オリンピック開会式にモヤモヤしているので思った事を書きます。

日本開催が決まってからの盛り上がり。
新型コロナウイルス禍での開催についての議論。
開幕直前に関係者の相次いだ辞任。
様々な感情の中でのオリンピック。

イチ日本人として感じたモヤモヤが開会式から2日経った今でも拭えないので、ここに書いておくことにする。

私自身、長年サッカーをやってきてスポーツの尊さや、人々に感動を与えられるものである事を体感してきた。
選手がどれだけのものを犠牲にして努力して、オリンピックという舞台のために生きてきたかを想像すると、やはり開催してほしいというのが私の素直な気持ちだった。


今思えば私は日本を信じていたのだと思う。
ここで"信じていた"という過去系になってしまっているのは、今、日本が世界においてなかなかキビシイ状況にあるんじゃないかと思っているからである。

57年前、戦後の復興を世界にアピールした東京オリンピック。
開会式はブルーインパルスの粋な演出で世界に称賛された。
当時産まれていなかった私も何度もテレビでそのシーンを見たことがあるしブルーインパルスのパイロットに纏わる話も感動した。
その映像では日本中が活気に溢れ、世界が熱狂していた。

日本人が持つおもてなしの心は日本に訪れた選手やメディアを通じて世界に伝わりクール・ジャパンのイメージを植え付けた。
以来、日本が世に送り出す製品、車、文化は海外からも一目置かれる存在だったのではないかと思う。
私も当人(日本人)だからあまり意識してはいなかったが、海外の人と話してみて、ブラジルに行ってみて、世界が日本をリスペクトしているなと感じた。
反対に自分がいかに日本に対して無知で無関心なのかを知った。
日本の歴史について聞かれても堂々と話すことができない。グーグルで検索してみて初めて知る出来事ばかりだった。
政治は"イケてないおじさんたちが怒鳴り合ったり、寝ている人もいるもの"というイメージで自分自身とは遠いものと感じていた。

日本に帰って来てから、私の日本に対する見え方が変わった。
ニュースでは、くだらない話ばかり。
笑えるくだらないの話ではなくて、
レベルが低すぎるくだらない話し。
それに対して大勢の大人が当たり障りのない意見を言い合う。
バスに乗ろうとしている赤ちゃんを連れているお母さん、ベビーカーを畳もうとしているのに周りの人は手を差し伸べもしない。
スーパーのレジ列では重そうなカゴを持ったおばあさん、誰一人として列を譲らない。
それどころかみんな殺伐としている。

なにをそんなにせかせかしているのか。



そして今回のオリンピックの開会式。
私はこのコロナ禍でもなんだかんだ言っても最後はキメてくれる日本を信じていた。
私の中での日本は、結局やるじゃん、日本!日本人で良かった!
と思えるものだったからである。

しかし、開幕式が始まってまず思ったのは、
あれ?なんかださくね?ショボくね?
だった。
あんなに広い国立競技場なのに使われているのは演劇のステージでやっているようなスケール。
演出に観客席を一切使わなかったのも寂しい気持ちになった。
コロナで延期され、予算が極端に無いのはみんなが承知している。
だけど、それを誤魔化すかのような。強行突破で、無難で、モヤッとする演出だったように感じた。
元々国土が少ない島国日本がこれだけ発展出来たのは生活や仕事に工夫があったからだと思う。
日本の伝統的なものは実用的で美しく、長年使うことによって味がでてくる、まさにクール・ジャパンと言われる品々だ。
それが今回の開幕式ではそういった工夫が全く感じられなかった。
現在の日本の弱さやダサさを世界に露呈してしまった。
私は開会式を見ていて、とても悲しくて、なぜか悔しくなっていた。
楽しそうに入場する各国選手たち。
競技が終わって母国に帰る時この夏はいい思い出として残ってくれるのだろうか。

選手村にテレビはなく、一つの小さいテレビを囲み炎天下の中で試合を観戦する。
ダンボールベッドは最悪らしい。

聖火台に火を灯す開会式のメインイベントともされる場面では、私の大好きな大坂なおみ選手が登場した。
気持ちは高ぶったが、その気持ちは徐々に萎んでいった。
聖火を持った大坂選手が階段を登って火を付ける。
ただ、それだけだった。

なんなら聖火の火の王を聖火台にスマッシュしてキメてほしかった。
こんな素人でも考えつくような事でも、少なくとももう少し盛り上がったのではないかと思う。


ここまで書いて少しスッキリしてきたのだが、じゃあこれから日本はどうしたらいいのだろうという思考は頭の中で止まらない。

57年前のオリンピック、日本人の表情は豊かで、戦後で貧しくても、人々の繋がりは豊かだったのではないかと思う。
「お味噌が切れたわ、お隣さんに頂いてきて〜」は今はなかなか聞かない。

現在の日本は欲しいものは何でも手に入る、お隣さんに誰が住んでいるかわからないご近所付き合いで。「お味噌がないわ、コンビニ行ってきて〜」と時代は変わり、生きていくために仕事をし、身体を休めるための休日。そしてまた月曜が始まる。
(決して日本人全員がそうではないという事を理解してほしいが)全体で見ると、日本という国がこの状況に疲れているように感じる。
幸せなことに、私たちのご近所さんは畑で育てた野菜を分けてくださり、会う度に息子ちゃん大きくなったねぇとお話する。

"古き良き日本"が、なぜ"良き"だったのか。
日本人とはどんな人たちなのか。
日本はこれからどうしていくのか。

オリンピックが日本の下降線の始まりにならないように。
もう一度世界のニッポンになるにはどうしたらいいのか。

色んな競技を見ながら考える夏。



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