角野隼斗は世界に試され続ける道を選んだ
角野隼斗が自身のYouTubeに久々の動画を上げた。
40分を超える大作【ショパン: ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 作品11】
動画が公開された10月17日はショパンの命日。数日前のYouTubeライブの折に「17日21時プレミア公開」と告知され、ファンの間では何が投稿されるかの予想も盛んに交わされた。
深夜0時を30分ほど過ぎた頃、内容に関しての知らせが。
通知がきたとき、私はこの曲をSpotifyで聴いていた。CDが近く発売予定であるため、ショパンの命日である17日0時に先行配信があるのではないかと予想し待機していたからだ。思っていたとおり0時を少し過ぎたところで解禁され、聴きながらツアーの思い出に浸っていた矢先のことだった。
ツイートの画像を見て驚いた。音源収録公演を公開することに驚いたのはもちろんだが、それはファンの間でも予想されていたので想定内だった。驚いた理由は、私にとって特別な記憶として焼き付いていた下記ツイートの画像とあまりにも似ていたからだ。
コンチェルトのサムネイルなら、客席側からオケも入れての画角のほうが映えるしコンチェルトだということが分かりやすいのに、と思った。
角野隼斗は、この日の続きを見せると宣言した。そう感じた。
なぜそう感じたかというと、角野はショパンコンクールのあと、こんな動画を投稿しているから。
ショパンのスケルツォ1番を介して角野の成長を重ねた映像に、多くのファンが複雑に涙したことと思う。私も含め。
つまり角野は、これと同じことをサムネイル画像でやってみせたのではないかと思った。
角野は1年前に行われたショパンコンクールでは決勝に進めなかった。コンクールでファイナル進出者の発表があった日、そこに角野の名前はなかった。それが1年前の10月17日、この日なのである。
(余談ですが、今かてぃんさんが滞在中のこの場所、去年かてぃんさんが三次予選の結果を聞いた高層マンションと雰囲気が少し似ていてドキッとしました)
だから、YouTube上にはファイナルで弾くはずだったHayato SuminoのChopin concertoがない。
角野はこの日という節目を持って、世界中の全ての人々に向けて『Hayato SuminoのChopin concerto』というデジタルタトゥーを刻んだのだと感じた。
※デジタルタトゥーは「一度ネットに出したら完全に削除することが不可能」という、主に悪いものをネットに公開して炎上したときなどに使いますが、今回に限っては強い覚悟の表れという『タトゥー』としての意味で使っています。
角野が望むも望まざるも、この曲の演奏動画をYouTube上に上げれば、Chopin Instituteにあるファイナリストと並べられ、再び評価の対象となる。
そのことに角野が思い至っていないとは考えづらい。絶賛する声もあれば、やっぱりセミファイナル止まりのユーチューバーの演奏だなどと揶揄する声も出るであろうことも分かった上で、覚悟してのことなのだろうと思う。
それでも尚、あの続きを。1年前より前進した自身の音を、姿を、世界に焼き付けたい、届けたい、そう思ったのではないだろうか。
そもそも少年時代の角野にはゲーセンの音ゲーで満点が出るまで小遣いを溶かすような負けず嫌いな面があったと聞く。音楽は勝ち負けではないが、結果を出すということを『勝』とするならば、挑み続けて結果を出せば勝ちなのだ。
ファイナリストにならなくても、ショパンコンチェルトをオケと共演できるソリストであり、動画を拡散できるユーチューバーでもある角野には挑むことが可能で、角野はそれを1年かけて "finally(ついに)" 実現させた。
コンクールは終わっているが、YouTube上での比較、批評はこれからも続く。同じ回の入賞者やファイナリストだけでなく、開催回の違うコンテスタントも、別のチャンネルの演奏動画でさえも、YouTubeの聴衆の前では皆、同じラインの上にいるのだ。
公開された動画は、そんな角野の挑戦に肩を貸すプロの矜持に満ちていた。動画から強く感じたのは、真っ黒に塗りつぶされた2021年の10月17日に花火を、月を、太陽をと、塗り替えんばかりに眩しく輝かせようとする強い意志。たまらなく胸が熱くなった。
編集はいつも通りなら角野自身が行っているはずだが、ツアー直後からアデスにかかりっきりのあと東北、シンガポールと忙しかった角野に果たしてその時間があったかどうか。もし別の人の手によるものだとしたら、少し褪色させたトーンと絵になるシーンの数々を選りすぐった人物にも拍手を送りたい。
これだけのクオリティでYouTubeに動画を公開することは、商業的メリットがなければなかなかできるものではない。当然これもCDの宣伝なのでメリットもあるにはあるが、それならダイジェストで充分に事足りる。フル尺をこうして世に出すということを決断するにあたって、角野は相当の勇気がいったはずだ。
