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「パンツは手洗いでなくてはならぬ」から考える、異なる価値観への許容と拒否

地域・個人によりますが、中国には「パンツならびに下着は他の洗濯物と一緒に洗濯機に入れるべからず。手洗いが望ましく、洗濯機を使うとしても他の洗濯物とは分けるべし」という、大多数の日本人からみて意味がわからないであろうルール(?)があります。これは一定程度の「あるある」らしく、リアルでもTwitterでも中国に関わる日本人の間で、高い頻度でこの話題に遭遇します。

うちの嫁(中国人)も当然このルールのもと育ってきており、結婚当初パンツを洗濯機に入れただけで烈火のごとく怒られ、混乱したことをよく覚えています。理由としては、パンツには雑菌的なものがたくさんついているので、一緒に洗濯機を回してしまうと雑菌が他の服にもまわってしまうから、ということのようです。特に中国の女性は皆そのように考えているのだ、とのことです。

「いやめんどくさいし、一緒に入れてもいいやん?」などと突っかかってみても、ますます頑なになるばかりです。こういう習慣に基づいたことはいくら理屈で言ってもわかりあえないというか、「これこれこうで結果はいっしょだから」「その理屈は間違っているから」という話をしても、どうしようもないところがあります。

かくして僕は毎日嫁と自分のパンツを専用の洗面器に入れ、ぬるま湯と下着用の洗剤で綺麗に洗っています。中国に来てはや数年、俺はなぜいまここでパンツを手洗いしているのか? と哲学的な問いが頭をもたげることもありましたが、最近ではそれすらも思わず流れ作業の一つとしてこなすようになってしまいました。

他にも僕が理解できないこととして、「一度沸かしたお湯を、もう一度沸かして飲むのはNG」という謎ルールもあります。別に変わんないだろ…と思うのですが、これもやはり嫁にとっては大事なルールらしく、僕が電気ケトルに残ったお湯をもう一度沸かそうとすると、強い拒否感を示します。

しょうがないので、面倒くさいなあと思いながらも電気ケトルには毎回使用する分の水しか入れないようにしています。

若干被害者ぶった書き方をしてしまいましたが、嫁から見れば全く理解できない僕の行動も多々あります。そうめんの器に必要以上に執着したり、餃子と白飯を一緒に食べようとする(中国では、餃子はご飯や麺と同じ主食という扱いです)ことなどは、嫁の目から見れば意味がわからない行為に映ります。

こういった細かい習慣の違いを、違和感を感じながらも受け入れたり、時には拒否したりしながら、毎日過ごしています。言葉になっていないけどなんとなく受け入れていることや、知らず知らずのうちに違和感を与えていることも、たくさんあるかもしれません。

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お互いの違う価値観が矛盾を起こしそうになる時こそ、両者のすり合わせが必要になります。ときにはそれを受け入れ、ときには譲れないことを毅然と拒否することも必要です。

周囲にあるいろいろな中国人と日本人の摩擦を見ていると、どちらかのルールの押し付けになっていて、片方が受け入れるばかりになっているケースが多いように見られます(体感では日本人が中国人のルールに合わせにいくばかりで不満を募らせるケースが多いように思いますが、もちろん逆もたくさんあります)。

どちらか片方のルールに全て乗っかって、お互いの均衡が保たれ満足できるならそれでもいいのかもしれませんが、多くの場合そういった関係は長続きしないように思います。ルールを規定する側がどこまでもルールを押し付けるようになり、相手がそれをどうしても受け入れられなくなった時点で破綻します。

そうなるくらいなら、多少の衝突を覚悟してでもすり合わせをしていく方が長期的には安定するように思います。

僕も中国で暮らしていくにあたり様々な価値観と衝突してきたし、これからもいろんな価値観とすり合わせをする日々が続きます。自分にとって受け入れられるものはなにか、逆に絶対に譲れないものはなにかを考え、全妥協と全拒否以外の答えをそこに探していこうと思います。

パンツは洗うが、そうめんの器は譲らない。そんなくらいでちょうどいいのです。たぶん。

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