「道をひらく」逆境と順境の考え方


生きていれば誰にでも逆境に立たされる場面ってありますよね。


一方で、順境という言葉もあるようです。

【逆境】
何事も具合よくいかない、めぐまれない境遇。

【順境】
不自由なことがなく、何事も具合よくいく境遇。


皆さんはどちらの境遇でしょうか。

僕は今、逆境に立たされています。めぐまれないとは思いませんが、目標を持って読書や記事の更新を目指す僕にとっては何事も上手くいっていない状態です。


ある程度は覚悟をしていたものの、新しい仕事は予想以上に長時間、肉体労働(重労働ではありませんが)でした。仕事が終わる頃には疲れ果て、自分の頭や体が自分のものじゃないみたいです。


当然今まで続けてきた記事の更新にも影響が出始め、日課の読書も本を開いて数分も経たずに意識が飛ぶような状態になり「こんなはずじゃなかった…」とうなだれそうになることもあります。


諦めそうになったその時、長年本棚に眠っていた松下幸之助氏の『道をひらく』が思い浮かびました。すがるように手に取ると、自分の置かれた境遇について次のような言葉が目に飛び込みました。

逆境は尊い。しかしまた順境も尊い。要は逆境であれ、順境であれ、その与えられた境涯に素直に生きることである。謙虚の心を忘れぬことである。素直さを失ったとき、逆境は卑屈を生み、順境は自惚を生む。


この一文を読んでハッとしました。まさに卑屈な心になっていたことに気がついたのです。立ち止まってみたものの、逆境も順境も同じように尊いのは一瞬納得がいきませんでした。


しかもこの後には逆境、順境どちらにせよ素直に歩む「その道程は異なっても、同じ強さと正しさと聡明さを持つ」ときています。


微かな稼働領域を使って考えてみました。


素直さを失った逆境では卑屈になります。これは身をもって体験しました。もしも、「素直さを失う=受け入れられない」と考えたら、いつまで経っても卑屈なままで、きっとその先の言動に必ず悪影響を与えることと思います。


一方で、素直さを失った順境。今の僕にはほど遠いのであくまでも想像ですが、こちらの素直さはきっと逆境とは違う意味合いになるはずです。おそらく「素直さを失う=当たり前だと思う」になる。


たしかに、順調にいっている状態が当たり前だと思ったら自惚れが生じるのは理解できます。そして、当たり前なので当然感謝はありません。表向きは人に感謝を述べても、心の内は自惚れているので、どこかでボロが出る。


両者の行く末は見えていますね。

そのように考えたら、

逆境であろうが順境であろうが、謙虚な心で素直でいれば、前に進むためのスタート地点に立てる


ということではないのでしょうか。


そこに立つことができたのなら、あとは前に進むだけです。

松下氏の言葉を借りれば、それが「道をひらく」なんだと思います。

皆さんはいかがですか。


僕は前に進みたい。共に進みませんか?



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