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【第1回 ショパン】ファッション・絵画や歴史と繋がるクラシック音楽

フレデリック・フランソワ・ショパン(1810-1849)
ポーランド生まれの作曲家・ピアニスト

39年という短い生涯の中で、音楽家として重要な時期をフランスで過ごしたショパン。彼がポーランドを離れた1830年という大きな節目の頃の絵画やファッション、歴史に注目して、同時に並べてみることで、時代の空気を感じながらショパンの音楽を鑑賞してみよう! という趣旨のnoteです。どうぞお楽しみくださいね。

連載の第1回目はショパン特集ということで、最初に貼ったBGMは1831年、祖国ポーランドでの革命が失敗に終わったことへの感情が反映されていると言われるエチュード『革命』。
ニコラ・アンゲリッシュの演奏でお送りしました。

そしてもう1曲、1834年に発表されたショパン最後のロンド作品です。
シャルル・リシャール・アムランの演奏で、たっぷりとお聴きください。


絵画・ファッション

ヘッダー画像にしているショパンの肖像画は、当時の婚約者でもあった芸術家のマリア・ウォジンスカによって1836年頃に描かれました。
絵の服装は、現代人とそこまで違いがないタキシード姿。
バッハやモーツァルトの時代のような、今は女性がするような華美なリボンやフリルいっぱいの服装ではなく、ウイッグ(カツラ)を使っていないことがわかります。とはいっても、ジャケットの衿や袖口などに華美すぎない趣があって、ヨーロッパのお城の内装に溶け込む華やかさがありますね。

華美過ぎない、というのはショパンの『Simplicity is the final achievement(シンプルさは最終的な目標です)』という名言とも繋がる気がします。
飾りたてすぎない上品さが美しいとされた時代と、ショパンの音楽。ぴったりマッチしていたことがなんとなく感じられませんか。

ショパンが渡った1831年頃のパリはどんな様子だったかというと、建物は今のパリと変わらない感じ。ヨーロッパの国々は日本と違って災害や火事で建物が失われてしまうことがあまりないので、戦争で壊れるようなことがなければ当時の建築が現存しているのがいいですね。

パリのモンマルトル大通りの眺め 1830年
Giuseppe Canella (1788–1847)

人波の先頭あたり、クリーム色の服を着た女性と腕を組んで歩いている男性がいますね。ショパンの肖像画と似た装いで描かれています。
通りの真ん中あたりには藁のようなものを担いで運ぶ使用人や軒前に立つエプロン姿の商人(野菜を売る農民かも)、白い馬に乗り青白赤のトリコロールカラーの制服を着たフランス軍人や立派な馬車も見えます。

服装で仕事や階級が見えてくるのも興味深く、当時まだ身分が低かった音楽家の中にあって、身なりにしっかりとお金をかけたショパンは館の正面に馬車で乗りつけて入ることができたという逸話を思い出します。こうして見渡すとなるほど納得。服装のチカラ、おそるべしですね。(もちろん、オシャレなだけでなく、中身も教養が高く紳士的だったからでしょう)

パリの歴史とその頃の日本

1830年のパリは『七月革命』からの新王政時代に入ったところでした。ショパンの祖国ポーランドも大変な時期でしたが、フランス革命から二転三転で、パリもなかなか大変だったようです。それでも新王政はブルジョワジーに有利な仕組みだったこともあり、ショパンは上流階級の社交界で作曲家、ピアニスト、またピアノ教師として安定した生活をすることができたのでしょう。
ちなみに、のちにショパンの友人となり彼を描くことになる画家のドラクロワが、七月革命を題材にした絵を描いています。有名な絵ですね、見たことある!

