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天声人語の「写経」を1カ月続けて得られた、3つの学び

私は3月12日から、朝日新聞の「天声人語」を毎日ノートに書き写している。いわゆる「写経」というやつである。そして開始から1カ月が過ぎた今、「この習慣を続けて良かった!」と心底感じている。

写経を始めたきっかけは、ライターのさとゆみさんが「CORECOLOR」で書いていたコラムだ。一日限定公開だったので記事はもう残っていないのだが、そこではさとゆみさんの「ビジネスライティング道場」に参加した、ある駆け出しライターさんとのエピソードが紹介されていた。

さとゆみさん曰く、彼女の文章は「てにをは」から指摘するようなレベルで、正直彼女がライターとしてやっていけるのか不安があったそうだ。でも本人には「どうしてもライターになりたい」という熱意があった。さとゆみさんは彼女に、良い文章にふれること、そのために天声人語を毎日書き写すことを勧めたという。

彼女はそれを実行した。1カ月後、彼女のインタビュー原稿を読んださとゆみさんは、見違えるほど良くなったと感じたそうだ。

この話に触発され、私もその日から天声人語の写経を始めた。そして実際に1カ月続けてみて、たくさんの気づきがあった。天声人語の文章はなぜ優れているのか。私が特に感じたのは、以下の3つである。

①切り口の多様さ
天声人語のテーマはいろいろだ。時事問題、政治、食、季節……そのいずれであっても、切り口が素晴らしかった。たとえば、「靖国参拝」という堅いテーマを扱う記事の冒頭はこうだ。

ゴジラはなぜ、東京にやってくるのだろうか。繰り返し、何度も何度も、日本の首都を襲うのだろうか。

天声人語「ゴジラと靖国神社」(2024年3月22日掲載)


掲載されたのは、ちょうど映画『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞で視覚効果賞を受賞した時期。誰もが入りやすい旬な話題を切り口に、靖国参拝へとつなげる起承転結の鮮やかさには、書き写しながら思わず唸った。

ゴジラと靖国神社

②引き出しの多さ
天声人語では、映画や小説、詩、過去に起こった事件など、いろいろなものから言葉が引用される。前述したゴジラの記事も然りだ。それを読んだとき、思った。私は圧倒的に引き出しが少ない。「ゴジラに興味がないから」と、今までゴジラの映画は一度も観てこなかった。もちろんゴジラの話は一例に過ぎないが、「興味がないから」と切り捨ててきたものがたくさんある。これからは食わず嫌いをせず、なるべく多くのものにふれたいと思った。

また、この1カ月でいちばん印象に残ったのが、以下の記事だ。モスクワで凶弾に倒れた記者を切り口に、プーチン大統領の当選に言及している。

プーチン大統領の勝利宣言

この記事を読んだとき、「天声人語を読んでいなければ、私はこんな勇敢な記者がいたことを知らずに死んでいただろうなあ」と考えた。それは人生においてすごくもったいないことだと感じたのだ。読者にこれだけのインパクトを与えるには、さまざまな角度から話を展開できる引き出しの多さも重要なのだと学んだ。

③読後感の良さ
天声人語は、朝日新聞の論説委員3名が交代で書いているという。誰がどの記事を書いたかは公開されていないのだけれど、「この記事とこの記事は同じ人が書いたんじゃないかな?」と考えることがある。どこで書き手のことを想像するかというと、締め方だ。「うまいなぁ」と、思わず膝を打ってしまう締め職人のような人がいる。とくに印象に残っているのが以下の記事だ。

尊富士の快挙

この記事では、大相撲春場所で110年ぶりに新入幕優勝を飾った尊富士(たけるふじ)の偉業を伝えたあと、彼の出身地である青森・五所川原の盛り上がりを熱く描いている。そして、以下のように締めたのだ。

夕暮れ。春のかすみの向こうに、真っ白な雪をかぶった岩木山が見えた。地元の人々はこの山に親しみ、その端正な姿を誇ってきたと聞く。別名・津軽富士。ご自慢の「富士」がもう一つ誕生した。

天声人語「尊富士の快挙」(2024年3月25日掲載)


読み終えたとき、私はなんとも言えない幸福感に包まれていた。なぜこんな締め方ができるんだろうと考えてみると、やはり前述の「引き出しの多さ」につながる。

これまで、好きなライターさんの記事を写経することはあった。だけど3000字以上の文章を写経するのはなかなか大変で、数日に分けることもあるし、日々の習慣として続けるのは難しい。その点、天声人語は600字前後なので日課にしやすいのだ。

また、当初は一日の終わりに写経していた。でも夜だと眠気や疲れから、「明日でいっか」となりやすいことに気づいた。それからは朝起きてすぐ写経をするようにした。始めてみると、写経から始まる一日が割とすんなりと定着した。

最近、写経が役に立ったかも、と実感する出来事があった。あるインタビュー原稿の締めの部分で、「花言葉」を引用して、取材対象者の人となりを表した。これまでの自分なら思いつかなかっただろうし、挑戦しようとも思わなかっただろう。編集者さんからこの締め方を褒めていただけて、ほんの少しだけ、自分の表現の幅が広がったのかもしれないと思えたのだった。

そういうわけで、当初予定していた1カ月間を過ぎた今も、毎朝天声人語を写経している。いつまで続くかわからないけれど、得られることはまだまだありそうだ。

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