして責任をとってトップが自決するということもあった
江戸中期には水害が起きそうなところにまで水田を作らなければならないほど食料確保に困っていた
江戸後期の日本の人口は世界の4.8%で20人に1人は日本人になっていたが、農地に使える面積は世界の0.33%分しかなかったので、食料はもちろん衣料品や燃料も不足気味でここでもったいない精神が華開いた
イギリスではもったいない精神が華開く前にアメリカを見つけアメリカ移住が始まったのでついぞもったいない精神は根付くことはなかった
ヨーロッパは古いものを尊重する文化、歴史を大切にする文化でモノを何世紀も壊さず維持しているが、日本人は資源の再利用に熱を注いできたので、「モノを長く使う」という同じ事象でもその理由は日本とヨーロッパで違っている

江戸時代のエネルギー源は薪や炭だったが、明治時代になると石炭になり一気にエネルギーの強さが代わり工場ができた
昭和天皇は学習院で乃木希典に贅沢は敵である教えを学んだ
昭和初期は帝国主義が一般的な考え方だったので、他国を侵略するために軍隊を強化するため、食料不足であるにもかかわらず、たくさん子供を産むことが推奨されていた
米が輸出できるほどコメ作りに適していない満州国を作ってしまったが故に、フランスイギリスから縁を切られ東南アジアからの米輸入が打ち切られ、満州国ができる前より食糧難になってしまった
戦時中は日の丸弁当(ご飯に梅干しのっけただけの弁当)を持ってくるように学校から強制されたりして、政府からのもったいない精神の押し付けが強かった
1000ドル稼ぐためにでるco2排出量は日本よりアメリカイギリスの方が多い
もったいない精神があったからこそ、ハイブリッド車が日本から生まれた。日本はアメリカイギリスが省エネしないとヤバいと思う前からもったいない精神で省エネを自発的に行っていたから、日本人は倹約したり省エネする経験値が他国より高い

文明の衝突という本には日本は日本文明という他の国とは違った独自の文明を持っていると書かれている

小麦は栽培に水はそれほど必要としていないから、誰の農地にも平等に降り注ぐ雨水だけで収穫することができるが、米は雨水だけでなく灌漑水路を必要とするくらい水が必要なので、灌漑水路を共同管理し、1つの灌漑水路を共同利用する住民と仲良く融通を利かせ合わないと米が育てられないので、米を食料の中心に置いている国の民は協調性を大事にしている性格になりやすい、反対に小麦は個性的になりやすい
G7は日本以外は全て西欧文明に括られる国
日本は協調性を気にするあまり、世界から日本がどうみられているかとか、日本人ってどう?っていう質問を投げかけたりとか、やたらと他人の目を気にする癖がある
西欧文明の国はルーツをギリシャローマ文明に覚えているので、西欧文明の国に生きているだけで自然とギリシャローマの雰囲気を纏うようになる。日本は中国の故事や大河ドラマ的なものにルーツを覚えているので西欧とは共通の話題が少なく、G7の雑談の場で日本の首相が浮いてしまうのも仕方がないところがある
日本は中国にルーツを感じているが、奈良時代あたりを境に遣唐使が廃止され、そこから中国の生の情報が明治当たりまで来にくかったため、日本人と中国人の間には中国文明に対するルーツの深度が違っている。
江戸時代、仏教を心得ていた層は中国よりさらに遠くて行きにくいインドを天竺、極楽浄土だと思っていた
稲作中心の島国日本人の特徴→勤勉、協調性あり、危機意識低い、もったいない精神、内向的、戦略性がない→庶民は勤勉で勇敢で有能だが、指導者は戦略が下手でポンコツ
良い戦略は積極的な議論の末生まれるが、人を傷つけ協調性がないことを怖がる日本人は会議が苦手なので良い戦略を生み出しづらい
KYという言葉が日本の若者から生まれてしまうのは、若者も結局は昔の日本人の気質と変わってないことを意味してしまう
牧畜中心の大陸国の特徴→危機意識高い、個性的、攻撃的、戦略的
日本人の勤勉で協調性のある性質と工場は相性が良く、省エネルギーで製品をつくることも日本人のもったいない精神と相性がいいので、日本のものづくりは世界でも優秀なのかも


感想
米を作ってきたか、小麦を作ってきたか、肉を作ってきたかで国民性が変化するんだなと感じた。
日本がなんでこんなにガラパゴスなのかがめちゃめちゃ納得できてタメになった本だった。
これはめちゃ面白い

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