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インタビュー調査におけるインタビュアーの役割~「発言促進」①=「沈黙責め」





概論にて述べましたが、ALIにおけるインタビュアーの役割・機能とは何かと一言でいうと「C/S領域におけるナラティブ発言を促進して情報量を増やし、具体化、構造化すること」です。

そもそもナラティブというのは「時系列を含む物語」です。それを聴取することが重要なのは、生活の物語の中にはその体験の経緯や関係する状況が自然に含まれるからです。経緯にはその間の因果関係や葛藤関係、目的手段関係などが自然に現れます。状況とはその背景であり、意識や行動が発生したオケージョンであり、それがどう経緯に影響したのか、などです。

聞かれたから答えているのではなく、自発的にインタビュアーや他の出席者に自らの体験を理解してもらえるよう話すためには、普通に社会性のある人であるならば、それらを含めて話をしようとするのは当然のことです。ナラティブで話してもらえば、「理由や背景を訊きだすテクニック」などそもそも必要がないわけです。

業界でインタビューや定性調査で飯を喰っている人には総スカンを喰ったり黙殺されたりしそうな話ですが、これは、一般的なインタビューの技術論に対して、インタビューの質を個人のテクニックに極力依存させないという相当に革新的なことを言ってます。インタビューというものを「質疑応答」と捉えている限りは理解しがたいことかもしれませんが、むしろインタビューというものを「簡単」にして品質を安定させることなのです。

探索的な課題のみならず、調査現場で提示した商品や広告などに対しての評価を聴取する検証的課題の場合にも、その場でどう感じるかを聴取するのみならず、調査の場でそのように感じるに至っている生活のナラティブにフォーカスして聴取するようにすれば、実際の生活体験とその評価が紐づくわけです。「過去こんな生活体験をしているので、現場でこう評価するに至っている」という構造のナラティブです。つまり、より信頼性のある情報、より構造化された情報が得られるわけです。現場での評価と紐づく過去の生活体験が出てこない場合は「その場での思い付き」を話しているにすぎないので、情報としては裏付けのない信頼性のないものだと判断することも可能です。

そして、その経緯や状況の中で発生している生活者の行動と意識をつぶさに把握することが具体化、構造化と表裏一体であるわけです。その情報量が増えれば増えるほど、当然、分析の精度や深さが担保されていくことになります。

故に、対象者に話して欲しい話題と「話し方のルール」を提示し、理解を得たのならば、その次の仕事は、とにかく発言量を増やしていくことです。それには様々なテクニックがありますが、それらを総称して「発言促進」と呼んでいます。

一定時間内の対象者の発言量を増やすためにはインタビュアーが発する言葉はなるべく少なくするというのが単純な原理です。つまりはノンバーバルなコミュニケーションで対象者に発言を促していく必要があるわけです。

その端的な例なのですが、実は上図に含んでいない潜在的な要素があります。それは「沈黙の利用」です。

「自由に話し合って欲しい」とか「自由に話して欲しい」とかと言われても、インタビューとは質疑応答だと認識している対象者にとって、それは戸惑いを伴う依頼です。昭和の昔は酒席で「無礼講だ」と言われて本当に「無礼」で良いのか、という戸惑いがあったものですが、それに似ていると思います。要は「常識」に反した「ルール」であるからです。

その戸惑いはインタビュー冒頭の「沈黙」につながります。通常、インタビューでは対象者の沈黙は「絶対悪」です。それで経験の浅いインタビュアーはそこで焦ってアスキングをしてしまいがちです。しかしそれこそがその後の対象者の自発的発言を阻害するのだということには気づかれていません。なぜならば、その瞬間に対象者は「質問に対して答えればよい」という心理モードに入ってしまうからです。それ以後は質問されるまで対象者が自発的に発言することは偶然にしか起きません。その方が楽だからです。見知らぬ人たちの前での自発的発言には当然心理的負荷が伴います。

一方、ALIでは経験のあるインタビュアーはその沈黙すら利用して発言を促進しています。沈黙が生じても笑顔で「私は聞き役に徹しますので、どなたからでも、どんなことでも結構ですから遠慮せずに口火を切ってください」というようなことを他人事のようにうそぶきながら放置するわけです。社会的な場での自発的発言には心理的負荷が伴うわけですが、逆にインタビューという社会的な場で設定された「自由に発言する」というルールの下では「沈黙」の心理的負荷の方が大きくなります。要は「沈黙にいたたまれなくする」わけです。沈黙時間が長くなればなるほどこのいたたまれなさは増大しますから、そのうち、対象者は観念して自発的に話し出すわけです。これを私は「質問責め」ならぬ「沈黙責め」と呼び、話し出した瞬間を「観念の瞬間」と呼んでいます。要は対象者に「自発的に発言することが本気で求められているのだ」とアタマだけではなくカラダで理解してもらうということなのです。

インタビュー調査というものは調査対象者の心理を明らかにするものであるわけですが、実査の場面ではこのように調査対象者の心理を推し量って利用するという側面も持っているわけです。





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