僕の吃音人生~STUTTER LIFE~
⚠注意
※吃音に対する考え方は人それぞれであり、
あくまでも「僕が思うこと」を書くので、ご理解ください。
自己紹介
名前:阿部勇司
年齢:25歳(1997年6月生まれ)
出身地:福岡(宗像市)
現在地:北海道(東川町)
活動:北海道ベースボールリーグ 富良野ブルーリッジ(選手)
仕事:北海道の東川町で地域おこし協力隊
(発達支援センターで保育士として勤務)
資格:健康運動実践指導者、中級障がい者スポーツ指導員、
児童指導員任用資格、保育士
※2023年2月現在
~STUTTER LIFE~
◆内容(はじめに)
僕は、小学3年生くらいから、「吃音」という言葉の障がいがあります。今までの「吃音」との向き合い方を書いていきます。また、2022年8月に北海道富良野市ので吃音のトークイベントを行いました。そこでお話したことを文章にしたいと思います。
◆吃音とは….
吃音と聞いて、ピンっとくる方は、まだ少ないと思います。よく使われるのが「どもり」や「どもっている」という言葉であり、吃音は同じ意味です。
「吃音の種類」
・難発 ・・・ありがとう
最初の言葉が出にくい症状
・伸発 あーりがとう
最初の言葉を伸ばしてしまう症状
・連発 あああありがとう
最初の言葉を繰り返してしまう症状
この3つが主な症状です。
僕は難発が多いような気がします。
言葉を出すために「えーっと」「あの~」などの言葉を使って、言葉を出そうとしています。
吃音は、約100人に1人と言われています。男性の方が多いようです。
吃音の克服方法、治療法は完全に見つかっていないと言われており、克服した人はいるが、その方法は全員に当てはまるわけではありません。
◆吃音の始まり
小学3年生くらいから吃音の症状があったと思います。
それより前に、うまく話せていなかったかもしれませんが、
「俺ってスムーズに話せないな」
と感じたのは、その頃でした。
ことばの教室や病院にいった記憶はありますが、数回だけだったと思います。現在、障がいを持った児童の支援に携わっている身からして、
「もっと支援を受けたかった」
と感じています。
◆小学生時代
小学生時代は、吃音関係なく言いたいことは言っていたような気がします。授業で発表したり、友達と積極的に話したりしていました。わりと目立ちたい性格だったのかもしれません。
◆中学、高校生時代
中学生、高校生では、「思春期」も関係していると思いますが、吃音がバレたくない、吃音は恥ずかしいという思いがあり、必要なこと以外は話しませんでした。
◆野球人生
野球は小学3年生からやっています。
「楽しい」「すき」という感情だけで、今も続けています。
学校で嫌なことがあったり、吃音で悩んだりしても、野球をすれば、心もすっきりしてました。
私生活で、なかなか自己表現できない僕は、野球の時だけでは、自己表現できていたような気がします。。。
しかし、「野球と吃音」を考えると野球もチームスポーツで話すことはもちろんあるので、困ったこともありました。
・キャプテン(小学生)で号令をかけなくちゃいけない
・コーチに聞きたいアドバイスが聞けない
・ブルペンで球種が言えない
など、困った点もありました。未熟だった高校生の僕は、その悩みもあったのか、高校野球引退と同時に硬式野球を辞めました。
◆大学時代
高校まで、福岡で過ごした僕は、何かを変えたいと思い、沖縄の大学へ進学しました。
知り合いもいなく、0からのスタート。一人暮らしを始めました。
◆ある人との出会い
大学に入り、授業を受けていた僕は、ある人と出会いました。
それは、吃音持ちの先生(教授)でした。その先生は150人くらい生徒がいる前で、「私には吃音があります」と告白していました。今まで、吃音をネガティブに考え、隠してきた僕は、衝撃を受けました。素直にかっこいいと思いました。
その出会いから、吃音に対する考え方を改め、克服方法や、心理学について勉強を始めました。大学3年生からは、その先生のゼミに入り、さらに吃音について、考え、勉強しました。
◆大きく変わった考え方
勉強や、先生と話をする中で、気づいたことがあります。
今まで、なにかやろうとする時、
吃音があってもこれはできる。
吃音があるからこれはできない。
と吃音ありきで物事を考えていました。
しかし、これでは
「人生おもしろくない」「自分のやりたいことができていない」
と思いました。
そこから、色々な目標を持つようになりました。
目標を持つことで、吃音を忘れることができました。
目標に向かって行動していると、前向きな気持ちになり、その時だけは吃音を忘れることができました。
それを実感した僕は、常に目標を持とうと決めました。吃音を完全に忘れてしまうことは、今は不可能だが、吃音で悩む時間を減らそうと考えました。
また、その目標が達成すると、自信もつき、さらに高い目標にチャレンジできます。
そうして、目標を立てていた僕は、「もう1度硬式野球がしたい」と思いました。吃音に悩みながら野球を行ってきたが、
「今ならもっと楽しめるはず」
と思い、「独立リーグにいく」という目標を立てました。そして、その目標を達成することができ、現在野球を続けている。
ちなみに今の野球が一番楽しい。
◆今後の人生
僕の「吃音」は今現在「武器」だと感じています。
現在職場では、発達障害を持った子ども達と関わり、吃音の経験が活きており、少しは子どもの気持ちをわかってあげることができます。
さらに、「吃音の野球選手」として、吃音がある方に、勇気や希望を与えることができています。(もっと頑張らなくちゃいけないが……)
高校生までは、「短所」と考えていたが、今は「武器」や「長所」として活かすことができています。
その武器や長所を活かして、
・言語聴覚士になり、吃音の方の支援をする。
・吃音だけではなく、障がいを持った方の支援をする
・自身の障がいで悩み、就職活動がうまくいかない人の支援をする
(自分も就職活動は、苦しかった経験がある)
のようなことがしたいです。
まだ何をするか明確ではないが、
障がいがあっても夢を諦めず、叶える
お手伝いをしたい。
◆おわりに…
今回書いたのは、僕の吃音の人生の1割も書いてないです。もっと深堀して話したいことがあります。その話を今後もnoteを使って書いていこうと思います。最後に野球のシーズンも残りわずかとなっております。
応援していただける方がいらっしゃいましたら、↓のURLからよろしくお願いいたします。2022年9月30日をもちまして今シーズンは終了いたしました。
今シーズンもありがとうございました。
引き続き、よろしくお願いいたします。↓↓↓↓↓
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