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角野隼斗ツアー2024【KEYS】福島

2月7日、快晴。
昨年7月の高崎以来、7カ月ぶりに角野隼斗の生音に触れるため、隣県の福島へ。
最寄駅から福島駅まではローカル線で約3時間ほど。目的はコンサートただひとつなので、私にとっては乗車時間も束の間の車窓旅行です。よく晴れた青空と前日に降り積もった雪景色のコントラストが美しく、忙しない日常を離れて清々しい気持ちになることができました。

今年のツアープログラムは目次にあるとおり、なかなかのバラエティパック仕様。興味深いことはモーツァルト成分が2曲並んでいることと、全体的には『オーケストラやアンサンブルを感じさせる曲』という共通点も感じるところ。

ツアーが始まる前に配信された『かてぃんラボ』でも、その点についてのアツいトークが印象的でした。(※かてぃんラボ=YouTubeかてぃんチャンネルの月額制コンテンツ)

記憶が曖昧ながら、あとで振り返れるように1曲ずつ感想を書き留めておこうと思います。
結論を先に言ってしまえば、2024年の角野隼斗も最高!

コンサートの感想という趣旨上、ここから先はネタバレです。ご自身の行く日程がまだの方で詳細を知りたくない方はそっとページを閉じるが吉です。
感想に紛れて他の音源も載っていたりもしますので、公演後で角野サウンドの余韻に浸りたい方もご注意ください。




福島の会場は、青緑色のタイル壁が美しい『ふくしん夢の音楽堂

1000席ほどのホールでありながら、実質6~700名くらいにも感じられるサイズ感で、奏者と観客の距離がとても近くに感じる親密な空間でした。(つまり座席の前後間隔は激狭でした笑)
大都市では2000席キャパのホールを使うのが基本となっている角野氏の人気ぶりを考えると、地方は公演頻度の少なさはあれど、まだまだこのサイズで鑑賞できるというメリットも大きいなと感じます。
私の席は4列目の上手、ピアノの大屋根越しに演奏者が見える席でした。

自席からの眺め。肉眼ではもっと近かった。

開演前のステージにはグランドピアノが1台。そのすぐ向こうに、白い球状の間接照明が置かれているのが見えました。私の席からだと鍵盤は見えず。でもいいんです、蓋側の音が大好きなので。ちなみに今回はピアノの蓋裏が鏡面ではなくて、ピアノの内部が映っていませんでした。映っていると私はそこばかり見てしまうので、この日は表情を比較的よく見ることができました。といっても「終始楽しそう」という印象しか残っていないのですが笑



J.S.バッハ:イタリア協奏曲 BWV971

[参考]ピティナ・ピアノ曲事典 

バッハ自身がコンチェルトと名付けたという曲。前もってピアノやチェンバロの演奏をいくつか聴いてみると、確かにバロック時代の室内楽のような。主旋律がヴァイオリンとかのストロークっぽいのでストリングスの動画を。

さてここからが(とんでもない衝撃に毎秒気絶しそうになる)コンサートの始まりです。
弾き始めから「うっそ! これグランドピアノの音じゃないよ……」と一瞬で角野隼斗のヤバさが直撃。チェンバロの弦が撥ねるようなジャララーン、という音から始まって、『わたくしは今、ハヤトの魔法でチェンバロになっておりますの』とチェンバロになりきったグランドピアノが優雅に笑っていました。
なぜか琵琶がジャララーン、と掻き鳴らされたときのゾクゾクを感じて、ああそうか、古楽といえばリュートだ! と。(琵琶もリュートも似た形していますからね)リュートを模したチェンバロの音色を、グランドピアノが奏でていたような感じだったかも(ややこしい笑)

