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[適応障害と休職]#4 初めての休職

2023年の春から休職中。休職は2回目です。
ひたすら無気力だった時期。焦ったり、迷ったり。色々を経由して、2024年の今、感じていること、考えていること、体の状態。
自分で読み返せるよう、書いていこうと思います。
やっと、振り返ってみようと思えたし、今の感情を忘れたくない、と思ったので。


きっかけは異動

不調になって通院し始めた頃は2週間程休んだものの、休職には至らず。至らずというよりは無理矢理、復帰
 その後、2度、異動がありましたが体調に影響はなかった。時間経過と共に徐々に回復している実感もあった。そして、5年ほど経過したコロナ禍直前に、

 「新しい事業立ち上げを加速するため、新組織ができる。」

 そう言われ、十数年間お世話になった組織を異動することになった。寂しさあり、不安あり。だけど、新しいことを始める時に声をかけてもらえたという嬉しさもある。色々な思いがあっての異動となりました。
 世の中は緊急事態宣言中。出社はNG。初めましてのメンバーばかりなのに直接会えない。その上、新技術。ノウハウもない。書籍どころかネット情報もない。試行錯誤の毎日でした。

 注目の新分野だったこともあり、とても忙しい。気がついたら、1日に打ち合わせ9〜10件。テレワークは良くも悪くもで、移動時間 0秒で次の業務に入れる休憩のトイレはこっそり音声ミュートして済ませる。今、冷静に考えると無茶苦茶な予定表。
 若い頃なら踏ん張り切ったかもしれない。だけど、私はうつ病明け。いや、明けてはいない。寛解に至ってはないが日々の生活に困らない程度にはなっていた、が実態。体調には波がある不安定な所を休暇取得などで、騙し騙し過ごしていました


これまでと違った異動の特色

 この異動は、今までと違う点が二つあった。
 一つ目は慣れない環境。業務内容、メンバー。いずれも初めてのこと&人達。毎日が緊張と不安。新しい技術。そして、気軽に外出ができない状況。完全テレワークは公私分離ができない。自宅が活動拠点なので家事も当然こなしていく。2年程かけて環境を整えていくが試行錯誤の日々でした。
 二つ目は周囲の人の理解。新組織に集まったメンバーは、お互い初めましての関係性。当然、私の体調事情を知っている人はいない。以前までは、事情を知っている上司の配慮もあり、なんとかなっていた。これがゼロになった。この影響はとても大きかった、と後から知ることになりました。

 結局、異動から約2年で休職に追い込まれた。
日々の激務に加えて、上からの重圧。2年経過して成果を出せていないのか、と詰め寄られる。一人、孤独に考える。責任感が過剰に反応してました。考え方の歪みがたっぷり。あれもこれもやんなきゃで未来に囚われる。俯瞰した考え方の隙間もない忙しさ。正直な所あまり興味を惹かれない分野なので頑張ってる理由は義務感のみ。心の柔軟性なんて全くない

 ある日、とても久しぶりの嫌な感覚。動ける気がしない。吐き気、めまい、といった症状。そして、無気力になっていく。

 こうして、産業医から「休職した方が良い」と宣告されて、初めての休職になったのでした。

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