たいして寛容じゃなくても海外暮らしを実現する方法

野本響子さんのnoteが面白かったです。

「ジオアービトラージ」という、地理的な差額を利用してお金をやりくりする方法に関連して、国を変わってもうまくやっていける人はどんな人なのか、ということについて書かれています。

その中で大事とされているのは、やはり「寛容さ」です。自分の常識の中におさまらないことが出てきた時に、そこに対して腹を立てたり、むしろそれを楽しんだりする能力が必要なのではないか、と。

そういう観点で見ると、僕はまったくもって寛容的ではありません。昨日も春節の爆竹が夜中まで鳴り止まずにイライラしていましたし、列に割り込んでくるBBAがいたら反射的にムカつきますし嫁が生肉を水洗いしているのにはいつまでたっても違和感があります。

でも、僕はそれなりの長い期間を中国という異国、つまりは自分が生まれ育ったのとは違う文化圏で過ごしてきました。なぜそうできたのだろうかと考えると、海外生活に必要なものが見えてきたような気がするので、書いてみたいと思います。

その①:諦める

いきなり身も蓋もありませんが、究極的にはこれしかないんじゃないかと思います。

自分の中の「〇〇はこうあるべき」という信念は、なかなか捨てられるものではありません。異文化において遭遇する、腹が立ったり違和感があったりすることに対して、そもそも腹を立てないようにすることや違和感を持たないようにするのを意識的に行うのは、非常に困難です。

そこで自分を変えようとしても、多くの場合逆につらくなってしまうのではないかと思います。しかしだからといって、相手が自分に都合よく変わってくれるわけもありません。

だったらもう、「そういうものだ」と割り切ってしまって、自分が違和感を抱えていること自体にイライラしなくなればいいというか、ヨソ者のまま開き直ってしまうような覚悟をしてしまえばいいのです。別に怒ったりイライラしたっていいじゃん、という考え方とでもいうのでしょうか。

そうやって開き直っていれば、そのうちイライラすることにも飽きてきて、いつのまにかいろんなことが気にならなくなっているかもしれません。事実、僕も長く住む中で、最初はイライラしていたけど受け入れられるようになったこともずいぶん多くあります(パンツの手洗いとか)。爆竹にも横入りBBAにもイライラはしますが、昔に比べるとずいぶん理性的に対処できるようになりました。

それらは腹を括って意識的に受け入れてきたというより、住んでるうちになんとなく気にならなくなった、という感じです。自分の気持ちを無理にコントロールしようとするより、そっちの方が健康的な気がします。テキトーにすごしていれば、そのうちどうにかなるのです。いい加減になることも大事です。

……とはいえ、海外移住に関して考えている人に「諦めよう」「テキトーに過ごそう」とだけ言って突き放すのもどうかと思うので、以下はもうちょっと建設的かつ実用的なことを書いてみたいと思います。

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