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二人で生きることの面倒臭さと、「でもそれだけではない」と思えること

若い頃は、結婚するなんて思っていませんでした。ましてや国際結婚など。

たぶん一生ひとりで過ごすんだろうと思っていたところに嫁と出会い、あれよあれよといううちに一緒に住み始め、気がついたら籍を入れていたような感じです。もちろんお互いのことが好きであると信じられてはいたけど、その先の生活に対してリアリティが持てていたかというと、全くそうではなかったように思います。

その後はどちらかというと、苦難の連続です。何もかもうまくいかず、心がすり減る毎日。無限に続くとも思える「こんなはずじゃなかった」に、すっかり参ってしまったこともあります。自分が愛する人を幸せにできていないという事実に打ちひしがれ、結婚したこと自体間違いではなかったのかとまで思い詰めたことも。

今でこそ関係は安定していますが、またいつ、どんな衝突が訪れるかわかりません。

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結婚することは幸せの最適解ではありません。

むしろ結婚により、制限されることは山ほどあります。生活リズム、食べたいご飯、買い物、歩幅、いろんなことが自分の一存だけで決められなくなる日々が始まります。自分が譲れることだったり、相手が理解してくれることばかりなら楽なのですが、そういうわけにもいきません。

たとえ自分が我慢し譲歩して相手に歩み寄ることで均衡を保とうとしたとしても、そればかりではいつかは破綻します。人は人生の主導権を誰かに渡してしまうと、生きていけなくなるものなのです。

自由のない毎日。どうしても埋められない溝の存在。それに心を掻き乱されるくらいなら、一人で生きた方が気楽に決まっています。

お金のこともあります。我が夫婦にまだ子供はいませんが、中国では教育にとてつもないお金がかかり、我が夫婦にそれらを捻出できる目処は全く立っていません。それどころか、子供を持たなかったとしてもやっていけるのかどうか怪しいレベルです。

漠然としたプレッシャーで、眠れなくなる時もあります。

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じゃあ結婚を後悔しているのかというと、それは絶対に違う、と思います。

そうでなければ、こんなにも嫁と一緒にいたいと思っている自分の気持ちに、説明がつきません。ただの依存じゃないのかと自分に問い直しても、キッパリとそうではないと言い切れる何かがあります。

一昔前の大人のように「結婚は人生の墓場だ」などと嘯いてみせるのは、どうにも違う気がします。僕の思う結婚は墓場ではなく、楽しい地獄です。墓の下で冷たく息を殺すのではなく、地獄の中で鬼に遊ばれ業火に焼かれてのたうち回り、息も切れぎれになりながら笑うことが結婚だと思います。

単純に一人でいることのトレードオフとして手に入る何かという意味ではなく、二人で生きていくことでこそ見られる景色や、出会うことのできる感動があると思っています。漠然としていてまだハッキリ言葉にできていませんが、それは確実に存在しています。

それがあるからこそ今、僕は嫁と一緒にいれて幸せだと思えるのです。

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お読みの皆様のなかで、もし結婚を迷っている人がいらっしゃったら。一人のほうが気楽だしな、将来も不安だしな、なんて考えているかもしれません。

それはまったくその通りで、結婚して二人で生きていくということは、基本面倒臭いことばっかりです。将来への不安も、絶え間なく心を押し潰してきます。一人の方が、とりあえず物理的な幸福度は高いと思います。

ただ、無数の面倒臭さと不安に向き合っていくことの裏に、まだ僕自身も言葉にできていない輝きのようなものを感じることがあります。それのために生きることはまったく合理的ではありませんが、それでも僕は今の生活が好きです。

もし楽しい地獄に足を踏み入れることに少しでも興味があったら、こちらに来てみてください。溶岩の川のむこうでお待ちしております。

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