戴冠式を演ったことでモツみを得たかてぃんさんが弾くと、音の明るさと拍感なのかな、バッハの曲をモーツァルトが弾いているような感じも。

第1楽章はとってもカラフル。幾重にも架かる虹の上を音符たちが次々に滑り降りて遊んでいるような弾む楽しさで、音からも表情からも、ツアーを、この日この瞬間を、心から楽しんでいる様子が伝わってきました。でも私は最初のジャララーンで既に射抜かれ済で、音符たちが楽しそうだったという印象しか覚えていません。というか次の曲次の曲と上書きされてしまう角野隼斗のコンサート1曲目なんて、今にして思ったら遥か昔みたいな遠い記憶です。最初のジャララーンだけ鮮烈……。

第2楽章はガラリと雰囲気を変えてしっとりと。憂いを帯びた音が少し気怠くメルティでした。大人、というとちょっと伝わりきらないなぁ、人間の年齢に例えられない、敢えていうなら樹齢です。樹齢28年。人間のような喜怒哀楽は持っていない、もっとこちらに干渉してこないアンビエントな空気だったように思います。こういう音楽は記憶で持ち帰りにくくて、思い出せなさに胸がきゅうっとなります。とても素敵だったから、いつかアルバムとかレコーディングしてほしいです。(もしかしたらロンドンRECで収録済でしょうか…淡く期待しときます)

そして! 特に素敵すぎたのが第3楽章でした。もうエレクトリカルパレードって言っても過言ではありませんでした。ここだけ永遠にリピートされててもお金出せますってくらい良かった。ディズニーランドになりたかった幼い隼斗君の夢が築き上げたHayato Suminoの鍵盤ランド、初っ端から最高でした!!
生まれる前からバッハに育てられたみたいな鈴木優人マエストロがかてぃんさんに興奮する理由がめちゃくちゃよくわかりました。当初から見抜いていたんでしょう。かてぃんさん、バッハ似合いすぎます。もっとバロックやりましょう! お願いします!

※過言~は角野氏が機嫌いいときネタっぽく冗談混ざりに繰り出す口癖のようなものを真似させてもらってます笑

ところで、エレクトリカルパレードって書きましたけど、あの曲がそもそもバロックっぽいですよね。ググってみたところ、エレクトリカルパレードには元となった曲があったんですね。ご存じの方もきっと多いのかもしれませんが、初めて知りました! それがこちら👇

「バロック・ホウダウン(Baroque Hoedown)」
タイトルにバロック、とあることや、モーグのチェンバロサウンドを使って演奏されている点からみてもやっぱりバロックの流れをくんだ音楽で間違いないようです。

予習でいくつか聴いたときにはエレクトリカルパレードには行きつかなかったので、かてぃんさんの弾き方なんだろうな。音の数がたくさん聴こえて、にぎやかで、リズムもテンポもワクワクで。
調べたら、レビューに「エレクトリカルパレードみたい」と書かれている音源発見。『Helmut Walcha : Bach Keyboard Works』から。おお! たしかにこれはエレクトリカルパレード感あります! かてぃんさんはもっとテンポ早かったな。

というか、かてぃんさんの音、ピアノより完全にチェンバロでしたね。もともと彼の弦の金属音が美しいし。だからそれがモーグの電子音にも聴こえたんだと思います。

昨年のツアーでのバッハがグルダとかカプースチンのかっこよさに合わせた感じとすると、今回のはモーツァルトに合わせて天井からお菓子が降ってきたみたいに甘くてワクワクする魔法がかかった音楽だなと思いました。バッハ、気難しそうな顔してるけどこんなキャンディポップな音の中にいたのか! という新鮮な気持ち。バッハって、習い事のやらされる感で真面目でお堅いイメージを持たれがちみたいですが、本当はもっとキラキラして楽しいのかも。
こうしてコンサートの度に新しい発見ができるのも、角野隼斗の好きなところです。


