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外に出てみたら、誰も赤ちゃんに靴下なんか履かせてなかったよ

先日の記事でベビーカーを購入したことをお伝えしたのですが、それ以来ちょいちょい子どもを連れて外に出ています。

僕としてはベビーカーを押して買い物に行ったり、ちょっとお出かけをしてみたいと思っているのですが、心配性の嫁と義母に反対されて、小区(団地)とその周辺をちょっと散歩する程度です。なんのためにベビーカーを買ったんだよと思わなくもないのですが、立場の弱い外国人ムコなんで逆らう権利などありません。

ただそんな小さな範囲の外出でも、いろいろ発見はあるのもので。

まず出歩いていると、同じように小さな子どものいる家族連れをよく見ます。よく「子どもができてから、子どもが街にいることに気づいた」などといいますが、それにしてもけっこうたくさんいます。

聞くところによると、僕の住む広東省はいまの少子化が進む中国においても相対的に子どもが多く生まれているらしく、さらにその中でも僕のいる東莞市は省内でもトップの出生数だそうです。だから子どものいる家族連れも多いというわけです。うちの子にに友達がたくさんできそうで、ちょっとうれしいです。

次に、ここまで「親子連れ」と書かず「子どものいる家族連れ」と遠回りに書いているのは、子どもを連れいてるのは親とは限らず、おじいちゃんおばあちゃんとおぼしき人である場合も多いからです。特に平日はほとんどが祖父母世代による「孫連れ」だと言ってもいいかもしれません。共働きが多く、祖父母に育児のお鉢が回って来がちな中国の社会をよく反映しています。これもまた発見です。

そしてもうひとつ。こういう子連れ(孫連れ)の人々、こちらもベビーカーを押しているとなると、めちゃくちゃ話しかけてきてくれます。「子連れ」のほうは大人しい人も多いですが、「孫連れ」ともなるともうグイグイ来ます。

何ヶ月だ、男の子か女の子か、この子はでかいね、うちの子はミルクを全然飲まなくてね……と、あれよというまに世間話が始まります。これもまた、中国っぽい光景のように思います(日本も昔はこんな感じだったのでしょうけど)。ちょっとたじろぎそうになりますが、子育てのことを共有したりして、楽しく話しています。

そんなふうに子どもを通して、僕にとっての中国の新しい顔が見えてくることは、非常に興味深い体験です。

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……と、そんないい話風の、薬にも毒にもならないことが書きたいわけじゃないんです。きょう本当に書きたいのは、こうして外出することによって気づいたことと、それにまつわる怒りです。

というのも、そうやって見かけるうちの子の同級生たち——ベビーカーに乗せられた、生まれて半年以内くらいの子どもたちをよく見ていると、誰ひとりとして靴下を履かされていないんです。

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