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漫画「寄生獣」に学ぶ、異文化との向き合い方

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僕の人生観に深刻な影響を与えた漫画の一つに、岩明均先生の「寄生獣」があります。

さいきん電子書籍版で読み直したのですが、僕が考える「異文化」や「価値観の異なる他者」との向き合い方のようなものは、実はほとんどこの漫画から学んだことなんじゃないかと思いました。

「寄生獣」のあらすじ

ある日突然、人間に寄生し脳を奪う謎の生物が地球に現れます。この寄生生物パラサイトは自由に顔を変えて人間社会に潜伏しながら、人間を残忍に殺害し、捕食するという性質を持っていました。

主人公の泉新一の下にもこの寄生生物が現れます。この生物は新一の体の中に侵入し脳を乗っ取ろうとしますが、新一の機転によって失敗。かわりにその生物は新一の右手に寄生する形となりました。つまり、本来の体に人間の脳と寄生生物が共存することになってしまったのです。この生物は自らを「ミギー」と名付けました。

やがて新一とミギーは奇妙な協力体制を築くようになり、他の寄生生物との戦いや交流を経て、次第にお互いの考えを変化させていきます。

「寄生獣」はこういったお話です。

作品全体を貫く本来のテーマはどちらかというと、地球に生きる生物種としての人間が、どのように他の生き物たちと共存していくべきかというものです。

しかし、これを別の生物種ではなく「異なる価値観を持つ他者」だととらえると、そこで描かれていることは異文化への理解にもそのまま応用できるのではないかと思います。

どういうことか、説明していきたいと思います。

異なる価値観の二者を結びつけるのは「利害」である

共同生活(?)が始まった当初、新一とミギーはお互いへの無理解から、数々の意見の相違を経験します。

人間社会では許されないような行為を平然とすすめてきたり、他の寄生生物との戦いに際して他の人間を犠牲にしようとしたりするミギーの態度に、新一は辟易します。しかしミギーから見れば、生物として自分の生存や合理性を最優先しない新一の行動が理解できません。

しかしそんな二者でも、迫り来る危機に対して折り合いをつけながら立ち向かっていくうちに、お互いの考えを理解するようになっていきます。いや、「理解」というよりは「合わせる」ことができるようになっていく、という感じです。

本体である新一はか弱い人間なので、ミギーの協力がなければ他の寄生生物の襲撃に対してなす術もなくやられてしまいます。いっぽうでミギーも、本体である新一に死なれてしまっては自分の命がありません。両者は、生命という同じ利害を背負っているのです。

その共通の利害に対してその場その場で妥協案を見出し、最適な行動をとっていくことで、両者は絆のようなものを深めていきます。

これは、まさに異文化に関しても言えることなのではないかと思います。何もないところから出発した価値観の異なる他者は、そのままでは衝突するばかりです。共通の目的や利害があってこそ、両者は手を取り合うことができます。

そして、その過程でお互いの行動原理を知り、「なぜ相手はそう考えるのか」を考え始めるのです。これこそが、相互理解のはじまりとなります。

利害は、お互いを知るための第一歩なのです。

「興味」は理解への媒介となりうる

新一たちの目の前に現れる寄生生物の中に、「田宮良子」と名乗る者がいます。

「彼女」は新一たちとは違い、完全に人間の脳を支配した寄生生物でありながら、教師になりすますなど高度な知性をもって人間に擬態します。そして実験的に人間の子を宿し、出産したり、生命に関する大学の講義に出るなど、人間から見ても寄生生物の側から見ても不可解な行動を取り続けます。

その根底にあったのは、人間および自分たち寄生生物に対する興味です。人間が存在しなければ生き延びられない自分たちの生命には、いったいなんの意味があるのか。「人間にとっての寄生生物とは、そして寄生生物にとっての人間とは一体なんなのか」という問いを突き詰めていく過程で、「田宮良子」は人間性のようなものを芽生えさせていきます。

これも異文化理解にまつわる一つの示唆だと考えます。お互いが一体何者であるのか、なぜ互いに生きているのか、なぜお互い補い合わなければ生きていけないのか。答えの出ないこの問いを重ねていく過程で、相手のことが少し分かったり、少しだけ相手に寄り添えたりする、かもしれない。

自分と他者の存在について突き詰めることで、互いを尊重することにつながる可能性があるのです。

お互いに見えているものが違うことを受け入れる

終盤、ミギーと新一が夢の中のようなところで会話を交わすシーンがあります。

そこでミギーは新一に見えている世界の一端を見て、その自らとの見え方の違いに「君には世界がこう見えているのか」と驚きます。そして、以下のように言います。

理解しあえるのはほとんど「点」なんだよ

同じ構造を持つはずの人間でさえ例えば

魂を交換できたとしたらそれぞれ想像を絶する世界が見え 聞こえるはずだ

岩明均,「寄生獣」電子書籍版10巻(2018),講談社,162ページ(Kindle位置No.165)

物語の中でお互いを知るようになり、少しずつ同化していくような様相を見せていった新一とミギーですが、最後までお互いの生物としての立場というか、あり方のようなものを大きく変えることはありませんでした。

また前述した「田宮良子」にしても、あくまで人間性「のようなもの」の一端を理解したに過ぎず、あくまでも「彼女」は寄生生物のままでした。

同じような考えや、利害を持ったとしても、やはりそのあり方は異なり、そこに見ているものもまた違っています。お互いが何者であるのかは根本的に変えられるものではなく、また変わろうとも、変えようとするべきでもありません。

そしてこの会話ののちに、新一は相手を自分という「種」の物差しで把握することの危うさについて考えます。

他の生き物の気持ちをわかった気になるのは人間のうぬぼれだと思う

他の生き物は誰ひとり人間の友達じゃないのかもしれない

でも……

たとえ得体はしれなくても 尊敬すべき同居人には違いない

岩明均,「寄生獣」電子書籍版10巻(2018),講談社,176ページ(Kindle位置No.179)

これも「他の生き物」を「自分とは異なる価値観や文化」、そして主語としての「人間」を「自分の価値観」と置き換えれば、異文化への付き合い方への示唆となる話なのではないのかな、と思います。

+++++

最後は特にネタバレ防止のために少し抽象的な話になってしまった感がありますが、どういうことか気になった人はぜひ読んでみてほしいと思います。

僕がこのような講釈を垂れなくとも、すでに名作とされており面白さは保証された漫画です(ちょっとグロいのだけ、苦手な人はご注意ください)。

そんなわけで、今日はただ大好きな漫画を紹介する回でした。

また明日もお読みください。

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