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海外における日本人コミュニティはなぜアレな感じになってしまうのか

先日「中国の日本人コミュニティの陰湿さ」についてTwitterに恐る恐る投げかけてみたところ、かなりの量のRTとfav、コメントなどをいただき、軽くバズってしまいました。みなさん心当たりありすぎじゃないですか。

しまいにはトゥギャられる始末です。

ともあれ、中国に限らず海外における日本人コミュニティで嫌な思いをしたという話は枚挙にいとまがないようで、コミュニティが陰湿なものになったり、ギスギスしたりと、アレな感じになってしまうケースが多いというのはある程度確かであるようです。

今日は、なぜそうなってしまうのかの考察を書いてみたいと思います。

本来出会うべきでなかった人が「日本人である」というだけで出会ってしまいやすい

「外国にいる日本人」といっても、その出自は様々です。生まれた場所や考え方、性格、それまでに接してきた文化的背景などが全く違います。そりゃあ、合わない人だってたくさんいます。

しかし、そのようなさまざまな違いを持った人たちが、「日本人である」という共通項を頼りになんとなく交流してしまうのが海外の日本人コミュニティです。特に住み始めたばかりの時などは生活にも慣れておらず、どうしても日本人を頼ってしまいがちです。

それ自体は悪いことではないですが、そうやって共感的なところから始まった人間関係ではお互いへの過剰な期待や信用が積み上がってしまいやすく、ある時点でお互いの「違い」を自覚した時に破綻してしまう、というケースが多いようです。まさに「出会わなければよかった」です。

マレーシア在住の野本響子さんも、海外の日本人同士がおかしくなってしまう原因の一つは「不安から人間関係が始まっているので距離が近くなりすぎる」ことであると分析されています。

現地へのコミット度の違い

その「それぞれの違い」のなかでも、際立って話をややこしくしているものに「現地へのコミット度の違い」があります。海外在住者と言っても、期間限定で来ている駐在員もいれば永住者だっていますし、そもそもその国を好きか嫌いかなど、考え方に大きな差があります。これはけっこうアイデンティティに関わる問題でもあり、お互いを嫌いあう原因となりやすい気がします。

その国が別段好きでなく会社命令で仕方なく来ていて、とっとと日本に帰りたいと思っている人からすれば、わざわざ好きこのんでその国に住んでいる人の気持ちなどわかるわけがありません。逆もまた然りで、「こんな素晴らしい国のことを悪くいうなんて」「だったらさっさと帰れや」という反発が見られることもあります。

ちなみに、僕の住む中国はある意味「好き嫌い」が極端に分かれやすい国でもあります。中国をクソミソにけなす人もいれば、中国に来て本当に救われた、中国愛が止まらない、という人もたくさんいます。

自分の経験した例で言えば、ある日系企業にいた頃は、行く先々の食事会や飲み会で中国人の素行や中国の政府のやり口をけなす人がほとんどでした。それぞれの考え方だから何を思うのも自由だと思いますが、中年・壮年男性たちが毎日のように何かの悪口で共感しあって己の価値観を確認しているような光景は、あまり気持ちのいいものではないな、と思っていました。

また、僕に中国人の配偶者がいるのを知っていて、中国人を一括りに馬鹿にするようなことを言ってくる人たちもいました(延々イジられたりとか、「考え直した方がいい」とはっきり言ってくる人も)。僕自身は中国を手放しに好きな人間ではない(と思う)ですが、それでも度が過ぎるとさすがに腹立たしくなったものです。

ムラ的な社会の狭さとヨソモノ排除の陰湿さ

日本人が集まる「だけ」なら何も問題は起きないだろうし、そもそもさまざまな背景があるとはいえ、そんなに「おかしな人」がたくさんいるわけでもありません。にもかかわらずアレな日本人コミュニティの話が後を絶たない原因には、その交流範囲の狭さがあると思います。

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