モーツァルト:ピアノソナタ 第11番 イ⻑調 K. 331「トルコ⾏進曲付き」

[参考]ピティナ・ピアノ曲事典 

「(オケとの共演では来たことがある)福島でのリサイタルは初めて」「教会みたいな響きで1音1音かみしめています」と、和やかなトークのMCを挟んでのモーツァルト。
ラボで「時代ごとのピアノの違いも出したい」的なことも話していたかてぃんさん。第1楽章からして、先程までと別人のような違う音でした。子守歌のような柔らかさと優しさで、ふわふわコロコロの丸みのある音に癒されました。それでいて、左手はずっしりと重みのある低音。変奏していくにつれてタッチも変わる妙技が冴えわたっていました。
第1楽章の中では第3変奏がパガニーニみたいでお気に入りなんですが、かてぃんさんは期待以上の妖艶さ。
それと途中、中音域のあたりの鳴らし方が弦楽器のピチカートみたいに聴こえたのなんだったんだろな、すごかったです。どのあたりかちょっと思い出せないので、分かる方いたら教えてください。1楽章だった保証もない笑
全部の指を違うタッチで弾いているような箇所が何度もあって、今までもこういう感覚あったけど更に磨きがかかっていると思いました。

第2楽章はザ・モーツァルトっぽさが美しくてキュートだったし、第3楽章のトルコ行進曲の華麗さといったらもう! 決して仰々しい派手さではないんですよ、宮廷音楽でしたね、まさに。
終わったところで遠くから「ブラボー!」って聞こえました。わかるよ、わかる。

とにかく、特にこの曲のホールの音響が興味深かった!
通常、蓋側の席でこの距離だと、ピアノ本体から聴こえる音がとてもダイレクトに来るんです。でもこのホールだと目を閉じたらピアノがどこにあるかわからないくらいにホールの全体がミストのような音で満たされて体を覆うんですよ。夢みたいな空間でした。
花の蕾が楽器になって、その中で、良い香りと甘い蜜が音になったみたいな音を聴いている感じ。妖精が出てくる絵本の中にいるようなファンタジックな音でした。かてぃんさんのモーツァルトやばいです、似合いすぎ。アルバム出しましょう。(さっきはバッハって言っていたのに笑)

音源はラボでかてぃんさんが名前を挙げていたロバートレヴィンを置いておきます。アレンジは入っていたかなぁ? 比較できる記憶力がなくて残念です……。


⾓野隼⽃:24の調によるトルコ⾏進曲変奏曲

ここで再びMC。調性が24あることと今年が2024年なことで24調で変奏曲をやってみたくなった、と。球体照明についても説明。調性ごとに自動で色が変わるAIだと、柔和で誠実な口調のまましれっと嘘をついていました。いろんな調性を軽く弾いては照明の色が変わるたびに「おおお~~~」と自ら驚いてみせるのですが、ネタバレ読んでるしそもそも茶番の空気しかしないので、笑いをこらえるのに必死でした。皆さん笑ってましたけどね笑
「嘘ですけど笑 後ろのほうで頑張ってくれてて……」と人力のネタバラシもウケていました。

曲が始まるとさっきまでの宮廷モーツァルトではなく、最初からフルスロットルの角野Cateen隼斗、迫力のある大きな音で、それはそれは楽しそうでした。
物事をこんなに楽しめる人ってなかなかいないよなと。この、彼自身が本能で音楽を喰らってる快楽が音に乗って伝わってくるところに、角野隼斗の良さ、他では感じることのできない興奮、感動があるんだと再確認できたような気がしました。

これまでの2曲と違って、同時発音数が多いというのかな、音が束になって覆いかぶさってくるような迫力もすごかった。最後の方は正直、タイル壁をピンボールのように行き来する音が残りすぎるのか、響きすぎて人の聴き取れる音数の限界を超えて振り切っていたとも思いました。88鍵ぜんぶ同時に鳴ってたんじゃないのかって疑惑ですよ、日頃から弦たくさん振動させていますからね。
それでも際立たせるべきメロディは凛と立ち上っていましたから、不明瞭になっても大丈夫な音と、明瞭でなければいけない音を弾き分けていたんですよね、すごいなぁと思いました。
響き合ってうねる竜巻のような螺旋の音の中を、幾筋かの明瞭な音が迷いのない確かな足取りで駆け上がっていくんです。そう、駆け上がるのは主旋律だけじゃなかった。人間の手って、何本でしたっけ? あんなの興奮しないわけがない。

