「小鎮做題家」の炎上に見る中国社会の閉塞感、それと戦う人々の話
いま中国のネットを中心に、「小鎮做題家」という言葉がにわかに話題になっています。
この言葉自体は、ネットの流行語として数年前から存在していました。
「小鎮」はおおまかに言えば地方都市、田舎というような意味で、「做題家」というのは「試験問題ばかりやっているような人」、つまりは勉強はできるかもしれないがマニュアル的で応用の効かない人、というような意味です。端的には「田舎のガリ勉」とでもいうのでしょうか。
もともとこの言葉は、必死の努力で大学受験を勝ちぬいたが、その後の都会での生活に戸惑いを抱えがちな地方出身者の「自虐ネタ」として生まれたようです。
進学や就職で都会に住むようになったはいいものの、都市出身者との文化的な素地の差や、仕事についていけないことの焦り、憧れていたような生活を手に入れられていない虚しさを募らせた彼らが、「俺たちって結局、学歴だけの「小鎮做題家」なんだよな」と自嘲し、自らを慰めるための言葉でした。
ところが最近では、「試験ばかりができて、頭でっかちなマニュアル人間」を揶揄する言葉として用いられることが増えていたといいます。もともとは自虐ネタだったのが、単に悪口として外部からも用いられるようになった、という流れがあったようです。
炎上の経緯
で、いまなぜ突然これが話題になったかについて。
まず背景として、あるアイドル俳優がとある公務員試験的なものをパスするにあたって、何かしらの裏口的な優遇措置を受けているのではないかという疑惑がネットの一部で話題になっていました。
それに対して、中国新聞週刊という大手メディアに、そのアイドル俳優を批判するネット民を、逆に嘲笑うかのような文章が掲載されました。その文脈で、この「小鎮做題家」が用いられたのです。
原文はすでに削除されていますが、他メディアへの転載記事が残っています。
このような文章が「努力している人を馬鹿にするのか!」というネット民の大きな怒りを買い、あえなく炎上してしまったというわけです。日本でも「自己責任論」や「上級国民の驕り」などがたびたびTwitterで炎上しますが、それに似た構造かもしれません。
以下、この炎上について個人的な所感です。
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