角野だけに権利があるわけでもないので、マエストロオルソップやNOSPR、撮影に入ったABCテレビ、会場となったザ・シンフォニーホールなどの許可もなくてはできないことでもある。金銭的な勇気も必要だったかもしれない。
1年前のコンクールで角野が得たもの、得られなかったもの。その後、追憶に浸る時間もないままスケジュールをひたすら全力でやり抜く日々。それらを知っている周囲の人間たちもまた、角野の勇気に大きく突き動かされ尽力しているのだと思った。
(20221020追記:いつも近くでかてぃんさんをみているN.S氏の目から見たツアー記録が公式記事になってます)
さらに動画公開後、私にとっては本編公開以上の衝撃的なツイートが。
ねぴらぼ(Invention)でも弾いていた、知る人ぞ知るショパコンお馴染みの箇所。以前、テレビで『やりたいことは全部やる』的なコピーがついていたのを見たが、まさに。
これもやりたかったことのひとつなのだろうと思った。
本気なのかネタなのか……。いや、きっと『ネタに全力』なのだろう。遊びは本気で、本気は遊びなのだ。
もう、これを再生した瞬間、笑いと涙が同時に湧き上がって、思わず声を上げて泣いてしまった。
決して感傷的な意味ではなく。痛快すぎた。
ある意味、宣戦布告のように感じた。
もちろん、1年前の審査に異議を唱えるわけではないから、コンクールを貶めたり受賞した誰かを蹴落として椅子を競う戦いへの布告ではない。
コンクールが輩出したピアニストたちと並ぶ一流の世界で切磋琢磨し続けるつもりです、という気概を感じたと言えば伝わるだろうか。
この1年、角野は多忙を極めていた。予定も含め年間約80本のコンサート、月1レギュラーのラジオ収録、テレビ出演、メディア取材、YouTubeやインスタでのライブ、動画制作やレコーディング、Penthouseのメンバーとしての活動etc……。海外での活動もドイツ、ハンガリー、ポーランド、フランス、イギリス、スペイン、アメリカ、シンガポール、台湾、韓国と引っ張りだこ。
傍からざっと見るだけでも目が回る忙しさだが、実はこれは、ショパンコンクールが始まる前に私が勝手に想像で描いていた『角野隼斗がショパコン優勝した翌年』と何ら変わりないものだった。そう、角野は受賞の有無にかかわらず、自分のチカラでこれだけのことをやり遂げ、ここまで進んできたのだ。
ここでいう自分のチカラとは、決してひとりでという意味ではない。人ひとりに出来ることなど、どんなに偉大な人物でも限りがある。角野は、自身が惜しみなく努力し続け、音楽に対して真摯に向き合い懸命に生きる姿で人に感銘を与え、協力してくれる人々をたくさん味方につけている。そうした人たちが、彼の人生をより実りあるものにすべく、立ち回っている、そのチカラ全部が『彼のチカラ』なのだと思っている。
それは彼のためでもあり、当然その人の利益でもある、いわばWin-Winの関係のように見える。が、角野は大学院を出て2年の新人。まだ投資の段階で、常にそういった『音楽の未来への投資家』たちから試され続けている時期だとも思う。
アデスのような初演の難題然り、いくつもの名盤が既に存在するクラシックやジャズ然り、引き受けて出来ませんでしたは許されない世界で、角野はこれからも聴衆から比較と批評を繰り返されたり、『音楽の未来への投資家』たちから試されながら『胎動』し『奏鳴』し続けるのだろう。自分のチカラで、前へ前へと。
新しい角野隼斗が、走りだした。
20221019追記:フォロワーさんのつぶやきで、大切なことを記していないことに気付いたので足しておきます!
かてぃんさんは今現在、たくさんの投資(金銭的ということではなく)を受けて全力でやってる最中ですが、そのかてぃんさんも音楽の未来に投資しているんですよね。
このコンチェルト動画も、そのひとつなんだと思います。クラシック、かてぃんが弾いてるならちょっと興味あるかも、と思っても、なかなか『買う』までは手が出ない人も多いはずで、動画ならすぐにアクセスできる。YouTube上には既にたくさんのクラシック音楽があるけれど、『かてぃんなら聴いてみようかな』という人もきっといて、自分ならばそういう人たちの『きっかけ』になれると彼は知っているんですよね。『誰かの初めてのショパン』になる責任も持っているし。
見た人が自分だけじゃなくクラシックに興味を持つようになればいいなと、そういう思いもあるのだと思います。
来年のツアーにも、一般より購入しやすい金額に設定した学生席を設けていたり。そうやって投資してる。
進め! 続け! 繋がれ! 過去から今、そして未来へ!
ショパンコンクール当時のことなど、角野隼斗のショパコン関連で書いたものをマガジンにしてあります。
よろしければ併せてご覧ください。