が、悔しいことに。24調を追いかけるのはなかなか大変で、自分がどの調を気に入ったかとかを覚えておける余裕は全くありませんでした。素人の体感なんですけど、きらきら星やハッピーバースデーよりも転調サイクルが短かった気がします。あっというまに次の調で、途中から、というかほぼ最初の4つか5つめくらいで数えるのは諦めました。
興奮で記憶飛んじゃうのもあるし、照明あっても覚えきれない自分の頭脳スペックが残念過ぎました笑

ところどころ覚えているのは、途中に『奏鳴』とか『革命(ショパン)』、『死の舞踏(リスト)』っぽいのが聴こえました。いろいろオマージュで入れてるなら、他の曲も入っていたかもしれません。

ラボで「近いうちYouTubeにあげます。いつになるか分からないけど」と言っていたのを信じて待ちます。


休憩(プログラムの休憩にちなんだ雑談です)

今回のツアーで福島を選んだ理由は『タイル張り』でした。木材を内装に使うホールが多いように思う日本の会場の中で、石やレンガ、タイルなど西洋の環境に近そうな素材で作られたホールの音響にとても興味があったからです。

結果。大正解でした。モーツァルトのソナタの項でも書いた通り、ピアノはステージの上にあるのに、全方向からダイレクトな音がして楽器の中にいるようでした。それから私にとって一番素晴らしかったのは、かてぃんさんの金属性の音が増幅されていたこと。タイル壁の響きは弦の音が際立っていましたね。だけど音が硬いというようにはならないんですよ、耳にツンとくるようなのはなくて、金属の曲線美がもたらす柔らかさやあたたかさ、液体金属と混ざり合って溶かされるような甘さ、そんな感じのラグジュアリーな音……。奏者は他のホールとの違いに対して調整が必要になるイレギュラーさがあると思いました。聴く側はそんな苦労など気にせず笑、特別な音色と響きに酔いしれました。

そもそも、ホールの響き方だけでなく、演奏そのものの鳴りも半年前の生音から格段にパワーアップしているように感じました。
停滞していない、まだまだ上達するという手ごたえがあって今ものすごくピアノが楽しい、そんな感じも。
きっと、たくさんの努力をしているのだろうな、と、半年ぶりの生音から充分すぎるくらい伝わってきました。

マインド的にも意気込みが乗っていてエネルギッシュ。やりたいことがたくさんあって、体の中から絶えず溢れてきている、そんな印象を受けました。
NYでの新生活で得た膨大な量のインプットを抱えきれない程に抱えて、アイデアも次々に出てくるんでしょう。
24調の変奏曲も、ガーシュウィンもラヴェルも、まだまだ試し足りない、やりたいことがもっとある! という意欲が止まらない様子でした。
ファイナル(千葉?武道館?)の頃には全然別物になっているだろうな。

ある意味、満足を知らないというか、前にテレビで「満足しちゃったらおわりじゃないですか」みたいなことを言っていたのを思い出し、ニヤニヤしてしまいました。
かてぃんさん、絶対満足なんかしない人じゃん、って。
欲望に正直な音を聴いていると、なんて生命力の強烈な人なんだと。
これが世界を熱くさせる人間なんだなという、ものすごい膨大なエネルギー。特に後半の角野っぷりがすごかったんです。
ということで、後半に参ります。

休憩時間にステージの上が鍵盤ランドに変わり、調律もしていました

角野隼斗:大猫のワルツ

休憩中にセッティングされた鍵盤ランドの中で最初に奏でられたのはチェレスタでした。チェレスタで大猫、そうきましたか! という思いと、ここまでの公演に行ったお客さんたちのSNS上での口の堅さにも感激しました。ラボでチェレスタを持ち込むことは告知済だったのでチェレスタがあることはわかっていたし、大猫がチェレスタだったら可愛いなと思わなくもありませんでしたが、ボレロのオーケストラ編成にある楽器なので、てっきりそっち用かと。
やはり常識的にものを考えていては角野隼斗を予測することはできませんね笑