民衆を導く自由の女神 1830年
Ferdinand Victor Eugène Delacroix (1798-1863)
ショパンの肖像 1838年
Ferdinand Victor Eugène Delacroix (1798-1863)

そんな激動のパリで成功していたショパンですが、体調がすぐれないこともありスペインのマヨルカ島に移ったり、パリから離れたノアンで過ごしたりと、パリも安住の地ではなかったようです。晩年の1848年に新王政が二月革命で崩れる頃、今度はイギリス方面への旅に出ました。しかしこの頃のヨーロッパはどこにいても戦争だ飢饉だと落ち着く暇がなく、最後はまたフランスに戻り、39年の生涯を閉じました。

さてここで、遠いパリの歴史を見てもまだショパンは遠いなぁという方に、同時期の日本史を少し。この頃の日本は江戸時代の後期で、年号でいうと『天保』。天保元年が1831年で終わりが1845年ですから、ショパンの生きていた時代と重なります。 歴史の授業だと大塩平八郎の乱とか天保の改革あたり(うっすらとした授業の記憶が……)。
幕末に名を連ねる重要人物が次々に誕生する時代でもありました。坂本龍馬、徳川慶喜、伊藤博文、天璋院篤姫、渋沢栄一……でパリにはショパンですよ。ちなみにショパンの同い年には蘭学者で医師の緒方洪庵がいます。時代感、だんだん分かってきましたよね。

クラシック音楽、ショパン、とだけ見るとすごく遠い昔のような感覚になるかもしれませんが(私がそうでした)、坂本龍馬とか幕末と言われるとなんだか地続きで身近な感じがしてきませんか。

パリに移った頃に作曲された曲

アムランのロンドがそろそろ終わりそうな頃だと思うので、ショパンがパリで生活を始めた1831年頃に作られたノクターンをご紹介します。
演奏はヤン・リシエツキです。

ちなみに、ショパンの曲は曲の種類ごとの番号と全作品とおしの作品番号が振ってあり、数字だけ見て探すと違う曲に行きあたってしまうことがあり、私はいまだに時々やらかします……。
これはノクターン(曲の種類)の中の3曲で、それぞれ第1番、2番、3番(No.1.2.3)と呼ばれていて、中でも第2番は聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。
作品番号としては9番(Op.9)という表記になります。

『Chopin Op.〇』は1曲しかなくて、『Chopin No.〇』だとワルツだったりスケルツォだったりピアノ協奏曲だったりするので、必ず曲の種類も確認しましょう(自戒)。
しかも作品番号は必ずしも制作順ではなく、結構ややこしいです笑。

こちらもきっと耳にしたことがある人の多そうなワルツ。『華麗なる大円舞曲』の名で親しまれています。1833年頃の作品です。
ジャン・マルク・ルイサダの演奏を、パリのスタインウェイ&サンズで撮影された動画でお楽しみください。

さて、ここでまた少しファッションに戻りますが、女性たちの間では当時、それまでの厚塗り白粉メイクが下火気味になり、守ってあげたい女風のナチュラルメイクが流行っていたそうです。お淑やかな撫で肩に見えるオフショルダーと下がり気味についたふんわり袖が特徴的なドレスも流行。モンマルトルの街並みや検索で見かけたドレスなどから、マカロンのような淡い色が主流だった様子もうかがえます。

ノクターンにある、どこかワケアリげで翳りのあるアンニュイさ、パステルカラーの砂糖菓子がピアノから次々と飛び出してくるようなワルツからは、そういったパリの流行を敏感にとらえたショパンのセンスの良さも感じます。

レディ・エア・ウィリアムズの肖像 1833年
Claude-Marie Dubufe (1790–1864)

ショパンがパリに来る直前、初めてフランスに贈られたキリンがブームになり、キリンのような背高の盛り髪が流行していたそうで、日本で金髪ギャルメイクとデカ花が流行したあとに黒髪ナチュラルメイクが流行した感じを思い出しました笑。(パリ、もうちょっと前には頭のカツラに船とか乗っけてましたからね、そういう時代はモーツァルトが流行するのなんとなく納得。)
これを見て、キリンヘアが流行っているときにはショパン、あまり流行らなそうだなと思いました。あと数年早くパリに来ていたら……?



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!
読んでくださった方が楽しい時間を過ごせていましたら嬉しいです。

次回はいつの時代の、どの作曲家を書こうかな……。
リクエスト、スキ、感想などなど、たくさんの反応をお待ちしています。

(ヘッダー:Maria Wodzińska(1819-1896))



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