宗教問答~コメントに対する回答~
はじめに
私が投稿した以前の記事に対し,読者からコメントを頂きました。私の主張に対する疑問の呈示です。非常に良いご指摘だったので,今回の記事にてお答えさせて頂きます。
質問
私は「一億総老人社会」という記事において,自分の志を述べました。「キリストによって全宗教を統合したい」と。この主張に対し,こういうコメントを頂きました。「全宗教の統合は無理である。なぜなら,共通項の寄せ集めは,各宗教の個性を切り捨てることになるからだ。宗教信者は,このような平板な一般理論を受け入れない」と。
返答
理神論の間違い
なかなか素晴らしいご指摘です。確かに,単なる共通項の寄せ集めは,「何でもない神」を創作するに過ぎません。以前,人類はこの過ちを犯しました。理神論です。18世紀の啓蒙主義は,人間理性に信頼を置きました。そして,各宗教の違いを克服すべく,理論的な神の概念を形成したのです。ヤハウェでもアラーでもアフラ=マズダでもない一般的な神。しかし所詮,理神論は人間が考え出した神に過ぎず,人間心理の投影です。理神論を信じた結果として,すべての伝統を破壊する暴動・革命が勃発。フランスは100年に渡る混乱に陥りました。
共時的構造化について
さて,私が望んでいる宗教的統一は,理神論の類ではありません。私が考える宗教的統合をご説明する前に,真理と宗教の違いを明らかにしましょう。真理とは,唯一の神です。今なお生ける神です。一方で,宗教とは,偉人が提唱した神の教えであり,その教えを核にして結晶化した歴史的伝統です。真理は一つです,宗教は多数です。つまり,宗教的統合の要は,一と多の統合にあります。一から多を説明し,多から一を帰結すること。これが,宗教的統合理論の肝(きも)になります。
私の志は,宗教を統一して新しい宗教を作ることではなく,各宗教が対話する場を構築することです。時代も個性も違う宗教が共存する心理的仮想空間の構築。これを共時的構造化と呼びます。私は,共時的構造化により,宗教的対話の理論的土台を呈示したいのです。
心のM領域について
では,どうすれば共時的構造化が可能になるのでしょうか?共時的構造化の場は,人間の意識的次元ではありません。宗教は真理の現象化であり,真理は宗教の根源です。宗教は,現象世界で一致することはできません。宗教の統合は,その根源に還り,意識より深い次元において成就されます。
深層心理学的に申し上げれば,真理は集合的無意識(心の最深部)に内在します。そして,無意識から意識に表出することにより宗教化する。ですから,私たちの為すべきことは,「一なる真理が内在する無意識の世界」と「多なる宗教が展開する意識の世界」を連結することです。そして,意識と無意識の中間にある領域を「M領域」と呼びます。
元型の世界について
集合的無意識から発せられる神のメッセージは,言葉でもイメージでもありません。なぜなら,「無」意識ですので,私たち人間には知覚できないのです。無意識から発せられたメッセージは,M領域を通過することにより,人間の意識(直観)が知覚できる形態を帯びます。ちなみに,M領域で躍動するイメージを「元型(アーキタイプ)」と呼びます。
元型には様々な種類があります。理性と知恵の象徴である老賢人(オールド・ワイズマン)元型,すべてを包容せんとする太母(グレート・マザー)元型,あらゆる苦難を乗り越える英雄元型,矛盾と成長の象徴である永遠の少年元型など。大きく分けて8つの元型がありますが,これらの元型の一つが偉人に感化を及ぼし,各宗教を誕生させました。つまり,モーゼの教えもマホメットの啓示も釈迦や孔子の訓戒も,すべては元型の影響なのです。
簡単におさらいをしましょう。真理は元型の元型です。根源的元型です。真理がM領域を通過する際,一つの元型が躍動します。その元型が,いわば真理と人間の仲介者となり,人間に啓示を与えるのです。M領域は真理と宗教が出会う場であり,元型は真理と宗教のメッセンジャーと言えるでしょう。
思想の役割について
かつて宗教的統合を目指したオリゲネスやイブン・アラビーは,神と宗教を繋げるため,プラトンの「イデア」を利用しました。私もまた彼らに倣い,各世界宗教を統合すべく,ユングの「元型」を取り入れました。というよりも,私の深層心理学的体験によって明らかになった元型を用いています。
以上申し上げましたように,私は現象世界のレベルで宗教を統合しようとしているのではありません。それは無理な話です。もし可能だとしても,それは宗教的個性の廃棄に繋がります。私が想定している意識の次元構造をご理解頂ければ,宗教的統合は宗教的個性を殺すどころか,むしろ肯定する理論的努力であることがお分かりになる筈です。
確かに,私が宗教的理論を呈示したところで,全ての人が受け入れるとは限りません。むしろ,全ての人が受け入れるような理論は,薄っぺらな役立たずの思想です。水が山頂から麓に流れるように,思想も上流から下流へ向かいます。つまり,誰かが唱えた思想を受け入れるのはごく少数であり,その少数者から周囲へ広がり,時間を経て大衆へ広がります。そしていつしか,その理論は社会の常識となる。私は偉人でも哲学者でもありません。が,理論的解明に捧げた私の苦闘は,後世の人々を益すると期待しています。
参考書籍です。ご興味のある方はどうぞ。
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