トイピアノさんとグランドピアノも使っていたと思います。グランドピアノの上に白木色のトイピアノ、今更ですが、この色合い……グランドピアノにプリンさんが乗っている、ということで良いのではないでしょうか笑


ガーシュウィン(⾓野隼⽃編曲):パリのアメリカ⼈

前半もでしたが、後半は輪をかけて記憶喪失というか、圧倒されてしまって何がなんだか……状態。この曲のときのかてぃんさんは躍動感がすごくて、ミュージカルを観ているような感動でした。でも、この曲の感想を何か書かねば、と、かれこれ10日悩んでいまして。コンサートが2月7日なのに記事公開が今頃になってしまったのはこのためです。
全曲感想ができない場合は公開しないほうが良いかも、とも思ったのですが、昨年もこんな感じでツアーファイナルの感想記事を出しそびれたので、今年は記憶がありません! と思い切って出すことにしました。
記憶は……おそらくこの後の曲で完全に上書きされてしまってますね、完全に敗北です、字書きとしての敗北……。それくらいボレロとアンコールが凄かったということです。

あっ、ここで鍵盤ハーモニカを吹いたことだけ覚えています!

参考までに映画とミュージカル、ピアノ編曲版も置いておきます。

記憶がない代わりに、調べて知った豆知識をひとつ。
この『パリのアメリカ人』初演は1928年の12月13日、カーネギーホールで行われたそうです。
先日、公演当日に100周年を迎えた『ラプソディ・イン・ブルー』をお祝いしたように、2028年の12月13日は角野隼斗がカーネギーホールで『パリのアメリカ人』100周年のお祝いです、なんてことになったら素晴らしいなぁ、なんて。
だって、12月13日といえばですよ! かてぃんさん、何気に記念日の運や引き強いの持ってますからね、ミラクル起きてほしい。


ラヴェル(⾓野隼⽃編曲):ボレロ

一旦舞台裏に下がったかてぃんさんが真っ暗なステージに戻ってきた時、薄っすらとした人影と足音がしました。
しかしお出迎えの拍手は無く、静まり返るホール。
思い返せばこの演出で既に緊張感を植えられていたかも。

スネアドラムの小さな鼓動が聴こえはじめ、ピアノの音も。気がつくと、アップライトの足元がぼうっと緑色に灯っていました。
灯りは音楽に合わせて明るさを増していき、音楽はお馴染みの旋律を繰り返しながら、アップライトもチェレスタもグランドピアノも使い(トイピはどうだったかな……)、だけどそれだけでは説明がつかないほど、楽器を増やすように音を増やしていきました。

宇宙のように膨張する音は、終わり頃にはこれ以上はホールが破裂してしまうのではないかというくらいの音量と緊張感でした。もちろん実際に破裂なんてしないのは分かった上で、でも決して大袈裟に書いているつもりはなく、それくらい恐ろしい気迫と音圧を感じていました。だって終わったとき、ホッとしたんですよ。これ以上はいけない、っていう狂気でした。もう気迫に呑まれてしまっていたんだと思います。かてぃんさん、ときどき禍々しい悪魔的な雰囲気(美しい)になるんですけど、今回のはとんでもなかった(美しい)……。

スネアドラムの乱れなきリズムキープ含め、音色の種類が多彩でした。私の位置からはチェレスタの鍵盤が少し見えるだけで、グランドピアノもアップライトも手元は見えないのでどんなことをしていたのかまったく分かりません。
(YouTubeで確認すると)スネアパートに左手フルコミットしてるんじゃないんですよね。左右の区別なく、他のパートを弾くのに割り当てられていない指をどれでも使って絶えずリズムをキープするという、ものすごい脳トレ仕様。
切替える度に指ごとのタッチも変えては戻してと、複数あるパートにそれぞれ割り当てた楽器の音色が変わっていないようにしなければならないという。
序盤でさえ、最低でもスネアと弦のピチカート、主旋律と3つのパートがありますからね。
私はピアノ弾けないので、弾ける人の方が凄さが分かるんじゃないかと思います。トリスターノとは2台4手でやっていたものを2手ですからね……。他の動画などだと10人でやっているものまであり……そりゃぁオケの曲だもんなぁ。
SPIRIOrさんだったりするのかな? とも少し考えましたが、福島のは内部まで艶消しという特徴がホール備え付けのピアノと一致しているので、その点だけ考えてもSPIRIO持ち込みはないと言っていいはず。動画である程度の技法を目で確認しても信じがたいけど……ひとりで弾いていたんですよね……。

