隣り合わせの廃と青春40 最も身近な国際問題
当時のMMORPG全般に言えたことだと思うが、リネージュでも中国人プレイヤー(通称中華)が大きな問題となっていた。
普通にプレイする分にはゲームに国籍なんて関係ない。では何が問題だったのか。
彼らはゲームを楽しむためにプレイしていたわけではない。
目的はただ一つ、「現金」だ。
外貨獲得を目的とした「RMT(Real Money Trade)」のためだけにゲームをプレイしていた。
今でこそ中国は、貧しくなった日本なんて歯牙にもかけない超大国となったが、当時はまだまだ発展の途中にあり、外貨が必要だったのだ。
彼の国はお金のためならなんでもやる。
MMORPGだって例外ではなく、彼らのシノギになっていたというわけだ。
彼らは一般的に「元締め」と呼ばれるまとめ役と、実際に狩りをする手下たちに別れている。
で、手下達は元締めの指示に従い、狩場のマナーとか不文律とかそういったものは一切考慮せず、実現可能な範囲で1番効率の良いやり方でゲーム内通貨を稼いでいく。
この「実現可能な範囲で1番効率の良いやり方」がマニュアル化されているのだろう。
ノーマナー、ノールールでひたすら効率的な狩りを行う。勿論、BOT(自動操作による狩り)やチートもお構いなしだ。
そして、動きが非常にわかりやすく、これは中華だな、と一瞬でわかる。
ちなみにリネージュにおいては、大方がレベル45〜48くらいのウィザードで、サモンモンスターで引き狩りをしていた。
※だいたいこの「4賢者」変身をしていた。懐かしい。
ちなみに名前も非常に特徴的で、そもそも読めない漢字だとか、意味不明な音(「ンむく」とか)とか、そんなのばかりだった。
「狩場のマナーとか不文律」などというものはあくまでもローカルルールであり、そんなことは知ったこっちゃないと言われたらわからなくもない。
私だって、なんでも押し付けられるのは嫌だ。
チートにしたって、程度の差こそあれ日本人だってやっているだろう。
私は過去に「旗チート」に手を染めたことだってあるわけで、人のことを批判出来る立場ではない。
話が変わって、中華のRMTは何が問題だったのか。
それは、「初心者の流入がなくなる」ことと「ゲーム内経済が破壊されていく」ことにあったのではないかと私は思う。
まず、「初心者の流入がなくなる」。
それなりに強いプレイヤーであれば、中華を撃退することも出来る。
だが、初心者はそうもいかない。
初心者にとって美味しい狩場は中華が群れをなして占拠していて、狩りにならない。
それどころか、中華のキャラの方が強いことすらあるため、狩場でPKすらされてしまうのだ。
狩場でPKになった時、コミュニケーションが取れる相手なら、それはそれで面白いことになるかもしれない。
なんでPKされたか聞くことも出来るし、そこから新たな人間関係や、プレイスタイルの間口が開くことだってあるかもしれない。
友人のショウさんが、リネージュMで台湾の方々とPKし、コミュニケーションを取っていく様を見て欲しい。
二度目になるが、ゲームに国籍なんて関係ない。
けれども、そもそもゲームをゲームとしてプレイしていない人達とは目的が違いすぎて、コミュニケーションなど成り立たないのだ。
こんなことをされて、楽しいと思える要素がどこにあるのだろう。
色々なゲームが百花繚乱にでていた時代に、酔狂にも古いゲームであるリネージュに手を出した人たちが、これでゲームを続ける気になるだろうか?なるわけがない。
早々に見切りをつけて別のゲームに行くだけだろう。
こうして初心者が減り、緩やかに人が減っていく。
しかもその悪評はネットに広まり、新規流入者も減っていく。先細りだ。
そしてもう一つ、「ゲーム内経済が破壊されていく」。
中華がBOTでアデナを稼ぐ。
そのアデナを日本人が日本円で買う。
中華は相場のことなんて考えない。値崩れも考えない。
だから、稼いだら稼いだだけ売る。
勿論買う方も悪いのだが、ゲーム内のアデナの価値がどんどん下がり、ゲーム内の経済が緩やかに破壊されていくのだ。
当時ここまで考えられていたかは知らないが、大半のリネージュプレイヤーは中華のことを嫌っており、なんとか排除しようとしていた。
この問題で引退するプレイヤーは後を絶たず、運営も頭を悩ませていたようだ。
当時の私といえば、こんな大層なことを考えていたわけではないが、よく「日中友好不可能」と叫びながら、火山で中華プレイヤーを追い回していたものである。
前述の通り、私は「チートはいけない」であるとか、「ゲームの人口が減る」とか、そんなことを言えた人間ではない。
それでも、なぜ中華を追い払おうとしたのか?
それは、単に、友人が中華の被害に遭っていたから。
ただそれだけだ。だが、当時の私には十分すぎる理由だった。
そんなわけで私も、日々中華と戦いを繰り広げていたわけである。
ともかく、当時は最も身近に感じられる国際問題の1つだったのかもしれないと今になって思うのだ。