さなとろじー

正直、もういらないと思った。
何がって?命だよ、命。
だって生きていてもいいことなんてひとつもないし、むしろ状況は日に日に悪化して、生きづらくなる一方なんだ。
ぼくの願いはひとつ。苦しむことなく、痛みに耐えることなく、ただひたすら平穏に、この命とお別れをしたい。
自殺願望とは少しちがう。『ぼく』という命が、存在が、人格が、ぼくにはもう必要ないのだ。
どうすればこの願いを叶えることができるのだろうか。
ぼくは考えた。
何も食べず、眠ることもせず、硬い学習机のいすに座っていつまでもいつまでも考えつづけた。
長考の末にぼくが導き出した答え、それは、
ぼくがぼく自身を『死んだこと』にするという方法だった。
外国の精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスによると、人間は死を近くに感じたときに、5つの過程を経てようやく死を受け入れることができるようになるという。
つまり、その『5つの過程』を乗り越えれば、ぼくの心は機能しなくなり、『死んだこと』になるのではないか。
痛みや苦しみを味わうことなく、平穏な死を迎えることができるのではないか。
ぼくは、そう考えた。

第1段階:否認と孤立(denial & isolation)

ぼくが死ぬなんてありえない。医者によると、ぼくはどう頑張ってもこの1ヶ月のうちに死んでしまうらしい。信じられない。だって、どんなに感覚を研ぎ澄ましても、どこにも痛みを感じないのだ。それなのにぼくの身体は今、恐ろしい病に侵されているらしい。両親にもこのことを話したが、ふたりともこの事実をいとも簡単に受け止め、平気な顔をしている。おかしい。ぼくがこんなに早く死ぬはずがないのに。所詮、ぼくはひとりなのだ。誰ひとりとして味方になってはくれない。とにかく、医者が言ったことは何かの間違いで、ぼくはまだ死なない。そう、これは何かの間違いだ。

第2段階:怒り(anger)

ぼくは死ぬらしい。その事実はなんとか飲み込んだ。だが、なぜぼくが死ななければならないのか。ぼくはこの18年間、平凡な暮らしをしてきただけだ。なにも悪いことはしていない。ぼくより悪い行いをしてきた人間なんていくらでもいるはずなのに、なぜぼくなのか。納得がいかない。真面目に生きてきたことは、全部無駄だったのか。だったらはじめから手を抜いて生きていればよかった。ああ、死を目前にしていない人間たちすべてに腹が立つ。なぜこんなにも早く死に選ばれたのが僕だったのだろうか。

第3段階:取り引き(bargaining)

ぼくは神も仏も信じていない。だけど、こんなときばかりは救ってくれないだろうか。死ぬことは分かった。それは仕方がない。だけどせめて、せめて心から愛する人、大切に思える人が現れるまでは命を守ってくれないだろうか。無神論者が報われるわけないと笑うかもしれない。だが、ぼくは真剣だ。
今まで人を嫌ってばかりいて、孤独を選んで生きてきた。それでいいと思っていた。でも最後の瞬間だけは、愛する人とともに過ごしたいのだ。
ぼくの都合のいい神様、仏様、どうか願いを叶えてください。

第4段階:抑うつ(depression)

やはり希望などないのか。少しでも神や仏を信じようとしてしまった自分が莫迦だった。もう、ぼくにはなにもない。例えようのない絶望はぼくから感情を奪い去り、頭が狂ってしまう程の虚無感を与えた。ぼくにはなにもない、なにもないのだ。

第5段階:受容(acceptance)

なんだかとても気分がいい。今まで酷く騒がしかった胸の奥が、嘘みたいに落ち着いている。
要するに、ぼくは自然の一部なのだ。終わることなく永遠に続く宇宙の歴史の中で、ぼくという存在はあまりにも小さく、はじめからなかったに等しい。死を迎えることはなんら不自然なことではないのだ。おかしなことではない。むしろ素晴らしいことだ。無事生命を終了することに深く感謝し、静かに目を閉じよう。

ぼくは、死を受け入れた。


『え?息子の話を聞かせてほしい?そうですか、別にいいですけど。ある日、息子は急に部屋から出てこなくなったんです。それまでは何の不満ももらさずに毎日学校に通っていて、平均的な、特にこれといって特徴のない、普通の子だったんですが。
1週間くらいは完全に部屋の外との関わりを絶っていましたね。食事を運んでも食べてくれなかったし、部屋の明かりは夜中も付けっぱなしで、睡眠もとってないようでした。
心配で仕方がなかったので、わたしも眠れない日が続きました。部屋から出てこなくなって、8日目の朝だったかな。朝食の準備をしていると、背後に人の気配がして。振り返ると息子が立っていたんです。
見たことのない表情をしていました。なんだかとても穏やかで、幸せそうな、そんな表情。そして息子は「ぼく、病気なんだ。1ヶ月以内に必ず死ぬ。」そう言いました。わたしは言葉を失い、立ちすくんでしまいました。息子はその言葉を残し、また部屋へ帰っていきました。そこから彼が外に出ることはありませんでした。
さすがにおかしいと思い、部屋に押し入る決心をしました。ドアを開けて部屋を見回すと、ベッドに横たわる息子の姿。なんど話しかけても少しも動かない。半ばパニックを起こしながらも、救急車を呼びました。
息は、しているんですよ。でも、目を覚まさない。意識が完全にどこかにいってしまっている。お医者さんが言うには身体のどこにも異常はなく、目を覚まさない理由がまったくわからない、と。息子はまだ生きています、だけど命はない。もう、息子ではない。彼をこんな状態にしてしまったのにはきっとわたしにも責任があります。
今は、彼が生き返ってくれることをただひたすら願うばかりです。』

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