そしてスネアそのものみたいな音もすごかった。こちらは調律師の按田さんとアイデアを出しあってアップライトに仕掛けをしていたのだとは思うのですが、一体どんなことをしたんでしょう。
ちなみに本物のスネアドラムは下側に細かく波打ったワイヤーの帯が張ってあります。スネアワイヤーとかスナッピーと呼ばれるもの。
かてぃんさんのボレロで、このスナッピーのようなシャリシャリとした緩んだ金属音が確かにしていました。スネアを模した構造をマフラーに付けていたのかも?
特定のハンマー位置だけに施していたんですよね、きっと。マフラーより弦に針金を絡ませたりしていたとか……? でもそれだと他でその鍵盤を使わない場合に限られちゃう。うーん、気になります! 

それから、中頃に差し掛かったあたりでアップライトに戻ったあたりの不協和音。わざと少しそもそもの調律を敢えてずらしたような。あの仕掛けも気になります。

参考:上から鍵盤を見られる動画を置いておきますね。
弾けない民にとってスネア・ピチカート・主旋律…と整然としていて分かりやすいです。
弾ける民の皆さまはレッツチャレンジ!(無茶ぶり)


(アンコール1)角野隼斗:ノクターン

角野隼斗作曲のノクターンといえば、年末のフランスツアーで初演された『3つのノクターン』があります。
日本ではいまだ謎に包まれていて、今ツアーのアンコールで毎回披露されている曲がその一部なのかどうかなのは、はっきりとは明かされていません。
上述したラボでは「アンコールで弾くかもしれないし弾かないかもしれない」というようなことも発言していましたが、真相やいかに。

MCで夜明けのイメージと語った曲は、ノクターンという(クラシック的な)キーワードから想像していたよりはポストクラシカル寄りというか、ポップスのバラードのようでもあり、朧な全体像の中に、希望を感じる一筋の凛としたメロディが際立つ大変に美しい曲でした。
カスタマイズされたアップライトピアノでの演奏がポストクラシカル感の一因であるとも思います。

以下にコンサートの日の深夜にネタバレ回避で書いたものをそのまま引用します。

ノクターン、他の会場と同じく夜明けのイメージと言っていました。
みなさんが何調だろう?と話していたのを見ていたので、私も分からないなりに考えてみたいなと思い、だけど私は調のことは理解していないしメロディも何も初聴きでは記憶も保てないので、知っている曲に類似がないか、あればそれをかわりに持ち帰ろうと思いました。
坂本龍一っぽさもありつつ、でも私は教授の曲をキーで当てはめられるほど聴きこんでいない(いつもBGMなので音が固定できてない)ため、教授曲は諦め、でもイントロはほぼ間違いなく、鬼滅の『炎』に似た音でした。
あと全体的に、『静かに沈むMy heart will go on』という感じ。 帰宅して調べたら、共通するコードは『C#マイナー』のようでした。
これ本当に耳も記憶力もアヤシイのですが、今後の会場で聴く方のヒントになれば、弾ける人ならもっとわかるんじゃないかなって思ったので書いてみました。
曲のイメージは『静かに沈むMy heart will go on』と書いた通り、水底に沈んでゆくような感覚。 だけど、沈んでいるのに、水深が深くなるほどに水が温かく感じるんです。
全体的に明るめで柔らかく温かい雰囲気なのでそう感じたんだと思うのですけど、なんか『夜明け』と言うならば、不可逆な心の傷を抱えた体をベッドに沈めて、いつの間にか窓の外が白んできて、みたいな。 湯治とか浅い眠りで少し癒えたような癒えてないようなそんな体が迎える夜明けを感じました。
朝になれば体は、目は、覚める。この世界は前にしか進まない。だけど心はあたたかい水底に揺蕩ったまま、もう少し眠っていられたらいいのに、いっそ目覚めなければ良かったのに、朝が来ない夜の世界に沈んでいたい、でもこの夜明けの先には幸せもきっとあるよね?と自分に言い聞かせて夜明けを受け入れる…なんかそんな感じがしました。

