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中国人も空気を読みます

「中国人は空気を読まない」というイメージをお持ちの方は多いのではないでしょうか。相手が上司だろうが、みんなに反対されようが、はっきり自分の意見を貫く。周りに同調し、あえて自分の意見を言わない、自分の思うままに行動しないことが「空気を読む」のだとすれば、その逆を行くのこそが中国人であろうと。

僕自身、中国に来る前はそういうイメージを持っていたし、何だったら中国に来てからも「やっぱり中国人は空気を読まないなあ」などと思っていた時期があったように思います。

しかしそこそこ長い期間中国に暮らしてきて、どうやらそれは部分的にしか正解ではなく、彼らは彼らで別種の「空気」を読み、言いたいことを言わないようにしている場合もあるのでは、と感じるようになってきました。今日はそんな考察を書いてみたいと思います。

空気を読んだ中国人と、読まなかった中国人の話

拠点の責任者は日本人の総経理だが、僕の直接の上司は中国人である職場(クソ)に勤めていた時のことです。

その会社ではいつも週に一回の定例会議で重要項目だったり、その時々でやらなければならないことや達成すべき目標などが総経理から発表され、各部署はそれを達成するために動く、という形で業務が進んでいました。

もちろんその会議が終われば、それらの達成に向けて動き出さなければいけないのですが……定例会議の後に部署でミーティングをすると、僕の上司である中国人が必ず愚痴のように言うのが「総経理の指示がいかに荒唐無稽であり、実現不可能なものであるか」ということでした。

僕はそれを「いや気持ちはわかるんだども、よっぽどのことならその会議の場で言えばいいんじゃないの……?」などと思って聞いていました。中国人は空気を読まないんじゃないのかよ、なんて感じたこともあったかと思います。

実際に「だったらその場で言えば」みたいなことを彼に伝えたこともあったのですが、「いやその場で言ったらフンダララ什么什么」と、なにやらゴチャゴチャ言い訳のようなことを言っていました。気持ちはわからないでもないのですが、それを言っててもしょうがないからさっさと動こうよ、とかやってる間にマゴマゴして何も進まず、次の会議で報告する進捗がなく揃って総経理にドヤされるのがお決まりでした(嫌な思い出ががが)。

いっぽうで、「やっぱり中国人は空気を読まないな」と感じるようなこともありました。上記とは別の製造業の職場で製品の進捗管理をしていた時、外注工場や同じオフィスの中国人スタッフに納期厳守や品質管理の「空気」をいくら醸成しようとしても、うまくいきませんでした。

頑張ってこっちの「空気」に沿った方がメリットがあるよ、と説いてまわったつもりだったのですが、結局は何も変えられないまま。外注にしてもスタッフにしても、「言いたいことしか言わない」人ばかり。

そのオフィスにいた日本人たちが食事をするときには決まって「中国人はホント空気読まねーなー!」と愚痴っていた覚えがあります。

なぜ「中国人は空気を読まない」とされるのか、2つの仮説

上記の経験から、やはり中国人でも「言いたいことを言う時もあれば、言わない場合もある」のではないか、と個人的には思います。

ではなぜ、「中国人は空気を読まない」というステレオタイプが生まれるのでしょうか。以下に仮説を述べてみたいと思います。

仮説①:空気よりも力関係を読んでいる

これは僕が中国人と関わる中で感じた私見ですが、中国人はその場にいる全員から醸成される空気というよりも、そこで相対する個人どうしの一対一の力関係に敏感なのではないかと思っています。

ここでいう「力関係」というのは、肩書きや立場とは似て非なるものです。実際にその人が偉い立場や肩書きを持っているかどうかではなく、その人に自分を引き立てたり庇護する能力があると認めたならば、その人の顔を潰すようなことはせず、素直に言うことに従います。能力としての「面子」に関するやりとりといっていいかもしれません。

先のエピソードの中国人上司は、好き嫌いはともかくその日本人総経理のことをナメてはおらず、顔を潰さないようにするだけの配慮をするだけの価値がある人物だと認めていたのでしょう。

対して僕の発する「空気」を読まなかった別の工場のスタッフたちは、僕をそのような価値がある人物とは認めていなかったと言うことが考えられます。いちおう僕は上司として彼らに接していました。やはり肩書きは関係ないということになります。

つまり、あなたが「中国人は空気を読まない」と感じたのだとしたら、単純にあなた自身がナメられてるってことかもしれませんよ(大きめのブーメランを射出)。

仮説②:日本人自身による「日本人以外は空気を読まない」という幻想

もう一つ、実は要因としてはこっちの方が大きいのではないかと思うのですが、僕含む日本人(クソデカ主語に巻き込んでサーセン)って、「日本人以外は空気を読まない」と思いたい、信じたいみたいなところがあるんじゃないかと思います。どうでしょうか?

日本人は協調をを大事にするとか、組織のためにみんなで協力して物事を成し遂げるとか、そういう「美しい日本」像を賛美する。もしくはそのような協調性を「同調圧力」とみなし、唾棄すべきものとして嫌悪する。

「美しい日本」像を相対的に浮かび上がらせる「外国人」の協調性のなさ、あるいは「同調圧力」を打ち破るためのパワー。どちらのベクトルにしても、「日本人性」の相対化として「日本人以外は空気を読まない」「空気を読むのは日本人だけ」みたいなことが語られがちなように思います。

現実には、国によって多少フォーカスする部分は違うものの、どの国の人であろうとやはりそのコミュニティでの生存のために最適な行動をとります。その中には「あえて自分の意見を言わない」「自分の思うままに行動しない」ということが含まれることも当然あるでしょう。実際には日本人だけが「空気を読んでいる」わけではないのです。

よく「災害の時に助け合うのは日本人だけ」などと語られることがありますが、それも幻想です。例えば先日、中国の河南省で発生した大規模な水害の際には、ネットを含むあらゆるインフラが壊滅するなか助けあう人々の姿が見られたと言います。中国人が本当に「空気を読む」ことをせず、自身の生存のみのために振る舞う人々であれば、そのような美しい光景は見られなかったはずです。

そんなわけで、「日本人は空気を読む」「他はみんな読まない」みたいなことは本当なのか、ちょっと考え直した方がいいのでは、と思いました。

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以上、中国人及び日本人の「空気を読む」について考察してみました。自分で言うのもなんですが、他ではあまりまだ言葉になっていないことが言語化できたような感触があります。

この辺、中国人と関わる人もそうですが、他の国にお住まいの方や外国人とのやりとりが多い人にご意見をうかがいたいです。コメント等お待ちしています。あと忘れずにスキをつけてください。お願いいたします。

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