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ゆったり、ミラノ観光。28.06.2024〜30.06.2024 ミラノ〜フィレンツェ旅行記 2.

 Lampugnano からミラノ地下鉄M1系統に乗り、Conciliazione 駅へ向かう。地下鉄内はかなり明るく、周囲を見渡しても怪しい人はいなさそうだ。あまり警戒しすぎていても逆に不自然なので、自然な感じを装いつつ荷物には注意を向けておく。10分ほどで Conciliazione 駅に到着。地上に出ると、晴れ渡った青空に白やクリーム色を基調としたミラノの街並みが映えていた。5階建くらいの横長のアパートのような建物が整然と立ち並んでおり、その間を色とりどりのトラムが走り抜けていく。道行く人の格好もおしゃれで、とても洗練されているなぁと感じる。
 Corso Magenta 通りを東に歩く。5分ほど歩くと、空間が急に開けて、煉瓦造りの歴史を感じさせる教会が現れた。レオナルドダヴィンチの最後の晩餐で有名な、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会だ。ドイツで見てきたゴシック式の教会とは、かなり趣が異なる。ルネサンス様式の建物のようだ。一番高いところはドーム状になっていて、それなりに高さがあるものの、教会全体としてはそれほど大きくはない。ゴシック建築の境界のような荘厳さは感じず、素朴だ。教会前の広場には、喪服に身を包んだ人々と霊柩車が停まっていた。おそらく、お葬式の最中なのだろう。有名な方が亡くなったのかもしれないが、世界的に著名な教会で、お葬式という身近なイベントが行われていることに驚く。
 最後の晩餐を観るためには事前予約が必須で、ネットで予約を試みようとしたが、数ヶ月先まで埋まってしまっていた。なので、そもそも中に入るのは諦めていたが、ワンチャンスに賭けて当日券窓口のお姉さんに尋ねてみた。すると、お姉さんは意気揚々と「2ヶ月先まで埋まってるわよ!」と返してきた。とても潔がいい。最後の晩餐は、次の機会にリベンジしよう。日本人の団体客も見かけた。ドイツでは日本人のツアー客は見かけたことがなかったので、観光地としてのイタリアの強さを感じた。
 Corso Magenta 通りをさらに東に歩き、ジョスエ・カルドゥッチ通りを北側に抜けていく。Cadorna 駅前の広場には現代美術的な彫刻が立っている。駅の建物自体もショッピングモールのようで、ここまでの街並みとは異彩を放っている。Cadornaから北東に抜け、スフォルツェスコ城のあるセンピオーネ公園へ。スフォルツェスコ城は、お城というよりは城塞と言ったほうがよさそうで、広大な中庭を城壁がぐるっと囲んでいる。ミケランジェロなどの作品が展示されている美術館も併設されているようだ。センピオーネ公園を北西に抜け、Arco della Pace を眺める。パリの凱旋門によく似ているが、壁面にあしらわれた彫刻がより一層豪華さを引き立てている。この凱旋門も、ナポレオンの命で建設されたものらしい。凱旋門を作るのが好きな人である。途中、公園で黒にグレーが混じった珍しいカラスを見かける。
 地下鉄 Lanza 駅を横目にポンタッチョ通りを東に抜け、ブレラ通りに入る。南に少し歩き、ブレラ美術館に到着。世界的に名の知られた美術館で、ナポレオンによって整備されたそうだ。ここでもナポレオンの名前が出てきて、彼の影響力の大きさを知る。ナポレオンとイタリアの繋がりはあまりイメージがなかったが、彼はフランス皇帝となった後、イタリア王国の国王にもなっていたようだ。当時のイタリア王国の首都がミラノだったこともあり、各所にナポレオンの面影を見ることができるのだろう。美術館の入口で入場券15€を購入。イタリア人と思われる若い女子集団に、入口は階段を上がったところにあるよね?と聞かれるが、知らない。どこからどう見ても観光客のいちアジア人よりも、もう少し詳しそうな人がいると思うのだが。
 確かに、ブレラ美術館の入口は少し分かりにくい。券売機の奥の通路は建物内部へと通じているが、一階部分は美術系の学生や研究者のためのスペースのようだ。券売機横の階段を上がるとメインの入口があるが、扉がこぢんまりとしているので一見入口には見えない。職員の方が前に立っているので、チケットを提示して入場する。左手にあるロッカーにリュックサックを預け、右手のギャラリー入口へと向かう。絵画は年代順に展示されているようだ。ゴシック宗教画に始まり、ルナサンスを経てバロックへ。ブレラ美術館は、この3つの時代の絵画が多くを占めるらしい。それぞれの作品には説明が添えられており、タイトル、作者、制作年と作品の概要が書かれている。その絵画に用いられた技法も併せて書いてある。