Twitterより

調が合っているかどうかは絶対音感もないし確実ではありませんが、『鬼滅の刃』も『タイタニック』も絶望の先に希望がある物語。イメージとしては、私の中ではまさにコレです。
金沢公演では、震災からの復興を感じ涙した方も。

不思議なぬくもりのある優しい雰囲気なので、聴く側の受け止め方で印象が変わる曲ではないかとも思います。きっと、あたたかさや穏やかさ、そういった部分だけ受け取った人も少なくないのではないでしょうか。
どちらかが正解という単純なものではなく、かてぃんさんも「作品は受け取った人のもの」とどこかで発言していました。(どこで言ってたか分かる方おしえてください🙏)短調だから暗いと一括りにできないのが音楽の面白さですね。

ところで、今までの角野曲では、こういった光と影をあらわすなど別々のものを表現するとき、段落を変えていたように思うんです。同時に流れる音の中に光と影が表裏一体となって混在するこの曲は、角野隼斗の新境地なのかもしれません。構想の断片は2021年の夏頃、インスタグラムで披露していましたので、元々持っていた感性がより洗練されて表に出たといったほうがいいのかも。(※現在非公開っぽい)

これが3つのノクターンのうちのひとつなのか、そうでないのか。分からないけど、いずれ明らかになるときにはそのあたりについてもお話をしてほしいな。


(アンコール2)角野隼斗:きらきら星変奏曲 ニ長調Ver.

角野隼斗のコンサートは最後のアンコール撮影OKというお土産つき。
既にお馴染みのきらきら星変奏曲ですが、今回のツアーでは会場ごとに調性を変えて弾いています。7月の武道館を含めると24公演なので、KEYSの24調というところにもピッタリ。
福島では『ニ長調』でした。

投稿推奨なことでかてぃんさんにとっては宣伝にもなって、ファンにとっては自分が行けない公演の演奏も聴くことができるという、最高のアイデア。
しかも、いろんなホールの、いろんな座席から撮っているので、音響や見え方など、スマホの個体差はあってもすごく参考になるデータなんですよね。
そして行きたいホールが増える笑

画質最悪なんですが、30秒までSNS公開OKのルールで投稿したものです。

華やかな音を浴びて楽しそうなかてぃんさん、良かった!

MCのときに男性の「はやとぉ~」という歓声に「おうっ!」と元気に応えていたり、終わりのお辞儀のときに上手の端まで歩いてきてくれたり、自然体でエンターテイナーで、最高でした。
上手まで来た瞬間、もしかしたら自分史上の最接近だったかもしれなくて、細い細い言われているけど全然そんなことなく、スリムながらしっかりがっちりした長身男性という感じですごく大きく見えました。
それがオーラというものなんですかね、かっこよかったです。




長々と、本当に長々と、お付き合いありがとうございました。書いてみて改めて実感する極めてハイカロリーなコンサートでした。
ぜんぜん書き足りないんです。というか書き表せないんです。

上でも書きましたが、昨年のツアーファイナルも言葉にならなくて書きそびれたし、角野隼斗の音楽を言葉にするのは本当に難しいですね。
記憶できないくらいの情報ボリュームだし、記憶できている部分は言語化しようにもどんな言葉も感動に追いつかない。

もう、いっそ「すごかった!!!!!!!!!!」みたいなほうが伝わるんじゃないかとさえ思っちゃいます笑

かてぃんさん、本当にすごいなぁ。

そりゃ武道館公演だって決まるくらいですからね!

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