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いろいろ難しい国で、僕が得たもの

昨日はマガジンの更新をとつぜん休んでしまい、申し訳ありませんでした。

詳細はあまり書けないのですが、ちょっとトラブルが起きてキャパオーバーになってしまい、予定していた時間をマガジンに割くことができませんでした。自分のキャパシティを低さを呪うばかりです。

今日からまた元気に更新していくので、改めて応援よろしくお願いします。

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さて、昨日トラブルが起きてまさに気を揉んでいるその時、Twitterにこんなことを書き込みました(Twitterなんぞやってる暇があれば問題に向き合え、というツッコミは禁止です)。

僕がいま経験しているトラブルもそうなのですが、中国に暮らしていると予測不能のトラブルであったり、日本では考えられないような手続き上のミスなどが起こることが多く、気を揉むことがたくさんあります。

それだけならまだしも、より消耗させられるのは「問題の解決方法がまるで見えない」「その問題に対して、どこまで労力を投入するのが適切なのかがわからない」ということだったりします。

たとえば、会社で必要な行政手続きが、なんらかの理由で止まってしまった場合というのを考えてみましょう。

手続きを受ける側は「この書類に不備があった」などもっともらしいことを言って
きますが、まずそれが本当かどうかがわかりません。言われた通りにその不備を修正すると、今度は「本当はこっちの書類がダメだった」とか「そもそもこの書類が足りてなかった」などと言いつけられます。

そして結局、手続きがまるで進まないまま、最終的に「結局、そもそも最初から条件が合っていなくて無理だった」などという結論にたどり着き、じゃあいままでの努力はなんだったんだよ、と落胆するようなことも珍しくありません(というか、いま僕の処理しているトラブルとそれにかけた努力が、まさにそういった形で水泡に帰そうとしています。誰か助けてください)。

あるいは、いまの中国を覆うゼロコロナ政策に感じる不合理さだったりもその一つでしょうか。

たとえばある地域でコロナに関する措置が通知されたとして、それをどのように守ればいいのか、どこまでそれを本気にすればいいのか、どう行動するのが正解なのか、誰にも(おそらく通知を出している側にも)わかりません。

とりあえずルールを厳密に守っていればいいじゃないか、と思う人もいるかもしれませんが、中国ではそれをやっていたら何もできなくなります。

結局、その場その場で空気を読みながら、「適切にルールを踏み越える」というような、矛盾した駆け引きをやらなければいけません。これには、先の見えない闇の中を、不安のまま手探りで進んでいるようなストレスがあります。

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また、周囲との認識のギャップにも苦しめられます。

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