見出し画像

日中の溝を感じたエピソード「そうめん事変」

嫁(中国人)が全く理解できなかった僕(日本人)の奇怪な行動として、数年にわたって言い続けているエピソードがあります。我が家では「そうめん事変」と呼んでいます。僕は特段おかしなことをした意識はないのですが、嫁はいまだにこのエピソードをもって「日本人はどうでもいいことにこだわりすぎだ」というふうに言います。

これに関して皆様の思う賛否・ご意見を頂戴したく、その「そうめん事変」について書いてみたいと思います。

+++++

ある夏の暑い日、家から遠く離れた日系のスーパーでジャパニーズ・トラディショナル・そうめんである『揖保乃糸』を手に入れた僕は、久々に味わう日本のなつかしい味への期待に胸を膨らませていました。当時は嫁もまだそうめんを食べたことがなく、ワクワクしている僕を見てどんなに美味しい食べ物なのかと期待しているようでした。

しかしお湯を沸かし、そうめんを鍋に投入するその直前、僕はあることに気がついてしまいました。「器がない」と。トップ画像のような、ゆで上がったそうめんをひんやりと綺麗に盛り付けるためのちょうどいいガラスの器が、その当時は家になかったのです。

ジャパニーズ・レジェンダリー・そうめんである『揖保乃糸』をいただこうというのに、これはいかん。次にいつ買いに行けるかもわからない貴重なそうめんは、最高の状態で食べるべきだ。今からでもこのそうめんにふさわしい器を手に入れなければ。

そう思い調理を中断して出かけようとする僕を、嫁は信じられないという面持ちで制止してきました。「器とか適当なのでいいから、もうお腹すいたしさっさと作って食べよう」というのです。

そのとき日本人の誇りを傷つけられたような気がした僕はカッとなってしまい、「うるさい、適当な中華どんぶりで食うそうめんなどそうめんではないわ!」と言わんばかりに嫁の制止を振り切って家を飛び出し、手近なシェア自転車に飛び乗って近所のスーパへと猛ダッシュで駆けつけ、手頃なガラスボウルを購入しました。家に戻ってホクホク顔の僕を、嫁は奇人を見るような目で見ていました。

僕はその後大満足でそうめんを平らげましたが、嫁はのちに「そうめんはおいしかったけど、この人と一緒で大丈夫かと思いながら食べてた」と述懐しています。

+++++

いかがでしょうか。僕はそうめんを尊重する右でも左でもない普通の日本人として当然のことをしたまでですが、嫁には理解できなかったようです。日中間に横たわる溝は、かくも深いのかと嘆かわしい限りです。

誇りある大和民族の皆様に「よくやった、それでこそ日本男児だ」と言っていただけるか、嫁の言うように「どうでもいいことにこだわりすぎ」と反対意見が出るか。それとも「日中とか関係なくお前の頭がおかしい」と言われるか。ご感想お待ちしております。

いただいたサポートは貴重な日本円収入として、日本経済に還元する所存です。