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サウナ習慣

サウナでなぜ人は整うのか?
コロナ禍とマスク生活習慣で僕はサウナ沼に嵌った

日常生活は思考フルな状態です。
身体より脳がバグってくるのかもしれない

サウナはパソコンでいうと強制終了するとまた作動する感じか

物が考えられない領域に入ることによって
トランス状態やランナーズハイに似ている

サウナに入って整うとは『意識』が→『感覚』に向くこと。

サウナに入っている時、
サウナから出た時の水風呂や
その後の外気浴クーリングタイムの心地よさを味わっている時、
思考の入る隙はなくなる。

思考から感覚にいった時「生の喜びに気づく」

サ道というドラマ内のシーンでサウナでは静かに過ごしていたい主人公が、別の人たちがお喋りしているのがが気になって集中できなくなる、
と言う場面があります。

「気にすれば気にするほど気になってしまう」
「無になろうと思えば思うほど無になれない現象」

でもこのサウナの感覚って瞑想と同じだな、
僕はヨガはしないけど一種の瞑想状態に入ると思ったんです。

だから多くの人がサウナに没入するんですね。

瞑想をしているときによく思っていたこと。

瞑想とかマインドフルネスってとても素晴らしいものだと思っているのですが、大体の人の日常の中に瞑想的要素ってあるんちゃうかな?
って思っていた。

何かに集中して時間を忘れて没頭すること
人の声も聞こえなくなることってありませんか?

専門職の人で例えるとサッカー選手のゾーン状態。
ミュージシャンの方にもきっとあると思う。
講師業の方なら神回と言われるような時。

日常生活でも掃除に夢中になって時間を忘れている時。
料理を作り始めて作っていると心地よくなっている時。

野菜をただただ刻んでるリズムが心地いいとか。
多分その時には思考フルにはなっていなくて
それぞれの『感覚』に集中していると思います。

私から見ているとその行いがそれぞれの中にある
瞑想的やなって思う。

これも、
意識的に気付けばすごく良い気づきになると思うんです。

「あっ、今の時間は私の中でゾーンだったな」
(ここは基準をグーっと下げて良いと思う)

例)
・キャベツの千切り
・草むしり
・床掃除
などなど・・・

その日常的にあるちょっとした行動が
『思考』から『感覚』に集中して生の喜びに気づくこと。と捉えたらどうでしょう?

立派なことをしなくても些細なことで日常的に
「生きている喜び」と触れ合っている、そんな感覚を自分の感覚として
取り入れることが出来たらとっても豊かですよね

皆様の日常が瞑想的により豊かになりますように
結論僕は今日もサウナに行く。


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