 美術に素養のある妹に、LINEでリアルタイムで色々と聞いてみる。卵に顔料を混ぜた絵の具で描くテンペラから、いわゆる油絵である油彩へと技法が移り変わっていった歴史について説明してくれる。教会の壁画等に用いられるフレスコ画は、"フレッシュ"から来ているらしい。壁に塗ったモルタルが乾かないうちに、水だけで溶いた絵の具を使って一気に描くので、描いている途中で垂れてきた絵の具で失明した画家が大勢いたのだとか。定着すると、非常に長期間保存できるようだ。ダヴィンチの最後の晩餐は、フレスコ画ではなくテンペラ画なので劣化が激しいらしい。爽やかな色合いとは裏腹に、命懸けで描かれていたことを知り、当時の画家の職人魂に想いを馳せる。絵のテーマも興味深い、それがどのようにして描かれたかを知るとまた別の側面から絵画を眺められ、面白い。
 ちらほら、自分でも名前を知っている画家の作品を見かける。ラファエロ、ルーベンスなどなど。偶然にも、この日はルーベンスの誕生日であったようで、何か運命的なものを感じる。2時間ほど見て回り、ブレラ美術館を後にする。ブレラ通りをさらに南に進み、スカラ座とマリーノ宮の間の広場を抜けて、北側からガッレリアへと入る。ガラス張りの天井の下に、優美な建物がアーケード状に並んでいる。ミーハーなので、ディズニーランドの入り口みたいだなぁと小学生のような感想が出てくる。中央部の天井は非常に大きいドーム状になっている。四方にはプラダ、ルイヴィトン、ディオールの店舗が軒を連ねており、さすがファッションの街である。中東系の男性に、各ブランドショップをバックに写真を撮って欲しいと頼まれ、応じる。日本人であることを伝えると、HONDA, TOYOTA, MITSUBISHI !!! とひたすら日本の自動車メーカーの名前を列挙される。強いぞ、ジャパニーズカーメーカー。
 ガッレリアを南側に抜けると、広大な広場と、圧倒的な存在感を放つ白亜の殿堂、ドゥオーモが目に飛び込んでくる。尖塔の数の多さと、細かい造形の作り込みがすさまじい。妹からドゥオーモの屋上に登れるとの情報を聞きつけ、内部への入場と屋上行きがセットになった20€のチケットをネットで購入する。ドゥオーモ内部はゴシック建築の極みといった様相で、巨大なステンドグラスや宗教画がところどころに置かれている。大聖堂に行くたびに、数百年前の時代にこれほど巨大な建造物を作り上げてしまうキリスト教の影響力の大きさと、当時の人々の信心深さに畏怖の念を覚える。
 ドゥオーモの左側から、屋上へと続く階段を登る。幅がとても狭く、二人並んで歩くのも難しいほどだ。高さもかなりあり、外もよく見えないので階段が永遠と続くかに思われる。息も切れ切れになった頃、ようやく外に出る。屋上というよりは、屋根の上にそのまま登っている感じだ。下からはよく見えなかった上部の作りをよく観察できる。すべての尖塔の上に像が立っているのに驚く。遠くには、ミラノの高層ビル群が見える。さらに階段を上がり、最上部へ。一番高い尖塔の上に、金色に輝く像が立っている。空は抜けるような青空で、尖塔が吸い込まれていくようであった。
 上りとは別の階段を下っていく。細い階段を、今度は下へ下へと時間をかけて降りていく。少しだけドゥオーモの内部を通り、外に出る。フィレンツェ行きの FRECCIAROSSA の時間が迫っている。ドゥオーモ前の広場から地下鉄駅に降り、ミラノ地下鉄M3系統で Milano Rogoredo 駅を目指す。M3系統は黄色モチーフで、銀座線を彷彿とさせた。15分ほどで到着。17:04発の FRECCIAROSSA は、どうやら定刻で運行しているらしい。ドイツ鉄道に慣れてきてしまっているので、時間通りに電車が走っていることに驚く。結局、5分ほど遅延はしたが、こんなのはもはや遅延とは呼べない。東京にいた頃と比べて、日に日に大らかになっていっているのは、ヨーロッパに来て生じた良い変化だと思う。列車は一路、フィレンツェを目指し、イタリアの田園風景を駆け抜けてゆく。

ドゥオーモ屋上、気持ちのいい青空

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