ドイツの温泉文化を体験する。30.05.2024〜02.06.2024 フランクフルト〜ヴィースバーデン〜デュッセルドルフ〜ケルン旅行記 2.

 5月31日金曜日、フランクフルト中央駅 10:53 発の RB10 でヴィースバーデンに向かう。ヴィースバーデンはフランクフルトから西に約35kmの場所に位置する、歴史のある温泉保養地だ。南はライン川、東西と北は山に囲われており、フランクフルトの喧騒から少し離れてゆっくりしたいときに打ってつけの場所だ。ドイツには各地に温泉があるが、基本的には温水プールくらいの水温で、水着を着用しながら入るらしい。それでは、日本人にとってはなんだか気持ちが休まらない。しかし、ヴィースバーデンには、日本の温泉のように入れる浴場があるらしい。
 ドイツの住宅には基本的に浴槽がなく、現在の私の家にももちろんない。日本にいたときはそれほど湯船に浸かるのが好きというわけでもなかったが、2ヶ月近く風呂に入れていないと、さすがに恋しくなってくる。院生時代に一人暮らしした文京区のアパートも、浴槽はあったものの足を伸ばしてゆっくりできる広さではなかったので、基本的にシャワーで済ませていたが、東京には銭湯がある。ドイツに来てから最高気温が20度を超えることはほぼなく、自室にいると手足がいつも冷えていたので、今回の温泉訪問を本当に心待ちにしていた。
 11:28、ヴィースバーデン中央駅に到着。外に出ると、古くから保養地として知られていた歴史を感じさせる、立派な駅舎が目に入る。この駅舎を見られただけでここに来た甲斐があったなと思う。中心街へは駅から北に続くメインストリートをまっすぐ15分ほど歩く。街の雰囲気がとても落ち着いている。フランクフルトとは異なり、移民らしき人々の姿もほとんど見かけない。純粋に静養に来ている人が多いのかもしれない。穏やかな気持ちで散歩を楽しみながら、中心街へと辿り着いた。
 旧市街の広場には、細く聳える尖塔が印象的な聖マルクト協会や、市役所がある。聖マルクト教会は赤褐色のレンガ造りで、これまでドイツで見てきた教会と形状は近いが、少し異なる趣を感じさせる。調べると、1800年代に建築された、ネオ・ゴシック建築の建物らしい。中に入ると正面にキリスト像をはじめ5体の彫刻が鎮座しており、荘厳な雰囲気であった。観光客が彫刻をバックに自撮りをしており、それを咎めている人もおらず、敬虔なキリスト教徒の姿を探したくなった。
 温泉に入る前に腹ごしらえをしたい。旧市街のレストランは1人では入りづらそうな雰囲気を醸し出しているので、REWEでサンドイッチとマンダリン(日本のみかんにとてもよく似ている)を購入して近くのベンチで食べる。ツナサンドイッチは、マヨネーズがパンに染み込んでおり、ふにゃふにゃとしている。マンダリンは酸味と甘味のバランスがよく、日本人の口にも合う。10分ほどでさっと食べ終わり、意気揚々と温泉へ向かった。
 今回訪れたのは、カイザー・フリードリッヒ・テルメ Kaiser-Friedrich-Therme という、ヴィースバーデンでおそらく最も有名な温泉だ。ここは、なんと男女混浴かつ水着着用禁止である。ドイツのサウナは裸で混浴と聞いていたけれど、温泉も同様なところは珍しい。しかも、37℃、39℃、42℃の温泉を揃えているらしい。これは行くしかないと自分の素直な声に従って訪れることにした。
 カイザー・フリードリッヒ・テルメは、貴族の屋敷のような立派な建物の中にある。正面扉も重厚そうだが、自動で開くのが面白い。博物館の入り口のようなエントランスを右に通り抜けると、受付がある。受付のお姉さんにこの浴場は初めて?と聞かれ、はいと答える。あらかじめネットでチケットを購入していたので、それを見せる。事前に購入していなくても、この受付で買えるようだ。入浴料は17€とそこそこ高く、2時間制のようで、超えると随時料金が加算される。日常的に入るのではなく、たまに保養に来るのが前提の値段という感じだ。ルールの説明を受けて、脱衣所へ向かう。
 いきなりほぼ裸のカップルが目の前に現れて、面食らった。鍵のかかる個別の脱衣スペースはあるが、浴場と直接繋がってはいないので、どうしても共有スペースを通ってくる必要がある。ルール上はここで裸で歩いても何ら問題はないが、急に恥ずかしくなってきて、バスローブをレンタルすることにした。バスローブを着用しながら、覚悟を決めて浴室へと向かった。
 まず、吹き抜けのような構造の部屋に出る。そこはバーになっており、ここでお風呂やサウナで火照った身体を冷ませるようだ。階段を降りると、サウナ、マッサージを受けられるいくつかの小部屋がある。階段を降りずに右奥に進むと、浴室に出る。本当に、男女問わずみな裸で闊歩している。少し、男性の方が多いだろうか。カップルの姿も多い。目の前に広がる非日常の光景に、軽く眩暈がする。浴室の入り口に荷物を置ける棚が用意されているので、そこにバスローブを置く。右手にシャワーがあるので、簡単に浴びて奥にある浴槽に向かう。
 依然、ふわふわとした心持ちだ。その一方で、誰も恥ずかしがっている様子はなく、平然としている。温泉に癒されに来ているのだから、周りのことを気にしてもしょうがない。奥に進み、37℃と39℃の浴槽を発見する。まずは小手調べに37℃の湯へ。体温とほぼ変わらないからか、浸かっているのかいないのか分からない感覚に襲われる。だんだん、じんわりと温かさが伝わってくる。何時間でも浸かっていられそうだ。続いて、39℃の湯に入る。あ、これだ。日本人が普段から家で入っている風呂だ!と嬉しくなる。皆気持ち良いのだろうか、この39℃の湯が常に一番混んでいた。じわじわと身体が温まってきて、身体がほぐれていくのを感じる。地に足つかない気持ちはだいぶ収まり、純粋に温泉の癒しパワーを感じられるようになってくる。
 せっかくなので、一番大きい浴槽にも入ってみる。古代ローマを感じさせる意匠がところどころに散りばめられており、さながらテルマエロマエの世界だ。しかし、ここは温かい風呂ではなく、20℃くらいの水風呂であった。水風呂は苦手なので、5分も入っていられない。せっかく温まった身体が冷えてしまったじゃないかと悪態をつきつつ、また39℃の風呂に戻る。やはりここが一番気持ちがいい。水風呂で楽しそうに泳いでいる人も多く、寒さへの耐性が全然違うなと思う。わかりにくいが、水風呂の奥に小さな風呂があり、ここが42℃の湯である。熱っ!となるが、ご老人たちが平気な顔で入っている日本の銭湯の温度くらいのお湯だ。
 サウナもあまり得意ではないのだが、折角なので比較的低温の42℃の塩サウナに入ってみる。毎時15分に、塩を持ったスタッフが入り口に現れるので、受け取って中に入る。塩を全身に塗り込み、汗ですべて溶けるまで中で耐える。10分ほどいるとだいぶ塩が溶けてくるので、少し体に残った塩を水で流し、サウナを出る。塩を塗った部分が驚くほどツルツルになっており、自分の肌ではないように感じる。この後は風呂に出たり入ったりを繰り返し、時間いっぱい温泉を楽しんだ。受付に戻り、お姉さんにこの温泉はどうだった?とフレンドリーに聞かれ、素直に感想を述べる。終始対応が和やかで、風呂から上がったあとも爽やかな気持ちにさせてくれた。
 温泉を後にし、旧市街入り口の Eiscafé Rialto で恒例のジェラートタイム。フレーバーはいつものチョコチップミルク(未だに名前が覚えられない)。温まった身体にジェラートが染み渡る。うまい、うますぎる。すっかりヴィースバーデンが気に入った。友人のKとYにも、ぜひ温泉に入ろうと連絡。彼らも乗ってきたので、夜に再び温泉に行くことが決定した。それまで少し時間があるので、マインツに観光に行くことにした。
 ヴィースバーデンからマインツは電車で15分ほどと非常に近い。あまり時間はないので、マインツ大聖堂と、シャガールのステンドグラスで有名な聖シュテファン教会に絞って観光することにした。マインツ大聖堂は想像以上に立派な建造物だった。基本的にロマネスク様式で、尖塔がゴシック様式のようだ。石造りなところも、より歴史を感じさせる。内部も厳かな雰囲気が漂っていた。
 昨年チューリッヒを観光した際に、フラウミュンスターのシャガールのステンドグラスに魅了され、しばらく教会から出られなかった。再びシャガールのステンドグラスが見られると知り、閉館間際の聖シュテファン協会に急いで向かった。聖シュテファン教会は、立派ではあるが決して大きいわけではなく、地域に根付いた教会という印象だ。中に入ると、空間全体がシャガールの青のステンドグラスで淡く照らされていた。フラウミュンスターは色とりどりのステンドグラスだったが、この教会は青を基調としたものでまとめられており、涼しげで神秘的な空間を生み出していた。シャガールの色遣いは、どうしていつも自分の心を打つのだろうか。
 マインツ中央駅から再びヴィースバーデンに戻り、Kと合流して2回目のカイザー・フリードリッヒ・テルメへ。Yは少し遅れてくるらしいので、我々で先に入ることにした。受付のお姉さんに、また来たのかと呆れられるか少し心配だったが、違う人に変わっていたので安心する。Kも1回目の私と同じように最初こそ戸惑いを隠せていなかったものの、特有の順応の早さですぐに馴染んでいた。39℃の湯に浸かろうと行ってみると、素晴らしいプロポーションの女性がちょうど湯から上がるところだった。呆気にとられていると、なんとその女性にいきなり話しかけられた。やばい、何を言われるのだろう。咄嗟に弁明の言葉がいくつも頭に浮かんだ。するとその女性は、
「頭になんでタオルを乗せているの?」
と尋ねてきたので、
「ああ、これはジャパニーズスタイルだよ」
「なるほど、そうやって頭を冷やしているのね!」
と、少し理解は違うが、納得した様子だった。よかったよかった。いつもの癖で頭に小さいタオルを置いていたので、それが外国人には奇妙に映ったのかもしれない。その後Yも少し遅れて合流し、閉館ギリギリまで3人でゆっくりと温泉を楽しんだ。友人と温泉に浸かってリラックスしながら、他愛もない会話を交わす時間は、今の自分にとって本当に貴重な時間だった。
 2人は夕飯をまだ食べていなかったというので、帰りにマックに寄って夜食を調達した。彼らがドイツに来てからまともな食事を食べている感じがしない。Kに関してはいつも通りなので心配ないが、Yの健康状態が少し心配だ。明朝、彼らはベルリンを目指し旅立つ。ヴィースバーデン駅への帰り道、2人の背中を見ながら、無事に日本に帰国できるよう祈るとともに、一抹の寂しさを覚えた。

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